Prunus tomentosa

Prunus tomentosa

音源やライブの感想まとめです。

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2013年11月9日。街は既にクリスマスムード一色だというのに、朝から空はぐずついていた。吉祥寺のとあるライブハウスの、みっちりと人が詰まったフロアの最前ど真ん中に私はいた。人生3回目のライブハウスなのに。
はっきりと“わたしはここにいるべき人間ではない”と思った。ドリンクチケットを交換した記憶がない。妙な手汗が止まらない。隣にいる友人の冗談に笑いこそすれ、なんとも言えない心細さに、所在のなさに、祈るようにずっと手を胸のあたりに組んでいたような気がする。

そんなどうしようもない逡巡や不安や居心地の悪さをどこかへ吹き飛ばしてくれたのはやっぱり音楽で、ほかでもない、彼らがかき鳴らした1音めだった。身体じゅうの力がすとんと抜けた。“あ、わたし、ここにいてもいいんだ”。
次の瞬間からは、不思議とまっすぐに前を向くことができた。組んでいた手はいつのまにか解けて、気づいた時には汗だくになりながら歌って叫んで、なりふり構わず飛び跳ねていた。次第に、感じたことのない欲求が体じゅうをびりびりと満たしていく。“この人たちの音をもっと聴きたい…”。

あれから私はたくさんのバンドを知り、ライブハウスを知り、大型フェスを知っていった。仕事帰りに好きな音楽をふらっと聴きに行く楽しさも、野外で耳を傾けながら飲むお酒の味も覚えてしまった。心を揺さぶるものが数えきれないほど増えた…はずなのに、気を抜くとフッとあの日に思いを馳せてしまう自分がいる 。

むかしばなしというバンド。
彼らが与えてくれた衝撃を超えるものに、私は未だ出会えていない。

「むかしばなしってどんなバンド?」と訊かれると、どう説明したもんかなと考えあぐねてしまう。公式ページを見てもなんとなく内容がふんわりしているのがまた、彼ららしくていいなとも思うのだが。
結成は2013年の春。丸山だるま(Gt,compose)がインターネット上で発表した楽曲をきっかけとして集まったメンバーである。今年6月のグシミヤギヒデユキ(Gt.)の脱退を経て、現在は丸山だるま、3110(Dr.)、OK(Ba.)、石敢當(Vo.)の4人編成となった。それぞれの個人の活動と並行して、下北沢SHELTERでのワンマンライブ、RO69jack 14/15での入賞、音楽ゲームへの楽曲提供など、精力的に活動の幅を広げてきた。

1st mini album「World Skirt」は、バンド結成のきっかけである丸山の楽曲の魅力はそのままに、メンバーこだわりのアレンジに彩られた一枚だ。続く1st full album「One Room Dawn」は、バンドとしての色、メッセージ性の強さがより明確に提示された作品。特にRO69jack入賞時にも演奏された「写真機少女」には、メンバーの汗と想いが染み込んでいると言っても過言ではないだろう。数々のライブを経て、バンドの代表曲へと着実な成長を遂げた一曲だ。
また、これまでのアルバム収録曲のうち「ホコロビシロガールズ」「写真機少女」「ラストギャング」はオリジナルMVが公開されている。どれをとっても完成度が高く、映像作品としても一見の価値がある仕上がりとなっている。

さて、8月14日に発売された2nd mini album「day good bye」である。実に1年半ぶりの新譜。充電期間、そしてメンバーの脱退を経た彼らはどんな音を奏でるのだろう。正直なところ、再生ボタンを押す手がちょっぴり震えた。

