条件その一、暇な人間がたくさんいなければならない。

民主主義は暇な人間が多数いなければ成立しない制度である。何年かに一度行われる国政選挙や地方選挙に行って投票すれば民主主義していると考える人はさすがにいないだろう。それでは投票する時だけ主権者で、それ以外のほぼ大部分の時間は支配層の言うこと、なすことにただ唯々諾々と従う奴隷状態で過ごすことになる。不満があったり、要求したいことがあってデモをしたり、署名活動をしたり、集会に参加したり、議会を傍聴したりするには、それをする時間がないとできないのだ。平日に仕事で疲れていては土、日の休みはゆっくり過ごしたくて、とてもそんなことに参加する気は起こらないだろう。まして平日に参加するなんてとても無理だ。つまり、暇がなければならないのだが、それもかなりの暇な時間が普段から確保されていなければならない。

 どんな問題でも結局は政治に関わるし、そのどれ一つとってみても一筋縄ではいかない複雑な問題ばかりだ。それらすべてについてひとかどの知識を持つことは無理としても、民主主義したければ、自分が特に関心のある問題については、人並み以上に知識を蓄える必要がある。そのためにはやはり、本を読んだり、調べたり、人に聞いたりする時間が必要なのだ。そうやって一つの問題に詳しくなると、それをもとにして、例えば各政党の言っていることの是非が判断できる。

 残念ながら今の日本では人々はあまりに忙しすぎて、政治などにエネルギーを使う暇も気力もない。そこで、適当に選挙で選んだ人に後はお任せ、ということになる。こんな状態から脱するには一にも二にもまず人々の暇な時間を増やすこと、つまり、働く時間を減らすことが肝心だ。そのためにも提案したいのは、以前にも言った週15時間労働、一日三時間労働の実現である。こんなことを言うと空理空論と言われそうだが、一日三時間労働はかの有名なケインズも主張した(ただし出典不明、単なる又聞き)。科学技術が進歩し、それまで人間がやっていた仕事を機械やロボットが代わりにしていけば、そして、デヴィッドグレーバー言うところのブルシットジョブをなくしていけば、人間の労働時間は劇的に減るはずである。あとは利益を独り占めさせるのではなく、公平に分配すれば、人一人が普通に生活していく金を一日三時間労働で稼げるはずである。

 午前中に働いて、午後は好きなことをする、その中には政治や社会に関することも含まれている、こんな状態が理想的だ。

 以前にも言ったと思うが、まず第一に、民主主義は「する」ものであって「である」ものではない。丸山眞男が『日本の思想』で立てたこの「する」と「である」の二項対立は今でも十分に有効である。いくら選挙制度が整い、政権交代が可能な制度があり、三権分立の仕組みがあって、いかにも民主主義の政治制度であるように見えても、それが単にそう「である」だけで、その仕組みや制度を実際に運用し活用「する」ことにおいて民主主義しなければ、絵に描いた餅である。逆に、極端に言えば、貴族制度でも王制でも人々が民主主義することが出来る。問題は制度そのものよりもその制度のもとでいかに民主主義するかであって、その観点から見れば、今の日本は勿論、民主主義の国であるとはとても言えたものではない。今の日本の政治制度やその実際的な運用は、民主主義とはまったく別の、それをどうなずけたら良いのか私には分からないが、ともかく、民主主義とは似て非なる「或るもの」である。

 民主主義は「する」ものであり「である」ものではないと書いてきたが、しかし、正面切って「民主主義とは何か」と尋ねられると、どう答えて良いか、実はよく分からない。だが、少なくとも民主主義するためのいくつかの条件、あるいはいくつかの特徴は挙げられる。それを次から挙げていこう。

 今、食べているのは百円ショップで買ったポーランド製のチョコレートだ。terravitaのDarkChocolateと書いあり、百グラムで百円なので、日本のチョコレートよりもお買い得と思い、買った。食べてみると、外国のチョコにはよくあることだが、どうも日本のチョコレートに比べ、味が変である。不味いというわけではない。原材料は砂糖、カカオバター、カカオマス、ココアパウダー、香料といたってシンプルであり、日本のチョコレートによく入っている植物性油脂とか、レシチンとかは入っていない、いわゆる純チョコの部類に入るチョコだ。原材料の先頭に砂糖とあるので、たしかに甘いが、どう言えばよいのか、食感が、あるいは、舌触りが日本の、例えば、明治ミルクチョコレートなどとは違うのだ。滑らかさがなく、ざらつき感があり、カカオの風味自体も何か違うような気がする。あるいは、含まれている香料の違いなのかもしれないし、製法に何らかの違いがあるのかもしれない。分からないことがあると、すぐにネットで調べて見るのだが、納得できる理由は書かれてなかった。単なる慣れの問題なのだろうか。外国の人が日本のチョコレートを食べれば同じように風味が違うと違和感を感じるのかも知れない。まあ、百円ショップで売られている安いチョコレートと日本の普通のチョコレートを比べるのがいけいなのかもしれないが、ゴデ○○チョコレートを食べてもさほど旨いとは感じないのでそういう問題でもないのかもしれない。ともかく、量が多いという利点がなければ、日本のチョコレートを選んでいただろう。モロゾフなどのチョコレートがいかに旨いかがよくわかる体験であった。