森と共に生きた縄文文明──いま私たちが学ぶべき知恵
私たちが「文明」と聞くと、多くの場合は都市、石造建築、大規模な農耕地を思い浮かべます。ところが、日本列島に1万年以上続いた縄文文明は、そうした文明とは大きく異なる特徴を持っていました。
それは、森を破壊せずに暮らした文明であったということです。
森は生活の基盤だった
縄文人にとって森は単なる自然環境ではなく、暮らしそのものを支える存在でした。
- 森の木は丸木舟となり、海路交易を可能にした。実際に縄文時代の舟は全国で160艘以上見つかっています。
- 森は雨水を蓄える巨大なダムであり、その養分は川を通じて海を豊かにした。
- 里山からは落ち葉、薪、堆肥、建材などが得られ、鎮守の森は人々の結束の場となった。
つまり森は、舟と交易、食と農、住と信仰のすべてを育む「生命のインフラ」だったのです。
世界の文明との違い
メソポタミア、ギリシャ、ローマ、中国――多くの文明は森を切り開くことで発展しました。けれどその代償として土地は荒れ、社会もまた衰退へと向かいました。『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する森の守り神フンババの征伐は、その象徴ともいえます。
それに比べ、日本列島は豊かな森と水を守り続けてきました。その恵みを「不老長寿の妙薬」と評した人もいます。渡来人・徐福は、この地の価値を見抜き、稲作という新たな文化をもたらしました。日本神話でスサノオが斬った女神の亡骸から五穀が生じる物語は、その象徴的な表現でしょう。
森を守り育てる伝統
しかし、戦国時代から江戸初期にかけての築城や大建築のための乱伐で、森は大きく傷みました。これに危機感を抱いた幕府や諸藩は「育成林業」を推進し、やがて昭和には「全国植樹祭」へと受け継がれます。現在では研究者や市民も加わり、各地で森づくりの取り組みが広がっています。
現代に蘇る縄文の知恵
森は舟を生み、稲を育て、人を結び、命をつなぎます。現代の「縄文ブーム」は、単なる懐古ではなく、森と共に生きる智慧を再評価する動きにほかなりません。
スサノオの本来の役割は「森を育て、光と水で命を生むこと」でした。今、私たちはその精神を現代社会に取り戻すべき時に来ているのではないでしょうか。
