朝鮮通信使の寄港地として、宮崎アニメの「崖の上のポニョ」の舞台としても知られる絶景の名所鞆の浦に行きました。今まで行きたかったところでもあったので、昨年の年末に思い切って行って見ました。

 

 これから鞆の浦を紹介します。鞆の浦の立地や歴史的背景を見ながら、朝鮮通信使ゆかりの対潮楼や町に数多く点在する寺院についても紹介したいと思います。

 

 鞆の浦は広島県福山市の港湾部にあり、山陽新幹線の停車する福山駅からバスで30分くらいのところにあります。

 

 瀬戸内海に向けてはりだす沼隈半島南端にある港湾や周辺の居住地、周辺海域のことを指して鞆の浦と言い、沿岸部や沖は「鞆公園」として国の名勝および国立公園に指定されています。なお鞆の浦に含まれる島々には仙酔島、つつじ島、皇后島、弁天島、玉津島、津軽島があります。また東からの海流と西からの海流が鞆の浦沖でぶつかるため、鞆の浦は潮待ちの港としても知られていました。 

 

 今でも古い町並みが残っており、歴史的景観をうまく保存している地域としても知られています。江戸時代の「常夜燈」「雁木」「波止場」「船番所」など港湾関係施設が全て残る、全国でも唯一の存在となっています。江戸時代の町絵図にある街路もほぼすべて現存したおり、江戸時代の絵図を見ながら歩けるという他に類例のない街でもあります。

 

 江戸時代には朝鮮と日本を結ぶ友好使節である朝鮮通信使が漢陽(現在のソウル)と江戸の間を将軍の代替わりの時に往来しました。鞆は海上交通の要衝であり、瀬戸内を行き来した朝鮮通信使の宿泊地にもなりました。通信使の一員が激賞したように、福禅寺対潮楼から見える沖の風景はまるで水墨画のようであり、今でも人をひきつけてやまないものがあります。いつまでも残したい景色のひとつですね。

 

古代

 鞆の浦は、古代から風光明媚なところとして有名で、万葉集にも鞆の浦のことを詠んだ歌が大伴旅人の歌を含めて8首収録されています。

 平安時代初期には現在も残る医王寺が創建され、鞆の中心的神社の沼名前神社は京都の八坂神社が本社で、「延喜式」にも記載される式内社でありました。鞆は実に狭い範囲に寺が19か寺・神社は数十社も建ち並んでおり、備後地域における一大宗教的拠点でもあったのです。 

 

中世

 鎌倉・南北朝時代を経て、戦国時代には毛利氏によって城(現在の鞆城)が築かれました。室町幕府15代将軍足利義昭は、織田信長により京を追放(1573年)された後、毛利氏や地元の渡辺氏の援助により、3年後に鞆に拠点を移し、情勢を伺いました。再び天下を狙う意図もあったようで、「鞆幕府」と呼ばれることもありますが、ここで足利幕府の命脈はつきました。室町幕府初代将軍足利尊氏が、室町幕府成立の契機となる院宣をうけとったのも鞆であり、室町幕府の成立と滅亡にかかわる奇妙な因縁の土地でもあるのです。

 

近世

 近世になると一時福島正則が城郭建設に手を付けますが、家康の逆鱗で中止、その後、水野勝成が備後福山藩主となり、鞆城跡に奉行所がおかれました。また、朝鮮通信使の寄航地にもなり、1711年(正徳元年)の第8回通信使の時、従事官李邦彦が宿泊した福禅寺からの鞆の浦の景色を「日東第一形勝」と書かれたものが残されており、鞆を有名なものにしています。

 

 

 古くからの歴史的由緒のある地域で、そんな歴史的光景が地域全体に残されているところが素晴らしいですね。またゆっくりと鞆を散策したいですね。