5月から参加しているチャリティークッキング教室の先生が、
3月の震災の被災地にボランティアに行くというので
一緒に連れて行ってもらうことにした。
以前から、機会があれば行きたいと思っていたから。
ということで、10月13日(金)から2泊3日で行ってきました。
場所は岩手県宮古市と山田町。
ニュースで何度も聞いた地名。
今回の参加者は教室の先生と生徒さん1人と私の3人。
2人とも私よりはかなり歳上。
体力面には若干の不安が残るけれど、
2人ともかなりアクティブな人たちなので、
そういう意味では私のほうが心配。
そして2人ともおばさんと言うのが憚られるようなマダム。
13日の朝早くに家を出て東京駅で待ち合わせ。新幹線で盛岡へ。
教室で集まったお金からお弁当代を頂いた私たちは、
半分旅行気分で楽しくおしゃべりをしながら向かった。
盛岡からバスで宮古へ。片道2時間。
山々は紅葉まっただ中で、本当に綺麗だった。
道に沿って川が流れていて、川の水も澄んで底が見え、
浅瀬も多くて川遊びするには最高だな、などと考えていた。
宮古に着いたのがお昼過ぎ。
駅からタクシーで今回お世話になる教会へ向かった。
先生はクリスチャンなので、お知り合いに頼んで教会に泊めて頂けることになったのだ。
教会は1階が食堂やキッチンで、
2階にはいくつか部屋があり、ボランティアさんが泊まれるようになっていた。
今回は私たちとは別に、札幌からシスターと旭川から笑顔の可愛いおばさんがひとり来ていた。
次の日年齢を聞いてびっくりしたのだが、おばさんは69歳でシスターはなんと78歳だった。
1週間滞在されるということで、本当にすごいと思った。
2人とも小さくて、失礼だけれど、並ぶとホントに可愛かった。
あと、4月からずっと常駐して支援を続けているおじさんが2人いた。
2人とも札幌の方で、1人は穏やかであまり多くを語らない人で、
もう一人は対照的に勝気で短気な感じの人だった。
短気おじさんは私くらいの息子がいると言っていたので、
60代半ばくらいだろう。穏やかおじさんもおそらく同じくらいだと思う。
なんにしても、みなさん随分高齢だ。
穏やかおじさんの運転する車で山田町へ向かう。
今回のボランティアは、山田の役場の広場でバザーをするということで、
その準備と当日の手伝いをするということだった。
どこへ行って何をするかよく知らずに、とりあえず被災地ボランティア、というだけで
飛びついて参加してしまったので、これらのことも当日に知った。
一緒に行く先生と生徒さんも、料理教室で月に一度顔を合わせるだけなので、
実は本名もよく知らない。
先生と生徒さんは以前からのお知り合いかと思いきや、
聞いてみると料理教室で初めて出会ったとのことで、
よく知らない、世代もバラバラの3人の女が、3日間ほぼ一緒に過ごすという、
不思議なことになった。
山田町までは車で30分ほど。
穏やかおじさんが時々解説してくれる。
「あれが仮設ローソン」とか、「この辺は被害が大きかった」とか。
初めはワイワイと楽しく話しながらのドライブだったが、
山田町に近づくにつれて、徐々に会話は減っていった。
目にする光景を前に、言葉が出なくなっていったのだ。
津波に流されて土台だけになった家が、見渡す限り広がっていた。
その中にポツンと残っている家。窓ガラスは全部割れている。
積み上げられた車。側面や上部がひしゃげている。
TVでは何度も見た光景だったけれど、
生で見るそれらは、全く別物だった。
映像っていうのは、なかなか難しいものだな、と思う。
観ることによって知識を得て、まるで体験したような錯覚を起こすけれども、
それはあくまで錯覚で、実際に生で、自分の五感を通して感じるものというのは、
次元が違う。
画面を通して見ると、それはやっぱりどこか他人事になってしまうような気がした。
観ている時は気づかないけれど、体験してみて初めてわかる。
あ、違った、と。
わかっているつもりで、結局わかっていないのだと思う。
でも観ないよりは観るほうがいい。
レベルの問題。私が傲慢なだけかもしれない。でも、人間てのは大概傲慢だ。
人間の傲慢さについてはまた今度考えるとして、
とにかく、生で見る被災地にはやっぱり衝撃を受けた。
いや、もちろん当初はこんなものではなかったのだろう。
でも、7ヶ月経ってもこの状態、というのは・・・。
TVでも極端に放送される時間は減っている。
でも、まだまだなんだと思った。
まだまだまだまだ・・・
つづく。
