日頃、思ったこと、気づいたこと、感じたことを文にしたためんと


始めたまふたはずのこのブログも、


時の経つのは速いもので早速1ヶ月も放置


まぁ、1ヶ月の内、20日間は連続で働いてたから仕方ないね


死ぬかと思ったよ(上司が)



さすがに一ヶ月も経てば感じたことも思ったこともたくさんあるだろう、


つまり書く事もたくさんあるだろうと思えども、


この世は、厳しく、世知辛いもので


昨日のことでさえ忘れていかないと生きていけぬ。


つまり、こうしてPCをペチペチしていても中々筆が進まぬというのが、


現状なのである。



といふわけで、1ヶ月も空けたというのに、書く事は最近のこととなり、


ホットなニュースといたしましては、山口組が分裂したそうですね。


私は関西に住んでいるので、非常にこのニュースは衝撃的だったのですが、


関東や他の地方に住んでいる方にとってはそうでもないのかな。


まぁ、住んでいる地域、おかれている状況、職業、エトセトラ、エトセトラ・・・・


様々な要因によって、ニュースの重要度なんぞ変わるわけですが、


理性と本能、感情と因果はそう単純に割り切れるものではなく、


このニュースを聞いてワクワクしたのは私が「オトコノコ」だからなんだろうなぁ、と思ったわけです。



理性的に現実を考えれば、このニュースにワクワクするような要素など一切無く、


『抗争が起こるかもしれない』『一般人が巻き込まれるかもしれない』といったネガティブなことしか起こりえないわけなのですが、


なんだかワクワクしてしまったんですよね



幼い頃に見たウルトラマンやゴジラには、


映画だからこそ表現しない、映さないリアルがきっと裏側にあって、


例えば、口うるさい爺さんがウルトラマンに憧れる小学生に対して


「ウルトラマンと怪獣の戦いで破壊されたビルの瓦礫の下で、たくさんの人が死んでるんだぞ!」


とリアルを説いたところで、


目をキラキラと輝かせてウルトラマンを見る小学生にとっては鬱陶しいだけで、


そこには


『かっけー!』『すげー!』


という感情と興奮しかないわけです。



さすがに私も四半世紀も生きてしまったいい大人なわけなので、


ウルトラマンを見て、


『はー、ウルトラマンの戦った跡って、やっぱり政府が公共事業として直すのかなぁ・・・、大変そうだけど、失業者対策にはちょうどいいだろうなぁ、でも実際ウルトラマンが戦うたびに火事場泥棒なんかも発生して、治安とかすんごく悪くなってるんだろうなぁ。それにかかる警察とか消防隊の経費を考えると・・・・』

ぐらいのことは考えてしまうようになったわけですが、


それでも今回の山口組の件をパッとみて


少しワクワクしてしまった自分というのは


あの日のオトコノコの気持ちが少しだけ蘇ってしまった瞬間なのかなぁ、と


思ったわけです




今日の一曲 You get to burning/松澤由実

社会人になって早3年目


幾度と無く


「このままでは日々に埋没してしまう、生きてきた軌跡を何かに残すべきなのでは・・・」


と思いつつも、


学生のころは羽のように軽かったペンはいつの間にか鉄アレイの如く重量を持つものとなっており、


要は面倒くさくて中々できずにいたという現状を振り返りつつ、


今、こうして鉄アレイを持ちながら文をしたためているという状況なわけである。


名探偵コナンに出てくる黒塗りの犯人の殴打シーンを想像していただければ恐らく相違ない。



とにもかくにも、文をしたためるというのは面倒くさい


スマホ、パソコン、さかのぼればワードプロセッサーの普及によって、


文章・活字というものは幾分か身近なものになったとはいうものの、


筆と半紙>ボールペンと履歴書>シャーペンと日記>PCでブログ>スマホでTwitter


の順番に、文をしたためるというのは面倒くさい


『将来、人間は脳と指先だけになる』、と言われていたが、


最近では音声入力の普及によって、その指先さえ排除しようという方向にあったりする。


近い将来、『脳波から文章を入力する機械』というものが発明されて、


全人類は脳波を探知する機械を頭につけ、


入力された文章を確認するために片目にウインドウを付ける、


分かりやすく言うとスカウター付サイヤ人ばかりになるに違いない


「アップルウォッチとか古いわー、今はアップルスカウターでしょ!!」


という会話は近いうちに現実のものになるのではないだろうか、いや、きっとなるだろう



といった風に、ひたすら指を動かして文をしたためるということの面倒くささを語ったところで、


何ゆえ、そのような旧依然的な文明を用いて文をしたためているのかというと、


この一週間、夏季休暇であった為、久しぶりに図書館に行ってきたのである。


そこで何を思ったか、日頃手にする小説ではなくエッセイ、いわゆる随筆を読んだ。



思えば、私がPCにて文を書きはじめたのはいつごろからだったであろうか。


振り返れば高校生の頃に始めたブログが最初だったと思う。


当時は中高生の間でブログが大流行しており、一日に1万HITするような方々は人気ブロガーと呼ばれ、


本を出したりオフパ、いや、オフ会を開いたり、と大人気であった、


今で言う、人気生主みたいなものだね、きっと。


かくいう私もそのころの人気ブロガーの方に憧れ、真似し、


少しでも面白い文章を書こう、書こうと考えており、


当時好きだった女性(~そして彼女へ~)が私のブログを好きだといってくれたことも手伝い、


学校から帰ればすぐにブログ更新という日々を送っていたのである。


そのときの兆候は、その後のmixi日記に形を変えても続き、


「少しでも多くのコメントを!」と考え、書き記し、もっと他のことに時間を割けばいいのに、


と後から思うくらいに、考えていたりしたものである。



そう、つまり、私が今まで書いていた文というのはひたすら観客ありきのものであり、


それすなわち起承転結を含んだ『小説』というジャンルのものだったのである。


そのような『小説』スタイルの文章を


「このままでは日々に埋没するやで~」


などと抜かすダメサラリーマンに書けるわけがなく、実際、書けなかったわけである。



というわけで、『随筆』スタイルにて文を書きたいなー、と思ったので、


思ったこと、感じたことをひたすら綴る、とてもつまらないブログを始めようと、


図書館でエッセイを読んだときに思ったわけです。


要は久しぶりに文章よんだら、文章書きたくなったよ、とそれが言いたかっただけなわけで。






今日の一曲 Brand New Days/花澤香菜