週末に個人的に「音楽の日」という事にして、ライブを見に行って来ました。
吉祥寺のモールの中で「大海 有輝」くんが唄っていました。
正確には、寒さの中で凍えていたという方が正しいかもw 右上の角の子です。
岐阜からシンガーソングライターに成る為に東京に来ているそうです。
個人的には路上ライブやってもファンなんて増えないと思うだけど、やっぱり何かをしていないと不安になるので、少しでも人からの反応が欲しくて路上で唄っているそうです。
まあ、ちょっとはお金をくれる人もいるからバイトなのかもしれないけどw
それで、まあ観衆からの反響が欲しくて名曲のカバーを唄う訳。
その後にオリジナルを唄っても、反応が極めて悪しw
こんな悪循環に多くの若者が嵌まってるんじゃないかと感じましたw
オリジナル曲は何曲有るの?と聞いてみたら15~17曲くらいあると言っていたので、もっとたくさんオリジナル曲を作りなと余計な事を言いました。
彼が欲しい言葉、そんな言葉ではなくて、「いい声だね」とか「唄が上手いね」とか、そんな言葉なのはわかっていたけど、彼らが目指す音楽の世界は「宝くじを当てる」よりも難しい世界。
宝くじよりも少しだけ確率が高いとすれば、それは正しい方向の努力をして、「神さま」の気まぐれに出会うかも!といこと。
何でもそうだが、みんな努力はそれぞれの形でするんだ!
問題なのは、その努力の方法で、上手く行かない時に、それを認めてやり方を工夫すること。
まあ、どれが正しい努力なのかが分からないの厳しい部分ではあるけどねw
今日の朝、ユーチューブで松井五郎と玉置浩二の対談をみつけて見ていた。 何を言うのかなと思ったみていたら、やっぱりなと思う事を言っていた。
歌詞を「書いているのではなくて、捕まえている感じ」だと言っていまいた。
ボクもいい歌詞は「神さま」くれた言葉と捕まえて、並べ替えするだけだと思っていたので、やっぱ同じだと思いましたw
松井五郎がどんな風に歌詞をかいているかは知らないけれど。(今日初めて顔をみましたw)
たぶん先に曲が有って、その曲を聞きながら、その曲の持つ世界観を感じながら、「神さま」がくれた言葉を捕まえて集めて、並べ変えたり削ったりしているだと思うんだ。
詞と歌詞の違いって知ってる? 詞は言葉だけで思いを伝えるけど、歌詞は音と言葉で伝える、一段上のレベルの作業。
詞としてはとても良いけれど、歌詞につかうと「耳掛かりが悪い」っても存在していて、このタイプの詞をかく人は売れるまでに本当に苦労します。
例えば、いまボクが一押しの「吉田拓矢」、彼の詞は天才的に「耳掛かりが悪い」いんだ。
彼をメジャーデビューさせた関係者もきっと同じ事を思っていたと思う。
歌詞カードを読みながら聞くと、とてもいい曲なのに、歌詞の「耳掛かり」が悪いので、ボクのような感性の鋭い違いのわかる人にしか、なかなか理解されないw
彼の曲のファンは感覚で曲を感じてなにも考えないタイプか、ボクのように理詰めで曲を聞くタイプ。
まあ、この2つとも音楽ファンの中では少数派なので、なかなかヒットしないわけw
ちょっとこの曲を歌詞をみながら聞いてみてよ!
Friends
ボクらは遠くを見すぎていて 足跡のかたちを覚えていない
ためらいながら近づいてくる未来に いつも ふりまわされそうになるんだ
よわいのはボクだけじゃなくて ここにいる誰もが不安でいっぱい
ひとりで歩いていく事が怖くて いつも押し潰されそうになるんだ
かたちじゃないもの 目に映らないもの
だけを 信じれる勇気と この長い旅路をいこう
悲しみにくれないで 明日だけをみていて
余計なことは考えるなよ 空っぽにすればいい
とりあえず眠って 明日晴れるといいね また ここから始めればいい
こだわりだけが歳とともにふえて 臆病なところだけは変っていない
ありのままの姿が照れくさいだなんて もう つよがったりなんかすんな
季節は何度も通りすぎて かえるべき場所はいつも覚えていない
だいじなことは この胸のなかにあるんだ きっと この先だってずっとそうさ
終わりの無いもの 手の届かないものさえも
挑める勇気と この長い旅路をいこう
慰めによわないで 明日だけを見ていて
余計なことは考えるなよ 空っぽにすればいい
とりあえず笑って 明日雨でもいいね
また ここから始めればいい
悲しみにくれないで 明日だけを見ていて
余計なことは考えるなよ 空っぽにすればいい
とりあえず眠って 明日晴れるといいね
どう? 「耳掛かりが悪い」っていう意味わかるかな?
では、続きは次回に。