ここ東南アジアの某国では久しぶりに平日の3連休です。
土日を挟んでの3連休は良くあるのですが、平日の真ん中、水曜から木曜日というのは久しぶりです。
普通の年ならお祭りの季節で街は大賑わい、夜の大通りは歩行者天国というか人と車で大混雑となるのですが今年の街は平常です。
お祭りのない年に人々はどんな思いで向き合っているのでしょうか。
街の住民も今年は田舎に帰った人が多いせいか、車も人も普段より少なく感じます。
街が静かで良かったと思うのは、短期滞在者のワガママでしょう。
朝食をとりに近所の店まで散歩しました。
平日はこんな余裕のあることは出来ません。
どの店も朝食をとる人々で繁盛しています。
朝食といえば、米の細い麺に澄んだスープ、茹でた肉とかエビを入れて、さらに茹でたモヤシを加え、仕上げにライムを絞り込むのが、わりと街中のどの店でも食べることが出来ます。
どの店も朝食をとる客で席は埋まっていて、なかなかゆっくり座れそうにありません。
仕方なく少し小綺麗な店にしました。
外国人が集まるような店ではありませんが、そこらへんのおじさんがちょっと朝食と言うほど気軽な店でもありません。
朝の空気の爽やかさがまだ残っているので、店の外、長い庇の下のテーブルが心地よさそうです。
何を食べようか。
一番普通の食べ物、米の麺スープにしようかと思っていましたが、ご飯とちょっとしたおかずにも惹かれます。
普通に炊いたご飯でなく、モチ米を蒸した物があります。
こちらではモチ米はこうして普通に食べる物ではなく、さまざまなお菓子の材料なので、この店は必ずしも地元むけだけでもなさそうです。
モチ米に牛肉の辛炒め物にします。
さらにコーヒーを一杯。
ミルクはいるかと聞かれお願いします。
これは地元仕様で、少しどろりと濃いいコーヒーの下にコンデンス・ミルクが流し込んであります。
外国人向けの店で飲むように透明で、スッキリした味ではありませんが、この甘ったるさは朝の目覚めには悪くありません。
コーヒーをゆっくり飲んで、朝食をとって、さて今日は何をしようか。
お会計を頼むと料金はUS$2.88です。
安いなあと思い、日頃の生活を少し反省します。
今日は完璧な朝でした。
日本は寒いようです。
10月は日本列島を南北に飛び回っていましたが、長野県で少しだけ紅葉の始まりを眺めることが出来ました。
今年初めての寒い感覚と、朝の深呼吸で吐き出した息が白くなっていました。
早朝に、のんびりと歩いていると学生達の通学に出会いました。
そうか、近頃の学校は土曜日もあるのかと思います。
土曜が休みになったのはいつ頃からだったのか。
記憶を辿っていっても何も思い浮かびません。
始めて入った会社は既に週休2日制でした。
それから、あまり日本のカレンダーで生活していないので、春の連休とか、秋の連休とかあまりぴんときません。
コンピュータに登録した日本と外国の祝日で、ああ明日は祝日だと色々な国で思います。
どこか焦点の定まらない日々に、少し戸惑っています。
昨日、始めて会った人に仕事以外で何をしているのかと聞かれさらに困惑。
日本人と付き合うわけでもなく、現地の人との付き合いも、仕事以外ではほとんどありません。
部屋に帰って、ネットを眺め、日常の細々したことを少しやると、あとは寝るだけです。
あえて言えば本を読んでいるぐらいでしょうか。
時々、カジノなどにも行きますが、そこでもぼんやりしていて、それでは勝てる訳もありません。
以前は映画や日本のテレビドラマをDVDで見ていましたが、それも近頃は皆無です。
どうも全てに焦点がずれている感じで、日常生活をこなすことで何とか生活の形を保っています。
相変わらず宮部みゆきは面白いなと、厚い上中下の文庫本を読んでいます。
初めて、よしもとばななの本を読みました。
伊藤計劃+円城塔も面白かった。
蚕が桑葉をはむように、何も考えないで本を読んでいます。
お腹がくちくなったら何かに変態できるのかなと。
下らないことは考えています。
10月は日本列島を南北に飛び回っていましたが、長野県で少しだけ紅葉の始まりを眺めることが出来ました。
今年初めての寒い感覚と、朝の深呼吸で吐き出した息が白くなっていました。
早朝に、のんびりと歩いていると学生達の通学に出会いました。
そうか、近頃の学校は土曜日もあるのかと思います。
土曜が休みになったのはいつ頃からだったのか。
