night-kitchen128さんのブログ

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そのとき考えていることを、思いつくままに。

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5月から参加しているチャリティークッキング教室の先生が、

3月の震災の被災地にボランティアに行くというので

一緒に連れて行ってもらうことにした。

以前から、機会があれば行きたいと思っていたから。


ということで、10月13日(金)から2泊3日で行ってきました。

場所は岩手県宮古市と山田町。

ニュースで何度も聞いた地名。

今回の参加者は教室の先生と生徒さん1人と私の3人。

2人とも私よりはかなり歳上。

体力面には若干の不安が残るけれど、

2人ともかなりアクティブな人たちなので、

そういう意味では私のほうが心配。

そして2人ともおばさんと言うのが憚られるようなマダム。


13日の朝早くに家を出て東京駅で待ち合わせ。新幹線で盛岡へ。

教室で集まったお金からお弁当代を頂いた私たちは、

半分旅行気分で楽しくおしゃべりをしながら向かった。

盛岡からバスで宮古へ。片道2時間。

山々は紅葉まっただ中で、本当に綺麗だった。

道に沿って川が流れていて、川の水も澄んで底が見え、

浅瀬も多くて川遊びするには最高だな、などと考えていた。

宮古に着いたのがお昼過ぎ。

駅からタクシーで今回お世話になる教会へ向かった。

先生はクリスチャンなので、お知り合いに頼んで教会に泊めて頂けることになったのだ。

教会は1階が食堂やキッチンで、

2階にはいくつか部屋があり、ボランティアさんが泊まれるようになっていた。

今回は私たちとは別に、札幌からシスターと旭川から笑顔の可愛いおばさんがひとり来ていた。

次の日年齢を聞いてびっくりしたのだが、おばさんは69歳でシスターはなんと78歳だった。

1週間滞在されるということで、本当にすごいと思った。

2人とも小さくて、失礼だけれど、並ぶとホントに可愛かった。

あと、4月からずっと常駐して支援を続けているおじさんが2人いた。

2人とも札幌の方で、1人は穏やかであまり多くを語らない人で、

もう一人は対照的に勝気で短気な感じの人だった。

短気おじさんは私くらいの息子がいると言っていたので、

60代半ばくらいだろう。穏やかおじさんもおそらく同じくらいだと思う。

なんにしても、みなさん随分高齢だ。


穏やかおじさんの運転する車で山田町へ向かう。

今回のボランティアは、山田の役場の広場でバザーをするということで、

その準備と当日の手伝いをするということだった。
どこへ行って何をするかよく知らずに、とりあえず被災地ボランティア、というだけで

飛びついて参加してしまったので、これらのことも当日に知った。

一緒に行く先生と生徒さんも、料理教室で月に一度顔を合わせるだけなので、

実は本名もよく知らない。

先生と生徒さんは以前からのお知り合いかと思いきや、

聞いてみると料理教室で初めて出会ったとのことで、
よく知らない、世代もバラバラの3人の女が、3日間ほぼ一緒に過ごすという、

不思議なことになった。


山田町までは車で30分ほど。

穏やかおじさんが時々解説してくれる。

「あれが仮設ローソン」とか、「この辺は被害が大きかった」とか。

初めはワイワイと楽しく話しながらのドライブだったが、

山田町に近づくにつれて、徐々に会話は減っていった。

目にする光景を前に、言葉が出なくなっていったのだ。

津波に流されて土台だけになった家が、見渡す限り広がっていた。

その中にポツンと残っている家。窓ガラスは全部割れている。

積み上げられた車。側面や上部がひしゃげている。

TVでは何度も見た光景だったけれど、

生で見るそれらは、全く別物だった。


映像っていうのは、なかなか難しいものだな、と思う。

観ることによって知識を得て、まるで体験したような錯覚を起こすけれども、

それはあくまで錯覚で、実際に生で、自分の五感を通して感じるものというのは、

次元が違う。

画面を通して見ると、それはやっぱりどこか他人事になってしまうような気がした。

観ている時は気づかないけれど、体験してみて初めてわかる。

あ、違った、と。

わかっているつもりで、結局わかっていないのだと思う。

でも観ないよりは観るほうがいい。

レベルの問題。私が傲慢なだけかもしれない。でも、人間てのは大概傲慢だ。


人間の傲慢さについてはまた今度考えるとして、

とにかく、生で見る被災地にはやっぱり衝撃を受けた。

いや、もちろん当初はこんなものではなかったのだろう。

でも、7ヶ月経ってもこの状態、というのは・・・。

TVでも極端に放送される時間は減っている。

でも、まだまだなんだと思った。

まだまだまだまだ・・・



つづく。


ドラマ『それでも、生きてゆく』を観た。

1話観ていないし、そんな真剣に観るつもりもなかったのに、

もう途中から涙止まんなくなっちゃって、

