日本テレビの牛山純一プロデューサーは日本におけるドキュメンタリー制作に大きな功績を残しました。

ベトナム戦争下の1965年、その非人道性を問うドキュメンタリー番組「南ベトナム海兵大隊戦記」を作りました。

1972年には独立して新会社「日本映像記録センター」を設立しました。後輩の育成に力を入れました。

 

「ノンフィクション劇場」

牛山氏がプロデューサーを務めた民放初の本格的ドキュメンタリー番組「ノンフィクション劇場」は、1962年(昭和37年)、日本テレビで放送が開始されました。

「ノンフィクション劇場」では、一人の人間に密着し、作り手の視点を盛り込むことが重視されました。この方針を実現するため、映画界の才能が導入されました。

記録映画から故西尾善介、劇映画からは新藤兼人や羽仁進らが参加しました。
 

若者と映画人の交流

スタート当時、局内のスタッフは、最年長の牛山でさえ30代半ばと若く、それだけに、映画人との交流は刺激になったようです。

台風と闘う沖縄の人々を取り上げた「水と風」、四畳半一間に十一人で暮らす家族に密着した「多知さん一家」など、様々なカラーを持つ秀作が次々に生み出されました。
 

大島渚も参加

世界的な映画監督・大島渚も、「ノンフィクション劇場」で7本の作品を残しました。

「青春残酷物語」や「日本の夜と霧」で若者に支持されていた新進気鋭の大島監督が、牛山から協力を求められたのは、放送開始の1年半も前のことでした。
 

市岡康子ら後輩も活躍

「ノンフィクション劇場」開始から3年目に一本立ちした菊池浩佑氏は、秋田県の出稼ぎ家族を追い続けた「父と子」などを制作。一貫して同じ畑を歩き、系列局が持ち回りで制作する「NNNドキュメント」の責任者を務めました。

牛山の部下で「すばらしい世界旅行」(日本テレビ系)を担当した市岡康子氏は、ニューギニア奥地に十数回以上も取材。延べ2年近くも原住民と暮らしました。


酒井剛志