記憶を辿っていっても何も思い浮かびません。
始めて入った会社は既に週休2日制でした。
それから、あまり日本のカレンダーで生活していないので、春の連休とか、秋の連休とかあまりぴんときません。
コンピュータに登録した日本と外国の祝日で、ああ明日は祝日だと色々な国で思います。
どこか焦点の定まらない日々に、少し戸惑っています。
昨日、始めて会った人に仕事以外で何をしているのかと聞かれさらに困惑。
日本人と付き合うわけでもなく、現地の人との付き合いも、仕事以外ではほとんどありません。
部屋に帰って、ネットを眺め、日常の細々したことを少しやると、あとは寝るだけです。
あえて言えば本を読んでいるぐらいでしょうか。
時々、カジノなどにも行きますが、そこでもぼんやりしていて、それでは勝てる訳もありません。
以前は映画や日本のテレビドラマをDVDで見ていましたが、それも近頃は皆無です。
どうも全てに焦点がずれている感じで、日常生活をこなすことで何とか生活の形を保っています。
相変わらず宮部みゆきは面白いなと、厚い上中下の文庫本を読んでいます。
初めて、よしもとばななの本を読みました。
伊藤計劃+円城塔も面白かった。
蚕が桑葉をはむように、何も考えないで本を読んでいます。
お腹がくちくなったら何かに変態できるのかなと。
下らないことは考えています。
酒を飲んでいて、何かを思いついた。
掴めそうで、掴めない思いが、夜空に消えていった。
東南アジアでの毎日です。
忙しかった日々にようやく一息。
25メータープールを無呼吸で泳ぎ切って、ようやく水面に浮上した感じです。
空気の新鮮さに歓喜しています。
でも、一瞬掴んで、消えていった思いは何だったんだろうか。
時間への思い。
誰かへの思い。
過去への思い。
ただ、その瞬間を言葉にできたのか。
酔いに惑わされた幻想か。
一瞬、それは手の中にあったのだが。
その何かに名前をつけておけば良かったと思う。
色の記憶だけでもあれば、違った記憶になっただろう。
宇宙へ、無限に伸ばされた記憶のハシゴをたどるようだ。
そうだ、その日は満月だった。
街灯もない街角で、道路を照らし出す店の明かり。
掴んだのは、この不確かな光景についての何かだった。
でも、何だったのかはもう消えてしまった。
掴めそうで、掴めない思いが、夜空に消えていった。
東南アジアでの毎日です。
忙しかった日々にようやく一息。
25メータープールを無呼吸で泳ぎ切って、ようやく水面に浮上した感じです。
空気の新鮮さに歓喜しています。
でも、一瞬掴んで、消えていった思いは何だったんだろうか。
時間への思い。
誰かへの思い。
過去への思い。
ただ、その瞬間を言葉にできたのか。
酔いに惑わされた幻想か。
一瞬、それは手の中にあったのだが。
その何かに名前をつけておけば良かったと思う。
色の記憶だけでもあれば、違った記憶になっただろう。
宇宙へ、無限に伸ばされた記憶のハシゴをたどるようだ。
そうだ、その日は満月だった。
街灯もない街角で、道路を照らし出す店の明かり。
掴んだのは、この不確かな光景についての何かだった。
でも、何だったのかはもう消えてしまった。
台風が日本列島を横切った翌日の朝、駅のプラットホームに佇んでいると富士山が見えていました。
暑い日射しは夏を思わせながらも、空と地上の間の夾雑物はすっかり取り払われ、完璧な蒼穹です。
今日の通勤途中、いつも見慣れている公園は彼岸花の紅に染まっていました。
よく見ると、ぽつぽつと白い彼岸花も咲いています。
暑くもなく、寒くもない、穏やかな秋の日です。
数日前のように、夏を思わせるような強い日射が戻ってくることはもうないのでしょうか。
これからは釣瓶落しのように秋は深まり、冬まで一気に進んでゆくのでしょうか。
日本の周辺がザワザワして、この影響が少しずつ他の国々にも広がらないか少し心配です。
大きな戦争がなくなり、世界は平和に向かうのかと思えば、以前にもまして局地的な紛争やテロが頻発しています。
経験的には独裁的な政治体制を敷いている国の方が、政権に逆らわない限り、小さな犯罪に遭う可能性は低いようです。
独裁的な政権が、経済成長や天然資源から得られる利益の再配分をある程度出来ていれば、普通の人にとっては暮らしやすい体制ではないかと思うことがあります。
自由のない安定した生活と自由のある不安定な生活と、冷静に比較してから、どちらかが意図的に選ばれることは残念ながらありません。
