昨日から「空の広報室」始まりました。
自衛隊の全面協力もあり、オープニングの
F15の模擬ドックファイト、キレイに撮れてた。
飛行機好きには堪らない。
容保くん(「八重の桜」の容保役。なんていう名前だったっけ)、
頑張っていた。
困ったときの弱々しい顔がいいよ。
今後がどうなるか。
先に原作を読んでいるので、違和感がでなければいいのだが。
楽しみにしています。
しかし午後になると毎日風が強くなるね。この頃は。
昨日から「空の広報室」始まりました。
自衛隊の全面協力もあり、オープニングの
F15の模擬ドックファイト、キレイに撮れてた。
飛行機好きには堪らない。
容保くん(「八重の桜」の容保役。なんていう名前だったっけ)、
頑張っていた。
困ったときの弱々しい顔がいいよ。
今後がどうなるか。
先に原作を読んでいるので、違和感がでなければいいのだが。
楽しみにしています。
しかし午後になると毎日風が強くなるね。この頃は。
本日4月14日(日)21:00から、TBSテレビで
新番組「空飛ぶ広報室」が始まる。
自衛隊の広報室を描いた物語だ。
私は本で読んだが、なかなか良かったぞ。
どこまで原作の良さを映像化出来るか。
メーキーングビデオで、主人公になる
空自2慰。どこかで見たことあるなと思ったら、
「八重の桜」の、容保くんだ。
有名な俳優さんだったんだね。
知らんかった。
若い人はほとんど知らない。
広報室長が柴田恭兵だが、
この時点で本の室長とは
私の中で乖離があるな。
でも楽しみに見さしてもらう。
皆さんもどうぞ。
4月7日(日)は年に一度(当たり前だ!)の、居合のお花見予定日でした。
ところが関東地方は悪天候予報だったので、
事前に中止と決定しました。
予約してあった寿司なども取り消しに。
飲み会の中止は本当に残念です。
次の飲み会は、全国大会の石清水八幡宮の
前夜祭ですかね。
居酒屋訪問番組を見ていたら、
2軒の酒場でこんな張り紙と、
看板を見つけました。
読めますか?
①「2升5合」
②「春夏冬中」
正解は、①は「益々繁盛」。ますますはんじょうと読みます。
2升は1升が二つで、ますます、5合は1升の半分ですから
半升。
②春夏秋冬の秋がありませんね。
秋がないから、商い(あきない)
つまり商い中(開店中)と言う事で、
入口に掲げてありました。
知っている方には、「知ってらい」と言われそうです。
31日14時からやっていた「、全日本なまりうたトーナメント あの名曲を方言で熱唱」は見た方います?
文句なしに、良かった。
素人の出場者だが、全員本職顔負けの歌唱力で聞かせてくれた。
青森代表の民謡歌手を父に持つ30代の女性は、決勝戦で山本リンダの
どうにも止まらないを歌った。
うまかった。
津軽弁ではどうにも止まらないが、(なもかも止まらねえ~)。
和歌山弁で歌った工業高校の女性音楽教師もうまかった。
準決勝の”卒業写真” 決勝での”井上陽水の夢の中へ”
どちらも良かった。
鹿児島弁、熊本弁、盛岡弁みんな良かった。
優勝は熊本弁で「あずさ2号」を歌った、男性デイオ。
上手だった。
ゴールデンで十分通用する内容だ。
4月から新入生、新入社員で新しい環境に入る地方出身の方が、
歓迎会でこれをやったら、受けるしすぐ覚えてもらえる。
いいかも。
今日は日曜日なので、居合の稽古は
午後2時からの2時間です。
実際にはその前の道場の掃除が
1時10分位から20分位かけて行われ、
着替えをして、2時の20分前から
稽古開始の時間まで各自、体ほぐしも兼ねて
自主稽古を行います。
この頃は型稽古1時間余、
太刀打ちを1時間弱行なっていますが、
組む相手が毎回のように替わるので、
中々呼吸が合いません。
稽古は鞘付きの木刀で行なっています。
軽いのでついぞんざいに振ってしまいます。
居合道は一人稽古が主で、型稽古なので
自分に都合の良い間合いや、呼吸になります。
武道としての体さばきや刀法よりも、
演武の美しさに重点が置かれる傾向に
あると思います。
その欠点を補うためにも、太刀打ち(組太刀)は
大事なものと思っております。
この頃浅草近辺の史跡を書いているのは、
実は昨年の12月中旬に刀を研ぎに出しました。
それが研ぎ上がったとの連絡を受け、浅草橋の
研ぎ師さんのところで受け取ったついでに
浅草の史跡見学をしたのです。
因みに浅草橋と浅草は似た地名ですが、
車で10分位離れています。
居合刀の研ぎにも関わらず、気持ちよく引き受けて下さり
よい研ぎ師さんと知り合えたと思っています。
年齢も私より年下なので、これからもお願いできると思います。
研ぎ師さんは年配の方が多く、お願いしようとすると既に
あの世に行って研いでくれる方がいないなんて、聞きます。
上の写真が研ぎに出す前、下は研ぎあがった写真です。
写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、
光が出、濃淡がはっきりしました。
刀剣商の方は、幕末頃かなと言っていましたが
研ぎ師さんは、もう少し古いかも?と。
今までにどんな人が所有したのか、気になります。
現浅草高校(旧台東商業高校)は、弾左衛門の役所跡になります。
向かって右側は山谷掘に接し南の縁になります。
向こう(東方向)は隅田川に出、役所跡から、東と北の方向に
囲い内(かこいのうち)とも呼ばれていました。
浅草高校のテニスコート(校舎の北側)辺りが居宅跡と
言われています。
屋敷は敷地2600坪余り門構えは3000石級の旗本に相当したと
言われている。
因みに小栗上野介は、2500石で駿河町の屋敷は970坪であった。
広さで単純比較はできないが。
弾左衛門の屋敷の周りには、250軒程の家がありさらにその周囲を
堀や板塀で囲んでおり、広さは1万4千坪余(甲子園球場の1.2倍位)
だったと言われている。
囲内の250軒程の家の内、40軒が革屋、190軒が雪踏(せった)屋でした。
囲い内に接し、菩提寺の本龍寺があります。
矢野家の墓と書いてあるのと、その右側の墓しか
残っていません。
弾左衛門は江戸時代を通して一三代でした。
苗字は「矢野」と言い、正式には矢野弾左衛門でした。
13代の時に幕府の命により手下を率いて長州征伐に
参加しました。
実戦には出ませんでしたが、攻があったという事で、
慶応4年1月に北町奉行所より、身分引き上げを受け、
「エタ」から「平人」身分になりました。
松本良順の口利きによるものと言われていいます。
この時に13代弾左衛門は、名前を「弾内記」に改めました。
この時に苗字が「弾」となりました。
明治3年12月に更に「弾直樹」としました。
二つある矢野家の墓の右側は10代目の墓、
左は側面に明治になって亡くなった男の子と女の子の墓です。
でもなぜか、矢島となっています。
南側で接していた山谷掘跡です。
今は暗渠となり、公園になっています。
山谷掘は、吉原通いの客に利用されました。
下は吉原方面を見ています。
目をつむってください。
猪牙(ちょき)が見えませんか。