全市町村の旅で他の旅人と大きく異なる点は、旅をしたくて旅をしているのではなく、理念を達成するために旅をしていることだ。僕の理念は「他の人ができないことをすること」。だから同じ内容の旅をしている人が自分以外にいると、存在意義を失い最悪死に至る。それほど自分の中の理念は重要なのだ。

 

つまり自己肯定するためには、旅のルールを厳しくしなければならない。決定したルールは厳格化されているが、以下にルールの基本的な考えを示す。

 

 1) 隣り合った市町村しか踏破できない。

 2)一度踏破した市町村は公共交通機関の使用が可能である。

 3)旅ができるのは在学中の学生のときか、就業しているときのみである。

 

1)、2)に共通しているのは、意味のないということである。人間は意味のないことをするのは嫌うため、意味のないことをすれば自然と他の人ができないことになる。わざわざ隣り合った市町村をとる必要がない、電車やバスを使えば歩く旅の意味がない、普通の人はそう思うかもしれないが、希少性を高めるためには必要である。

 

3)は休学や休職をすれば、旅は楽になるだろう。しかしそれだと難易度が下がってしまう。だから大学生だとしても休学は不可、社会人になったとしても仕事は続けていかなければならない。

徒歩で全市町村の旅は一年で終わらせない、というか終わらせられない。

 

 

市町村の庁舎を線で結び距離と個数を計算すると市町村ごとの間隔はおよそ15km。東京など密集しているところもあれば、北海道など平均25kmのところもある。仮に毎日30kmずつ歩くと一日2市町村取れることになる。全部で1,741市町村あるから870日かかる計算だ。

 

そうではなく長期的に取ると考えると、大学2年生から大学院を含む学生のうちで5×100市町村/=500市町村。残りの1,241市町村は社会人になってから30市町村/年で取ると、42年かかるから66歳で達成することになる。

 

この理由は目標を持ち続けるという目的があるからだ。自転車で全県庁所在地を2ヶ月弱で回ったしまった失敗を教訓に、生涯心を燃やせる目標を作ることができた。

 

だから最終的に全市町村を回る目標は達成できなくても、毎年目標を持ち続けてその年のノルマ達成に尽力さえすることができれば、目的は達成することができるから悔いはない。

 

ルートを綿密に計算するときは発想の転換やひらめき、数年後の自分という駒の動きを読む想像力などが要求される。しかも事故や病気で歩けなくなる可能性もはらむ。命をベットできるギャンブル性があり依存性が高いのも特徴の一つだ。

 

とにかく徒歩で全市町村の旅は一つの理由だけでなく、複雑に絡み合いながら僕を生かししてくれることに感謝している。

2020年11/29までの進捗状況を載せます。

スタート地点: 山形県山形市

主な中期の旅の時期と地域

 2020年2月(大学1年春休み): 
  宮城
 2020年8月(大学2年夏休み): 
  新潟、富山、石川、福井

踏破した市町村: 116/1,741市町村