仮名手本忠臣蔵(三月大歌舞伎) 夜の部

2025年3月、千穐楽の少し前に、歌舞伎座 「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」 夜の部(Bプロ)を見てきました。

夜の部(Bプロ)の大星由良之助は仁左衛門さんです。

 

 

■初演

寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。

全十一段

三好松洛、並木千柳、竹田出雲の合作

■夜の部

五段目   山崎街道鉄砲渡しの場
      同 二つ玉の場
六段目   与市兵衛内勘平腹切の場
七段目      祇園一力茶屋の場
十一段目   高家表門 討入りの場
                 同 奥庭泉水の場
                 同 炭部屋本懐の場
                 引揚げの場

公式ページ:

三月大歌舞伎|歌舞伎座|歌舞伎美人

 

  五・六段目

五段目 山崎街道鉄砲渡しの場

昼の部の最後の演目、「道行」から続いて、おかると早野勘平の話。

おかるの実家に身を寄せ、狩人となっていた勘平が朋輩の千崎弥五郎に遭遇し、仇討ちに加わるための金の工面を約束します。

 

二つ玉の場

おかるが勘平に内緒で祇園町へ身を売って拵えた50両の金を持って夜道を急ぐ父の与市兵衛。

 

掛け稲の下で休憩している与市兵衛の金を、稲の中からぬっと出た白い手が奪います。

斧定九郎が姿を現して、与市兵衛を殺害。

 

斧定九郎のセリフは、お金を数えてたった一言だけ。

 「五十両」

 

破れ傘を背に花道で見得を切るところはさすが隼人さん。きまっていました。

その後、銃声がして、撃たれた斧定九郎は吐血で白い膝を染め、倒れて息絶えます。

 

落語「中村仲蔵」で有名になった演目だそうです。

「弁当幕」と呼ばれ、人気のなかった演目でしたが、

仲蔵はそれまでの斧定九郎が山賊姿だったのを黒い着物の浪人姿に変え、

卵の殻に血糊を入れて、口に含んて白い足に垂らすようにしたとのことです。

(イヤホンガイド情報)

卵の殻ってくわえにくそう、といらぬ心配をしてしまいました。

 

筋書によると、与市兵衛が殺された後のセリフは、

斧定九郎の 「五十両」

勘平の   「こりゃ人」 

だけだと書かれていました。言われてみれば確かにそうでした。

たった二言のセリフだけで成り立つ演目の構成も、演じる役者もお見事としか言いようがない演目です。

 

あと、猪の人、花道をあっという間に走って行って舞台中央まで。すごい。

 

六段目 与市兵衛内勘平腹切の場

一夜明けた与市兵衛の家には、おかるを迎えに来た一文字屋の女房お才の姿。

何も知らない勘平は、おかるの母おかやの話を聞くうちに、昨夜の五十両を手に入れた時、

猪と誤って鉄砲で撃ったのは義父の与市兵衛だったのかと狼狽。そこへ与市兵衛の亡骸が運び込まれ、母おかやは、勘平が与兵衛を撃って五十両を手に入れたと勘平を責めます。

 

そこへ千崎と不破数右衛門が訪ねて来て、仇討ちの一味に加わることを拒絶されます。

不破数右衛門の言葉に絶望した勘平は腹を切ります。

 

「いろに耽ったばっかりに。。。」と白塗りの顔に血をつけ、「いろ」がここでも出てきます。

切腹の作法に則っていないので、切腹ではなく「腹切の場」なのだそうです。

昼の部(Aプロ)の塩谷判官、夜の部(Bプロ)の早野勘平と、2役で切腹、腹切りの場を演じた勘九郎さん。身分と作法の違いはありますが、どちらも無念さが強く伝わってきました。

 

その後、千崎が与市兵衛の死因が鉄砲傷ではなく刀傷であるのを確認して、勘平が撃ったのは与市兵衛を殺した斧定九郎で、結果的に義父の仇を取ったことになると伝えます。

勘平は仇討ちに加わることを許され連判状に血判して、息絶えます。

千崎が確認するのがもう少し早ければ、、、、。

 