革命でも、大きな社会変革でも、それは始まった時点で長く厳しい道のりの始まりであることを思うと、人類の未来とか、社会の進歩とかの美辞麗句が空しく思えます。
それでも人は前に進みたいもののようです。
退嬰的な考え方だと思いながらも、江戸時代のように激しく進歩しない時代を選択できないかと夢想します。
無限の差異に埋もれて、多彩でありなが、何も新しくない世界。
江戸時代に日本が世界に対して自らを閉じていた代償を後々払わされたことを思えば、百年単位で考えれば合理的でない選択しですが。
日本列島周辺で、自然だけでなく、様々な雑音が増えてきて安定しない日々です。
これぐらい平和続くと、平和でない状態への想像力が欠如してくるようにも思えます。
日本の尊厳や利益を守るために毅然とした対応という言葉の向こうに、戦争という言葉が見え隠れしているのではと思える今日この頃です。
暑い日射しは夏を思わせながらも、空と地上の間の夾雑物はすっかり取り払われ、完璧な蒼穹です。
今日の通勤途中、いつも見慣れている公園は彼岸花の紅に染まっていました。
よく見ると、ぽつぽつと白い彼岸花も咲いています。
暑くもなく、寒くもない、穏やかな秋の日です。
数日前のように、夏を思わせるような強い日射が戻ってくることはもうないのでしょうか。
これからは釣瓶落しのように秋は深まり、冬まで一気に進んでゆくのでしょうか。
日本の周辺がザワザワして、この影響が少しずつ他の国々にも広がらないか少し心配です。
大きな戦争がなくなり、世界は平和に向かうのかと思えば、以前にもまして局地的な紛争やテロが頻発しています。
経験的には独裁的な政治体制を敷いている国の方が、政権に逆らわない限り、小さな犯罪に遭う可能性は低いようです。
独裁的な政権が、経済成長や天然資源から得られる利益の再配分をある程度出来ていれば、普通の人にとっては暮らしやすい体制ではないかと思うことがあります。
自由のない安定した生活と自由のある不安定な生活と、冷静に比較してから、どちらかが意図的に選ばれることは残念ながらありません。
革命でも、大きな社会変革でも、それは始まった時点で長く厳しい道のりの始まりであることを思うと、人類の未来とか、社会の進歩とかの美辞麗句が空しく思えます。
それでも人は前に進みたいもののようです。
退嬰的な考え方だと思いながらも、江戸時代のように激しく進歩しない時代を選択できないかと夢想します。
無限の差異に埋もれて、多彩でありなが、何も新しくない世界。
江戸時代に日本が世界に対して自らを閉じていた代償を後々払わされたことを思えば、百年単位で考えれば合理的でない選択しですが。
日本列島周辺で、自然だけでなく、様々な雑音が増えてきて安定しない日々です。
これぐらい平和続くと、平和でない状態への想像力が欠如してくるようにも思えます。
日本の尊厳や利益を守るために毅然とした対応という言葉の向こうに、戦争という言葉が見え隠れしているのではと思える今日この頃です。
快適な服装を選ぶのが難しい毎日です。
朝夕は肌寒いぐらいなのに、昼間は汗ばむぐらい暑くなります。
機能性重視ということにして、流行にはついてゆけないことを糊塗していますが、暑さ寒さはうまくしのぎたいものです。
朝、上着をもう一枚着ようか着るまいか。
厚手のシャツ一枚にしようか。
空を見て、ベランダで外の空気を確かめ、天気予報を確認して、結局、なるべく身軽な格好を選びます。
といってもジーパンに木綿のボタンダウンという、学生時代からの定番を維持しています。
変わったことは、靴があまりごついワークブーツ系ではなくなったことぐらい。
オジジになってもこの格好を維持するのだろうと思います。
最大の問題は太ったり、ダイエットしたりを繰り返しているので、なかなかフィット感が得られないこと。
日常着ならばまだしも、稀なハレに背広などを着なければならない時には特に気持ち悪いものです。
お鍋が美味しい季節となり、きりたんぽなどが懐かしくなる季節は危険です。
近頃読んでいた本に、本を見るという習慣が失われ、読む物になってしまったということが書いてありました。
書見という言葉があるように、本に接するということは、本全体から立ち上がる感覚と共に、その内容を猟歩するものだったのかもしれません。
本の表装、紙の質と色、文字の形、本を初めて開いた時に立ち上る匂い、栞紐の色と舐めたときの味などが、本の内容と同じぐらい重要になります。
