ゆるりまいの「わたしのウチには、なんにもない」を読みました。仙台で夫、母、祖母と暮らす作者の片付けマンガで、東日本大震災が片付けのきっかけになったことが書いてありました。



 震災で家が壊れて住めなくなったこと、揺れの中、大量のモノや家具が凶器になったこと、壊れかけた家を捜索しても汚部屋だと何がどこにあるのか分からなかったこと、避難用具の中の食糧の賞味期限が切れていて、いざという時に食べられなかったこと・・・。



 私は札幌で3.11のあの日、ビルの4階でただならぬ揺れにおびえていました。でもしばらくすると揺れはおさまり、ラジオもテレビもなかったし、ケータイでニュースをチェックしようとも考えず、家に帰るまで結構のんきに過ごしていたのです。家のテレビのニュースで震源地の映像を見た時はショックでした。



 片付けをしていくと、「今」「現在」に焦点を合わせることが得意になっていきます。そしてだんだん「今必要ないもの」を持つのが苦痛になってきます。いつ起こるか分からない災害のことなんて全然考えなくなるし、「お金さえあればなんとかなるでしょう」「救援物資があるはず」などすごく他力本願な考え方が出てきます。



 片付け本を読むと、「ストックは持たない」「なくなってから買い足せばいい」と書いてあるものもあります。でも何もかも持たなくていい、というわけではないと思います。災害が起こったら、食糧や水、トイレットペーパーの備蓄や、懐中電灯や軍手、ゴミ袋、携帯ラジオ、着替えを入れたリュックは必要になります。



 「コンビニがうちの冷蔵庫代わり」「食糧はその日の分だけ買う」という考えもあるけれど、震災が起こった日、コンビニの棚から一瞬で食品や飲料がなくなった、という現実もあります。被害が何もなかったうちの近所ですら、水やお米が売り切れになりました。


 

 「もしかしたら使うかも」「いつか役に立つかも」という発想は、「片付け」では禁句だけど、災害時を思えば「備えあれば憂いなし」。私はこれからも毎年3月には避難用具の点検をしようと思っています。



 家が津波で流されてしまって、思い出のモノを全て失ってしまった親戚のおじさんに、一枚だけ著者が持っていた「おじいさんと幼いころのおじさんの写真」を渡したら、ものすごく喜ばれた、というエピソードが胸を打ちます。



 「思い出のモノ」はなくても生きていかれるけれど、「思い出のモノから生きるエネルギーをもらう」こともありますよね。特に、両親が他界してしまった方たちはそういう部分があるのではないか、と思います。


4巻ではまいさんの祖母が亡くなり、沢山の弔問客があった時「人を呼べる綺麗な部屋でよかったね」とお母様とふたりでほっとする場面が出てきます。



 私の祖母は富山の出身で、「いざという時のために」「恥ずかしくないように」が口癖の人でした。祖母はモノを捨てられなくて全てためこんでいたけれど(昔の人ですからね・・・)、整理整頓、収納の達人でもあり部屋は綺麗でした。だから亡くなった時何も困らず、祖母を家に連れて帰ることができました。葬儀業者の人がきても、親戚や近所の人が来ても、慌てて掃除する必要はありませんでした。



 でも汚部屋じゃそうはいきません。人間、いつ何が起こるか分からないから「いざという時のために」片付けておく必要は若い世代にだってあるのではないでしょうか。



 「いざという時のために」部屋を片付けておき、実際に東日本大震災のような「いざという時」が来た時、すぐ持ち出せるよう避難用具や食糧の備蓄を用意しておく。



 私はこの本からこのようなことを考えました。