千崎(巳之助さん)と不破数右衛門(歌六さん)は、お二人とも声がとても良くて、個人的に好きな役者さんです。歌六さんはさすが人間国宝の貫禄。巳之助さんは、昼の部では伴内としてトンボを切った人とは思えません。

 

 

  七段目

祇園一力茶屋の場

 

五、六段目とは打って変わって華やかな祇園の一力茶屋。

通称「茶屋場」だそうで、「由良さんこちら、手の鳴る方へ」の声に誘われて、大星由良之助(仁左衛門さん)登場。場の空気が一気に変わります。さすがは仁左衛門さん。

 

密書を読む由良之助、2階からのぞき込むおかる、床下から手紙を盗み見る斧九大夫。

と、有名な場面も。

 

昼の部の「道行」から、七段目まで登場する「おかる」。

おかるが仮名手本忠臣蔵のもう一人の主人公なのかも、とふと思いました。

 

おかるの兄の平岡平右衛門(松也さん)は、喉は大丈夫?と心配になるほどの熱演でした。

 

 

  十一段目

高家表門 討入りの場

 

舞台全体を覆うように吊り下げられる青い幕を「浅葱幕」と呼ぶそうですが、

その浅葱幕が切って落とされると、いよいよ四十七士の登場。

全員が並ぶ姿は圧巻です。

セリフを発する度に、イヤホンガイドでは役者名を言ってくれるのですが、セリフに被らないように、役者名が途中で切れることも。もしかしてリアルタイムに手動で止めているのでしょうか?

 

合言葉は「天」と「河」。「山」と「川」ではないのですね。

 

ちなみにこの浅葱幕。

スポーツやイベントの開始を告げる「幕が切って落とされました」という言葉の語源だそうです。

 

奥庭泉水の場

高家で剣術使いとして名高い小林平八郎と竹森喜多八の立ち廻り。

小林平八郎は実在の人物だそうですが、明治になってからこの「奥庭泉水の場」が演目として加わったので、名前を変えずに実名で登場しているのだそうです。(イヤホンガイド情報)

 

炭部屋本懐の場

由良之助は、師直が炭小屋に潜むところを発見し、塩谷判官の形見の九寸五分で自害を勧めますが、師直は刀を手にすると、由良之助に切りかかります。由良之助は、ついに師直を討ち取ります。

 

引揚げの場

舞台が鎌倉なので、「花水橋」を渡って登場する四十七士は圧巻。錦絵から出てきたようです。

 

そこへ、馬に乗った旗本の服部逸郎が登場。

花道から登場する、馬の背が高くてびっくりしたのですが、上に乗っている服部(菊五郎さん)は怖くないのでしょうか?

 

服部は、この先の道は大名が行き来する道なので、迂回するようにと伝え、四十七士達はその進言に感謝して、花道を通って去っていきます。

よく見ると四十七士は、それぞれ「いろは四十七文字」を背負っていました。

もちろん由良之助は、「い」。

負傷した様子で肩を抱きかかえられて歩いて行く志士もいました。(実際の討入でも1人負傷者が出たそうです)

 

一緒に討入りを果たしたような、晴れやかな気分で幕となりました。

 

 

  その他

2階ロビーに衣装の展示がありました。

 

■塩谷判官の衣装

■大星由良之助の討ち入り衣装

■組上灯籠絵「忠臣蔵討入組上五枚続」 大正2年(1913年)

 

 

 

通し狂言を見るのは初めてでしたが、忠臣蔵はこんなに面白い演目だったのかと改めて感じました。

3年に一度、せめて5年に一度は通し狂言の上演をお願いしたいです。

ただ忠臣蔵は12月、せめて冬の季節に上演されるといいな、と思ったのですが、

調べてみると、松の廊下事件が起こって浅野内匠頭が切腹したのは旧暦3月14日でした。

なので、3月に上演されたのも納得です。

 

 

日本人なら絶対見るべき、「忠臣蔵」。