(栞紐を舐めるのは私の子供時代からの癖なので一般的ではないのですが)
好きな作家の箱入りハードカバーを書店で見つけて、寸分の遊びもまだない硬い箱から取り出して、初めて開く瞬間のちょっとした喜びを随分味わっていません。
それも書見の一部だと思うのですが。
近頃、読み終えた本を手元に残したいと思うことはほとんどなくなりましたが、今でも捨てられない本はあります。
なぜ捨てられないのか。
残している理由が既に分からなくなった本もあるのですが。
あれらの本を全て捨てられる日が来たら、もう少し身軽になれるかなと夢想します。
書痴であった尻尾の痕跡なので、なかなか難しそうですが。
朝夕は肌寒いぐらいなのに、昼間は汗ばむぐらい暑くなります。
機能性重視ということにして、流行にはついてゆけないことを糊塗していますが、暑さ寒さはうまくしのぎたいものです。
朝、上着をもう一枚着ようか着るまいか。
厚手のシャツ一枚にしようか。
空を見て、ベランダで外の空気を確かめ、天気予報を確認して、結局、なるべく身軽な格好を選びます。
といってもジーパンに木綿のボタンダウンという、学生時代からの定番を維持しています。
変わったことは、靴があまりごついワークブーツ系ではなくなったことぐらい。
オジジになってもこの格好を維持するのだろうと思います。
最大の問題は太ったり、ダイエットしたりを繰り返しているので、なかなかフィット感が得られないこと。
日常着ならばまだしも、稀なハレに背広などを着なければならない時には特に気持ち悪いものです。
お鍋が美味しい季節となり、きりたんぽなどが懐かしくなる季節は危険です。
近頃読んでいた本に、本を見るという習慣が失われ、読む物になってしまったということが書いてありました。
書見という言葉があるように、本に接するということは、本全体から立ち上がる感覚と共に、その内容を猟歩するものだったのかもしれません。
本の表装、紙の質と色、文字の形、本を初めて開いた時に立ち上る匂い、栞紐の色と舐めたときの味などが、本の内容と同じぐらい重要になります。
(栞紐を舐めるのは私の子供時代からの癖なので一般的ではないのですが)
好きな作家の箱入りハードカバーを書店で見つけて、寸分の遊びもまだない硬い箱から取り出して、初めて開く瞬間のちょっとした喜びを随分味わっていません。
それも書見の一部だと思うのですが。
近頃、読み終えた本を手元に残したいと思うことはほとんどなくなりましたが、今でも捨てられない本はあります。
なぜ捨てられないのか。
残している理由が既に分からなくなった本もあるのですが。
あれらの本を全て捨てられる日が来たら、もう少し身軽になれるかなと夢想します。
書痴であった尻尾の痕跡なので、なかなか難しそうですが。
ここ数日の季候の変化に戸惑いながらも、秋が来たとただ喜んでいます。
ベランダで咲く朝顔の花がすっかり季節外れになりました。
少し黄色くなったレモンは全て収穫です。
次の季節に備えて、常緑樹は身構えるように枝葉を固くして、落葉樹は裸になる季節を覚悟しているようです。
台風は自然の脅威ですが、日本の空を被っていた夏を巨大な渦巻きが太平洋に運んでしまったようです。
見上げた青空はどこまでも深く、遙かです。
日本に帰ってくると通勤時間が長くなります。
海外にいると、車でホテルの出口から事務所の入口まで十分ぐらいで移動してしまうので、外の小さな変化に気づくことが少ないように思います。
日本にいると一時間ぐらいの通勤時間で、歩いて、電車に乗って、また歩きます。
いつもの道、いつもの路線を使っているので、ちょっとした変化が新鮮です。
ある日の夕方は電車から虹が見えていました。
とても立派な脚をした虹でしたが、円形のアーチはもう夕暮れに消えていました。
ある朝は飛行船が空を飛んでいました。
青空を背景に飛行船が空に浮いている様子はマグネットで空に留められたオモチャのようです。
通勤時間に出会う小さな出来事は小確幸です。
そういえば近所の焼き肉屋が閉まってしまいました。
昔から続いている店で、なかなか濃い人達がたむろう店でした。
店主夫婦はかなり年配だったのですが、跡継ぎがいなかったのか、結構繁盛していたようにも思うので残念です。
店の表に九月二十日頃に閉店しますという、なかなかアバウトな告知でした。
