イベント会場の外には、夜が迫っていた。
自転車での登坂で汗ばんだシャツに、夕風は心地良かったが、次第に肌寒さを覚えるようになってくる。
小刻みな体の震えの訳は、しかし、寒さの所為ばかりではないことに、本当は気付いていた。
「…そろそろ良いかな。」
スマートフォンで時間を確認し、呟く。
マネージャーとして、仕事を終えたメンバーには連絡を取らなければならない。
通話ボタンまで伸びた指先は、何かに竦んだかのように、止まる。
俺は、今日、ここまで来た理由を、思い返していた――
男とは、何かの為に燃え尽きることを選んでしまう、愚かな生き物のことだ。
マネージャー業を通して学んだことの一つである。人間というのは、思いの外簡単に、馬鹿になれるものなのだ。
熱狂「し過ぎた」無鉄砲なファンへの対応に追われる度、何があっても冷静な判断力は失ってはならないと、自分に言い聞かせてきた。
そして、内心辟易しながらも、そんな彼らを心の何処かで、羨ましくも思っていた。
そう、マネージャーがメンバーに恋焦がれることなど、あってはならない――
彼女は、完璧だった。
才能に溢れ、それ以上に努力を怠らず、やりたいと思ったことは全力を以ってやり遂げる。
誰もがその姿勢に驚愕し、自分には真似出来ないと諦めながらも、追わずにはいられない様な輝きを常に放っていた。
グループの活動の幅がここまで拡がったのも、彼女の存在による所が大きいだろう。
そして、俺にとっては、それ以上に何者にも代え難い存在だった。
マネージャーだから。高嶺の花だから。
自分の立場を省みても、真っ先に否定されるべき想いだけが、音も無く心臓の辺りで燃えている。
彼女とすれ違う度、遠くで声がする度、微笑みを向けられる度――叫びだしたくなる程に、胸が締め付けられる。
声を張り上げ、夢中でサイリウムを振る彼らの様に、いっそ何処かで燃え尽きてしまえたら――何度夢想したことかわからない。
そして、「ごめんなさい」と、申し訳無さそうに俯く彼女の場面で毎回目が覚める。「振る役」なんて、そんな辛い思いだけはさせたくない…。
「なんや自分、ビビっとるんか。結局自分のことだけで頭が一杯とは、情けないやっちゃな。」
堂々巡りの夢から覚めた朝、朧げな意識の片隅で、宙を漂う不可思議な生き物の声を聞いた。
二頭身、というか、頭と足しかない。その頭部も目があるだけで、どこから声を発しているのかもわからない。
「当たって砕けて、粉々になって、それから考え始めたって遅くは無いやろ?気楽に行こうや。好きや言われて喜ばん女なんておらへんで。」
大体、何で関西弁なんだ。とうとう幻覚まで見え始めたか。そう思った時には、「彼」の姿は消えていた。
奇妙な体験の後、彼女からの電話が鳴った。
そこから先は、無我夢中だったので、良く覚えていない。
公園で待つと彼女に電話で伝え、何度目になるかわからない深呼吸を繰り返した後、両手で思い切り頬を張った。
出番直前の彼女達のように、背中を叩いてくれる誰かがいれば、もう少し楽に震えは止まっただろうか。
これから俺が仕出かそうとしているのは、今も世界中で繰り返されているであろう、愛すべき愚行だ。
彼女をマネージャーとして見守り続けたい自分も、彼女への想いに身を焦がす自分も。
どちらも自分で作り上げてきた形だけれど、どちらもあるべき姿じゃない。
当たって砕けて、粉々になって。そこで初めて、生まれ直せる。
――大丈夫だ。人は、限界だと思ってから、もうちょっと行ける――
もし君が、振り向かなくても―――
「な?やればできるやん。」
いつの間にか俺の自転車に跨っていた「彼」は、それだけ言うと、どや顔と共に虹色の光になって消えた――