アルバムはインスト曲「day」で幕を開ける。そのタイトルの通り、蝉の声、風の音…。いつもの昼下がりを感じながら耳を傾けていると、いつの間にか彼らが作りだす世界に迷い込んでいく。先ほどまで明るかったはずの空が次第に薄暗く翳る。生ぬるい風に運ばれて、夕立の匂いが漂ってくるのに気づく。
続く「汽笛」では、石敢當が後藤紘明名義で作詞を担当。これはバンドとしては初の試みである。嵐のような激しさの中にもどこか繊細さと憂いを秘めた、ライブパフォーマンスへの期待が高まる一曲だ。
雰囲気は一転して、軽快なギターリフが印象的な「メロディックガール」。この曲をリードトラックに据えることで、全体の陰と陽のバランスがとれているようにも感じる。
ストーリー性の濃い「アオイハナビ」は題名の通りのもどかしい青春ソング。「梅桃」は“ユスラウメ”と読むそうだ。夢を追う姿を赤い実が熟すさまに重ねた歌詞が、力強く元気を与えてくれる。
「グリーンアイス」はピンクから白、緑へと色を変えていく実在の薔薇の品名だという。ストリングスが織り込まれたなめらかな旋律が胸を打つ。そして最後は個性豊かな6曲を、疾走感あふれる「さよなら最終列車」がきっちりとまとめあげる。
すべての曲の再生が終わり、部屋が静寂に包まれた瞬間、思わずほうっ…とため息が漏れた。

彼らが示すものは、“普遍”と“不変”である。今回のアルバムに限らず、むかしばなしの楽曲全体の根底に流れるテーマであると思う。変わりゆくものと変わらないもののはざまで不安定に揺れながら、わずかな希望を見出したり、反対に小さなきっかけでどうしようもない絶望を感じたりするのが人間であって、(決して利口であるとは言えないけれど)、こんなにも愛おしい生き物なのだと。彼らは自分語りでもなくお説教でもなく、音と言葉を重ねて淡々と伝えてくるのだ。

同時に、はっきりと変化を感じる部分もある。
もちろん作詞を丸山以外が手がけるという試みや、メンバーそれぞれの演奏アプローチの工夫は、目に見えて新しいものだ。
だが私はあえて言いたい。バンドとしての彼らが変わったとするならば、それは”伝え方”そのものの変化である、と。
歌詞の一節だけで語ってしまうのはいささか忍びないのだが、比べてみると違いがわかりやすいと思う。
歌詞の「朝」と「来る」という言葉に注目してみる。
≪みな平等な朝が来る/君もきっと朝を見る≫ (“ワンルーム”「One Room Dawn」)
≪だけど朝は必ず来る/背中は押すよ/君の見てる方へ≫ (“梅桃”「day good bye」)
これまでは空からふわふわと降ってきていたものが、不意に目の前にいる人のポケットから出てきて、そのまま手渡されたような感覚。どちらがいいとか悪いとかの話ではない。ただ、私には今回のアルバムが、これまでにないほど自然に自分に寄り添ってくれているように思えて仕方がないのだ。

ある意味で、今の彼らは“普遍”と“不変”を体現しているといえるかもしれない。同じような境遇を乗り越えてきた者だけがもつ確かな説得力と独特の温かみが、楽曲ひとつひとつのメッセージ性を際立たせている。

器用なのに不器用。達観しているのに無邪気。ひとたび演奏が始まれば闘争心をむきだしにする。そんな彼らに私は幾度となく笑わされ、時には泣かされ、簡単には消えない火をつけられてしまった。
あの日“ここにいてもいいんだ”と思わせてくれた彼らに向かって、今、私は声を大にして叫びたい。

“ここにいてくれ”と。

移ろいゆくものを引きとめることはできない。たとえ流れに抗うことができたとしても、後には虚しさが残るだけ。でも、やっぱりずっと聴いていたいと思う。あなたたちの音楽を。

≪ほらメロディックガール/揺られながら/それでもいいのなら手を繋ごう/メロディックガール/君と僕で/海の底まで行こう ≫ (“メロディックガール”「day good bye」)

海の底には、一体どんな世界が広がっているんだろう。楽しいことばかりではないかもしれない。
それでも今のむかしばなしならきっと、わたしの手をしっかりと引いていってくれる。

最後の最後まで。