九月二十日を過ぎて店の前を通ると看板も告知もなくなり、無事に閉店したようです。
寂しい気持ちと、可笑しさが半々で、ゆっくりと店の前を通り過ぎました。
ベランダで咲く朝顔の花がすっかり季節外れになりました。
少し黄色くなったレモンは全て収穫です。
次の季節に備えて、常緑樹は身構えるように枝葉を固くして、落葉樹は裸になる季節を覚悟しているようです。
台風は自然の脅威ですが、日本の空を被っていた夏を巨大な渦巻きが太平洋に運んでしまったようです。
見上げた青空はどこまでも深く、遙かです。
日本に帰ってくると通勤時間が長くなります。
海外にいると、車でホテルの出口から事務所の入口まで十分ぐらいで移動してしまうので、外の小さな変化に気づくことが少ないように思います。
日本にいると一時間ぐらいの通勤時間で、歩いて、電車に乗って、また歩きます。
いつもの道、いつもの路線を使っているので、ちょっとした変化が新鮮です。
ある日の夕方は電車から虹が見えていました。
とても立派な脚をした虹でしたが、円形のアーチはもう夕暮れに消えていました。
ある朝は飛行船が空を飛んでいました。
青空を背景に飛行船が空に浮いている様子はマグネットで空に留められたオモチャのようです。
通勤時間に出会う小さな出来事は小確幸です。
そういえば近所の焼き肉屋が閉まってしまいました。
昔から続いている店で、なかなか濃い人達がたむろう店でした。
店主夫婦はかなり年配だったのですが、跡継ぎがいなかったのか、結構繁盛していたようにも思うので残念です。
店の表に九月二十日頃に閉店しますという、なかなかアバウトな告知でした。
九月二十日を過ぎて店の前を通ると看板も告知もなくなり、無事に閉店したようです。
寂しい気持ちと、可笑しさが半々で、ゆっくりと店の前を通り過ぎました。
明日は秋分の日です。
舞台の背景に貼られた書き割りのような夏がはらりとめくれると、秋が来ていました。
開け放たれた窓から流れ込む空気に涼やかさを感じます。
また季節の境目に来たのだと少し嬉しくなりました。
帰国して今回はほとんど本を買っていません。
昨日、ようやく1冊目を買いました。
本のタイトルが気になり、映画にもなったことを知っていたので買うことにしました。
476円+税ということで500円です。
古本屋を舞台にした話しですが、ふむふむと読んでいると、短い話しなので最後まで読み終えることができました。
女性が主人公なのに作者が男性という、新人作家らしからぬ企みがあって、終わりには主人公が話しの発端となったウックツから解放されるという山もあります。
しかし面白い本はないな。
最近で最高に面白かったのは昨年の夏に読んだ伊藤計劃の二冊ぐらいか。
ちょっと前だけれど、近藤史恵の「サクリファイス」みたいな本に出会いたいと願う。
安定して面白い作者はいるけれど、新鮮な驚きと昂奮を与えてくれるのは新人作家だけだ。
今は3冊の文庫本が鞄に放り込んであり、時々、交互にそれらを読んでいる。
面白いけれどあまり昂奮しないので長く読んでいると退屈だ。
全く不真面目な読書術です。
1冊目、同じ作家のシリーズ物は3つ目を越えると苦しいな。
(そういえば、作家は違うが百冊ぐらいまでは読んだペリー・ローダン・シリーズが懐かしい)
2冊目、雨の日、水たまりに落とした文庫本は本当によれよれで、なにげに会社の机の上に置いておけばゴミだと思われ捨てられそうだ。
3冊目、この南米のスーパー・リアリズム・ノーベル賞作家の本を読み終えることはあるのか。
スーツケースに溜まった20冊以上の文庫本を出張の度に持ち歩いているが、どうしようかと思う今日この頃。
とりあえず読書の秋の目標はこの3冊を読み終えること。
舞台の背景に貼られた書き割りのような夏がはらりとめくれると、秋が来ていました。
開け放たれた窓から流れ込む空気に涼やかさを感じます。
また季節の境目に来たのだと少し嬉しくなりました。
帰国して今回はほとんど本を買っていません。
昨日、ようやく1冊目を買いました。
本のタイトルが気になり、映画にもなったことを知っていたので買うことにしました。
476円+税ということで500円です。
古本屋を舞台にした話しですが、ふむふむと読んでいると、短い話しなので最後まで読み終えることができました。
女性が主人公なのに作者が男性という、新人作家らしからぬ企みがあって、終わりには主人公が話しの発端となったウックツから解放されるという山もあります。
