私は47歳 3人の子持ち

丁度一週間前に結婚19年目の妻を末期のすい臓癌で亡くし、シングルファーザーになりました。
故人の希望で葬儀はせず、火葬のみ いわゆる直葬。コロナのせいか焼き場が込み合っているらしく 昨日が納棺。今日が火葬。

黄痰で黄色かった顔も綺麗に化粧をしていただき旅立つ準備が着々と整いました。

奇しくも昨日は、彼女の誕生日。こんな悲しい誕生日ってあるのだろうか。

ケーキも蝋燭もなし、あげられるのは線香の煙だけだった

 

去年の12月頃からお腹の調子が悪かったらしい。そんな話を聞いた覚えも無かったが、2月頃 最寄りの病院でCTを撮ると聞いた。

私も1月に健康診断の再検査でCTを撮り何でもなかった事からさして気にしていなかったが、検査結果は有明 癌研への紹介状だった。

癌研を紹介された事を認めたくなかったのか、「間違えって事もあるし」と半ば希望をもって臨んだ検査。いろいろな検査を経て出た結果は、すい臓癌と肝臓への転移だった。

この時点で3月。彼女が違和感を感じてから早3か月が経過しようとしていた。

医師は、「かなり癌の勢いが凄く、ギリギリ抗がん剤治療ができるかどうかの瀬戸際です。ほかの先生にも相談して決めますが、とりあえず、すぐに入院して頑張って治療しましょう」と告げたが、妻が病室を出たタイミングで もう少し先生と話したいと部屋に残り 私が問いかけたのは 「肝臓への転移という事は ステージ4でしょうか」「そうなります」「残りの時間は1年でしょうか、2年でしょうか」「抗がん剤が効けば、1か月 もう1か月と伸ばしていきましょう。まずは1年を目標に頑張りましょう。ただ、抗がん剤が効かなかった場合、最悪1~2週間という事も覚悟してほしい」

 

目の前が真っ暗とは この事を言うのだろうか 今の時代 便利で、スマホで簡単にすい臓がんについて調べる事ができる。事前に調べていた他臓器への転移 ステージ4 5年後の生存率は数パーセントだった

マンネリの夫婦仲と思っていたが、医師の説明を聞いて涙が止まらなかった。診察室を出るまでには泣き止まなければ 本人に知られないようにと意識をしたが 一度止めた涙は彼女の顔を見るとまた溢れ出してしまった。

彼女がどこまで事前に調べていたかは分からないが 仕方がないと力なく微笑んでいた気がした。

 

彼女と癌研に行く数日前 3男が体調不良で発熱をした。検査の帰り 2男が微熱があるので塾を休みたいとLineが入っていた。妻にはおどけながらも「コロナだと困るから室内でもマスクをしなよ」と告げるも彼女は笑ってマスクをしなかった。

数日後、入院前の抗原検査 検査の結果は陽性。入院は出来なくなった。

10日間の自宅待機。無論 濃厚接触者である家族も自宅待機。5人家族宛に送られてきた1人用7日分の非常食等にみな外出禁止ではと苦笑しながら待機明けを待った。

待機明け すぐに診察。血液検査の結果は更なる進行 数値の悪化だった。
とりあえず入院しましょうと1週間の予定で入院をした。
コロナのせいで見送りもエレベーターホールまで、「必ず生きて帰ってくるんだよ」と彼女を見送った。これが最後の別れにならない事を祈って
入院2日目 内視鏡検査をやるとLineがあった。

内視鏡検査の結果なのか 黄痰が見られたので 抗がん剤治療はできない 退院になったとLineがあった。急だけど迎えに来てくれるに対しても平気だよと答えたが もう一切の治療ができないと宣告されたのだ
治療ができないってどう言う事なんだろう 頭では理解していたが 認めたくはなかった

入院4日目で退院。さらに3日後 再度診察という事で訪問するも前回は血を抜いてから結果が出るまでと5時間位待たされたのが、この日は結果が出る前に問診だった。
そのわずかな間ではあったが、久しぶりに手をつないで隣接する公園を歩いて桜やチューリップ。花々を見た。

 

「あとどれ位ですか」「たぶん1週間。2週間もつかな」本人の前で告げられた余命宣告。
今の医師は聞かないと余命について答えてくれないのかと本人を前にして聞かなければ良かったという後悔。そして止まらない私の涙。
看護師さんから よく聞けたねと肩をさすられティシュを勧められるも 涙を流さない 流せない彼女を見て 自分が泣き止まないことを後悔した。
彼女が泣いていないのに俺が泣き止まないなんて 泣きたいのはこっちだよと思っていなかっただろうか

この後 地域連携サポート 在宅での緩和ケアについての話を聞き 先生を紹介してもらって 家族での在宅緩和ケアが始まった

 

入院の選択肢はもちろんあったが、既に治療は出来ない状態。

何かあれば直ぐに医師が対応できるメリットはあるが、コロナが蔓延するこの時代 面会も限られてしまう。入院してしまえば 退院はない。もう逢えない事も想定できる。

そうであれば わずかな時間であろうとも 少しでも一緒にいよう そんな選択肢だった。

ただ医師からは 旦那さんが大変な思いをしますよ と告げられたが 彼女のためにも 子供たちのためにもと選んだ回答だった