まいった。

満島ひかり、すごいなぁ。

あんな演技派とは知らなかった。


それにしても、辛いドラマだな。

思い出しただけで泣けそう。


なんか、このドラマはフィクションだけど、

そういう想いをしている人は、実際にいて、

自分ももしかしたら何かの拍子で、そういう境遇に陥るかもしれない、

と思ったら、恐ろしくて悲しくて、身体が震えた。


もちろん惹き込まれる演技ありき、なんだけど。



以前、ニュースを見ていて、

ニュースって殺人だの災害だの辛く悲しく恐ろしいことばっかり言うから、

なんで、こんなことを知らなきゃいけないんだろう、と思った。

いちいち見るたびに悲しい気持ちになって、

なんでこんなに人を悲しくさせることを公表するんだろう、と思った。

こんなに悲しい気持ちにさせるなら、知らないほうがいいんじゃないか、って。


まぁ、、、ダメだけどね。

いや、一時的にそう思っただけで、

事実はやっぱり知らなきゃいけないし、

知ることで防ぐこともできるし、変えていくこともできるわけで、

必要だって事は、それはもうわかってるんだけど。


事実を知って、考えることが、大切なのよね。


でも、そうなると・・・

私は、相手の浮気は知らなければいい、

というスタンスなのだけれど、

知らなければ私は傷つかないし、相手も罪悪感で苦しめばいい、

と思うのだけれど、

だから、浮気しても黙っていてくれと旦那にも頼んでいるのだけれど、

それも、ダメってことに、なるねぇ・・・。


ダメかぁ。やっぱ知らなきゃダメかぁ。

でも、信頼関係だからなぁ・・・。

一度壊れちゃうと、そうそう元には、

というか、もう二度と元の関係には戻れないよね。

だから、お互い苦悩して新しい関係を築けってことなんだろうねぇ。

それに自分が耐えられるかどうかという耐性の問題もあるし、

そもそも相手が間違っていたんじゃないかという・・・

いや、それ言い出したらダメか。

でもなぁ、合う合わないはあるからねぇ。

自分だけの問題じゃないしねぇ。

結局、正解なんてないのよね。

だから、事実は事実として知って、

後は野となれ山となれ、的な。

知らないと、始まりもしないからね。

うん、やっぱり、知るというのは大切なことなんだろう。

例え、辛く悲しいだけの事実だとしても。

事実は、厳然としてそこにあるのだから、

後は、それを受け止める側の問題で、

あああ、難しいな・・・。

そして、なんで私はいちいちこういうことで悩まなきゃいけないんだろう、

と思うのだけれど、仕様がないよね。

もう、こればっかりは。


でも、その厳然たる事実を体感するのも確認するのも、

主観に頼るしかない曖昧な人間、っていうね。

ダメだね、もう。

掘り下げるとロクなことはないね。

ロクってなんだろうか?




月が綺麗だ。



意味のわからない嘘をつく人っていうのがたまにいる。

例えば、小学生の時の同級生が、

「俺のうちにはお金のなる木がある」

と言っていた。

そんなものはあるわけない。

小学生でもわかる。

彼は、クラスで、いじめのターゲットにされていたわけではないけれど、

準ターゲット、という感じで、クラスメイトからはあまりよい待遇を受けてはいなかった。

その彼が、おそらく注目を集めたいが為についた嘘。

悲しい嘘。

すぐに見破られる嘘。

小学生は基本的に考えが足りない。

いや、それは能力にもよるが。

だから先のことを考えずに、今を乗り切るために嘘をつく。

嫌われたくないから、怒られたくないから。

いずれは確実にばれるのに。

重点を置くべき部分を間違ったのか。

その瞬間さえよければいいという刹那主義なのか。

一瞬先の未来をも想像できないタイプの人間か。

ここまでくるともはや、それは障害なのではないだろうか。


人間を平等という観点から捉えると、必ず矛盾が発生する。

確実に能力には差があるし、それを埋めるだけの特質など存在しない。

それぞれの得意分野で勝負すると言っても、

これだけ人間がいる中で、どれだけ細分化されたジャンルでも、

トップをとることは難しい。

いやトップを取りたいわけでもないのだ。

その辺は心得ている。

順位にこだわるよりは、ジャンルを見極めるほうが確実だ。


で、何が言いたいかというと、

嘘をつくのは、基本的に自分を守るためだ。

嘘自体がいけないわけではない。

嘘によって被害を被る人がいなければ、それはもはや嘘でもなくなるのかも。

しかし、完璧な嘘など存在しないので、

真実を知れば傷つく人、真実を知らないが故に傷つく人、真実自体に打ちのめされる人。

まぁ、問題は、真実うんぬんより、彼らの行動にあるわけで、

結局何もできない、というのは言い訳にすぎない、

というのは、全てを理解せずに浮ついている子どもだけだろう、と。



ここまでで止まっていたのだけど、

読み返しても、何が言いたかったのかさっぱり思い出せないし、

言っていることも意味不明。


そのうちわかるかもしれないので、

とりあえずそのまま。