しかし面白い本はないな。
最近で最高に面白かったのは昨年の夏に読んだ伊藤計劃の二冊ぐらいか。
ちょっと前だけれど、近藤史恵の「サクリファイス」みたいな本に出会いたいと願う。
安定して面白い作者はいるけれど、新鮮な驚きと昂奮を与えてくれるのは新人作家だけだ。
今は3冊の文庫本が鞄に放り込んであり、時々、交互にそれらを読んでいる。
面白いけれどあまり昂奮しないので長く読んでいると退屈だ。
全く不真面目な読書術です。
1冊目、同じ作家のシリーズ物は3つ目を越えると苦しいな。
(そういえば、作家は違うが百冊ぐらいまでは読んだペリー・ローダン・シリーズが懐かしい)
2冊目、雨の日、水たまりに落とした文庫本は本当によれよれで、なにげに会社の机の上に置いておけばゴミだと思われ捨てられそうだ。
3冊目、この南米のスーパー・リアリズム・ノーベル賞作家の本を読み終えることはあるのか。
スーツケースに溜まった20冊以上の文庫本を出張の度に持ち歩いているが、どうしようかと思う今日この頃。
とりあえず読書の秋の目標はこの3冊を読み終えること。
少しずつ冬支度が始まる候です。
しかし、関東では真夏日が続いていて、うだるような暑い毎日です。
全くこれも異常気象なのでしょうか。
日本に帰ってきて衝撃。
水やりが悪かったのか、もみの木が枯れかかっていました。
これでは今年のクリスマスツリーには使えそうにありません。
このまま枯れないことを願うばかりです。
そういえばレモンの実がかなり大きくなっていました。
果物の棚で売られているレモンよりは一回り小ぶりなのでもう少し大きくなるのでしょうか。
収穫が楽しみですが、収穫するとそれほど長く保存できないようなので、少しずつ収穫してゆこうと思います。
料理にはよく使いますが、余らせることも多くて、冷蔵庫で腐らせてしまいます。
庭で収穫したレモンが楽しみです。
しばらく日本です。
もう少し秋らしくなって、せめて朝夕は涼しくなると良いなと思います。
ここ数日は台風のせいか雨が時々降って、過ごしやすくなってきたようにも思いますが。
9月はうだうだ月間ということで、会社の片隅でひそかにのんびり過ごしたいと思います。
しかし、関東では真夏日が続いていて、うだるような暑い毎日です。
全くこれも異常気象なのでしょうか。
日本に帰ってきて衝撃。
水やりが悪かったのか、もみの木が枯れかかっていました。
これでは今年のクリスマスツリーには使えそうにありません。
このまま枯れないことを願うばかりです。
そういえばレモンの実がかなり大きくなっていました。
果物の棚で売られているレモンよりは一回り小ぶりなのでもう少し大きくなるのでしょうか。
収穫が楽しみですが、収穫するとそれほど長く保存できないようなので、少しずつ収穫してゆこうと思います。
料理にはよく使いますが、余らせることも多くて、冷蔵庫で腐らせてしまいます。
庭で収穫したレモンが楽しみです。
しばらく日本です。
もう少し秋らしくなって、せめて朝夕は涼しくなると良いなと思います。
ここ数日は台風のせいか雨が時々降って、過ごしやすくなってきたようにも思いますが。
9月はうだうだ月間ということで、会社の片隅でひそかにのんびり過ごしたいと思います。
朝夕の冷気の中で、葉先に白露が結んで、その冷たさに驚く候です。
白露とは幻のようなはかなさをあらわしているとのこと。
今日の東京の最低気温が25℃と、朝夕の冷気にはほど遠い、まだまだ残暑が厳しいようです。
葉先の白露自体が幻です。
さて、宿泊中のホテルは日本食レストランを通らないとエレベーターにたどり着けません。
毎日、行き来を繰り返し、ウエートレスとはすっかり顔なじみです。
平日の朝はまだ店が開いていないのですが、土日の遅い時間に降りてゆくと、元気な声で「オハヨウゴザイマス」と挨拶されます。
夕方帰って来ると「オカエリナサイ」。
夜も更けた時間に帰ってくると「オヤスミナサイ」。
もう挨拶だけは完璧な状態です。
朝、朝食に向かっているときにはまだ頭がボーッとしているので、あまりに勢いよく「オハヨウゴザイマス」と言われると、ついつい下を向いて、逃げるようにカフェに向かいます。
夕方は余裕があるので「オカエリナサイ」に笑顔で応えます。
夜更けの「オヤスミナサイ」を聞くとちょっと残念です。
同僚によればこのレストランの制服がエッチだとのこと。
病院の寝間着のようなデザインで、真っ白です。
確かにちょっとエッチかもしれませんが、一応和風の制服だと思います。
しかし、先日行った和風を意識した鍋の店では、一部の女性店員がまさに浅草の外国人旅行者向けに売っている、寝間着のような派手派手着物を着ていました。
(ピンク色で、裾の長いガウンにちょっと袂らしきものが付いていて、帯代わりに紐を巻いていました)
ムムムム、こっちの方が遙にエッチで、人前で着るのは如何かと個人的には思いました。
あのナンチャッテ着物よりは、ホテル下にあるレストランの制服の方が遙に趣味が良いと思うのですが。
まあ着物はどうであれ、中身が大切なのは言うまでもありません。
先日行ってみたモエカフェの制服はほぼ日本クオリティーでしたが、やはり中身が大切です。
あそこよりホテル下のレストランの方が萌えのクオリティーは高いと思います。
ということで、毎日の挨拶の最後に加えて欲しい言葉があります。
「ご主人様」
(特に夜を希望)
真面目そうな女の子ばかりだから、挨拶のあとにつけるとより丁寧だと教えたら信じるだろうなと思います。
そうなったら『萌え萌え日本食レストラン』として大々的に売り出すのはどうでしょう。
白露とは幻のようなはかなさをあらわしているとのこと。
今日の東京の最低気温が25℃と、朝夕の冷気にはほど遠い、まだまだ残暑が厳しいようです。
葉先の白露自体が幻です。
さて、宿泊中のホテルは日本食レストランを通らないとエレベーターにたどり着けません。
毎日、行き来を繰り返し、ウエートレスとはすっかり顔なじみです。
平日の朝はまだ店が開いていないのですが、土日の遅い時間に降りてゆくと、元気な声で「オハヨウゴザイマス」と挨拶されます。
夕方帰って来ると「オカエリナサイ」。
夜も更けた時間に帰ってくると「オヤスミナサイ」。
もう挨拶だけは完璧な状態です。
朝、朝食に向かっているときにはまだ頭がボーッとしているので、あまりに勢いよく「オハヨウゴザイマス」と言われると、ついつい下を向いて、逃げるようにカフェに向かいます。
夕方は余裕があるので「オカエリナサイ」に笑顔で応えます。
夜更けの「オヤスミナサイ」を聞くとちょっと残念です。
同僚によればこのレストランの制服がエッチだとのこと。
病院の寝間着のようなデザインで、真っ白です。
確かにちょっとエッチかもしれませんが、一応和風の制服だと思います。
しかし、先日行った和風を意識した鍋の店では、一部の女性店員がまさに浅草の外国人旅行者向けに売っている、寝間着のような派手派手着物を着ていました。
(ピンク色で、裾の長いガウンにちょっと袂らしきものが付いていて、帯代わりに紐を巻いていました)
ムムムム、こっちの方が遙にエッチで、人前で着るのは如何かと個人的には思いました。
あのナンチャッテ着物よりは、ホテル下にあるレストランの制服の方が遙に趣味が良いと思うのですが。
まあ着物はどうであれ、中身が大切なのは言うまでもありません。
先日行ってみたモエカフェの制服はほぼ日本クオリティーでしたが、やはり中身が大切です。
あそこよりホテル下のレストランの方が萌えのクオリティーは高いと思います。
ということで、毎日の挨拶の最後に加えて欲しい言葉があります。
「ご主人様」
(特に夜を希望)
真面目そうな女の子ばかりだから、挨拶のあとにつけるとより丁寧だと教えたら信じるだろうなと思います。
そうなったら『萌え萌え日本食レストラン』として大々的に売り出すのはどうでしょう。
外国でゲテモノ系の食べ物には好んで手を出しません。
もちろんゲテモノという定義はニッポンを基準にしているので、それぞれの国では一般的で、人気のある食べ物は結構あります。
慣れてしまうと、日本ではゲテモノ扱いされる物でも普通に食べていますが。
豚肉は、多くの国ではゲテモノではありませんが、豚の頭部全体をスモークした物を美味しそうと感じるのか、まあそれぞれの感性次第です。
(どうも中国系文化らしく、豚の頭部の笑っているような表情が良いらしいです)
ということで下の写真は今日のお弁当のおかずでした。

まあ、なんて愛らしい蛙の丸揚げだと頭からポリポリ食べるか、ゲロゲロと蓋を閉めるか、もちろん個人の感性です。
蛙の足は割と普通に食べますが、丸揚げを食べるのは初めてです。
味は普通の小魚の丸揚げのようなものですが、これはこの国で一般的な食べ物なのでしょうか?
よく見ると頭部とお腹の一部を切り落として、料理になかなか手間が掛かりそうです。
もちろん、そこら辺の川から捕ってきたのであればコストゼロなので、十分魅力的な食材です。(ただしお店にとって)
などなど考えながら食べていたら、足の先っぽがかなり残ってしまいました。
ちょっと足の先っぽが取れ易いようなので次から注意します。
暇つぶしにYouTubeを見ていたら、アイドルの番組で罰ゲームとしてコオロギの空揚げを食べていました。
この国では何でもないことが罰ゲームになるのだと、フムフムと思います。
この子達をこの国の市場に連れて行って、そこらへんの食べ物を食べさせたら罰ゲームになるのでしょう。
肉屋にしても、魚屋にしても、大なたで切り分けた原型の残る肉の固まりがゴロゴロ置いてあり、ニワトリなども羽を毟っただけで吊してあります。
ということで、蛙の丸揚げに関しては継続調査中。
これは普通の食べ物なのか。
そして、どのようにしてこの食材を入手したのか。
知りたいような、知りたくないような調査です。
もちろんゲテモノという定義はニッポンを基準にしているので、それぞれの国では一般的で、人気のある食べ物は結構あります。
慣れてしまうと、日本ではゲテモノ扱いされる物でも普通に食べていますが。
豚肉は、多くの国ではゲテモノではありませんが、豚の頭部全体をスモークした物を美味しそうと感じるのか、まあそれぞれの感性次第です。
(どうも中国系文化らしく、豚の頭部の笑っているような表情が良いらしいです)
ということで下の写真は今日のお弁当のおかずでした。

まあ、なんて愛らしい蛙の丸揚げだと頭からポリポリ食べるか、ゲロゲロと蓋を閉めるか、もちろん個人の感性です。
蛙の足は割と普通に食べますが、丸揚げを食べるのは初めてです。
味は普通の小魚の丸揚げのようなものですが、これはこの国で一般的な食べ物なのでしょうか?
よく見ると頭部とお腹の一部を切り落として、料理になかなか手間が掛かりそうです。
もちろん、そこら辺の川から捕ってきたのであればコストゼロなので、十分魅力的な食材です。(ただしお店にとって)
などなど考えながら食べていたら、足の先っぽがかなり残ってしまいました。
ちょっと足の先っぽが取れ易いようなので次から注意します。
暇つぶしにYouTubeを見ていたら、アイドルの番組で罰ゲームとしてコオロギの空揚げを食べていました。
この国では何でもないことが罰ゲームになるのだと、フムフムと思います。
この子達をこの国の市場に連れて行って、そこらへんの食べ物を食べさせたら罰ゲームになるのでしょう。
肉屋にしても、魚屋にしても、大なたで切り分けた原型の残る肉の固まりがゴロゴロ置いてあり、ニワトリなども羽を毟っただけで吊してあります。
ということで、蛙の丸揚げに関しては継続調査中。
これは普通の食べ物なのか。
そして、どのようにしてこの食材を入手したのか。
知りたいような、知りたくないような調査です。
