ふと思う事がある。

 夫婦とは、お互いが向き合っているのだろうか?それとも、同じ方向を向いているのだろうか。

 私個人の答えは、恐らくこうだろう。

 結婚当初はお互いが向き合っており、子が産まれた瞬間から夫婦は子供というものに対して同じ方向を見るのではないか?

 そう考えた時に、ふと民主党政策でもある「夫婦別姓」が頭を過る。

 子供の教育というカテゴリー内において夫婦別姓が適用していた場合、夫婦間で教育問題による話し合いでの上で

 「私はあなたと違うのよ!」

 となる場合が増えるのではないか?

 そして、夫婦であるという自覚も薄れてしまうのではないか?と考える。

 御結婚されている方は思い出してほしい。

 婚姻届を出した際。奥さまは「これで、私は○○ ○○」なのね。

 そう言わなかっただろうか?

 これこそが、夫婦になったという実感であって意識である。

 夫婦別姓とは選択制であると言うが、根底では同一の考え方である。

 故に、夫婦の【夫婦である意識が薄ければ、その意識は子供も感じ、そして受け継がれる】

 何が言いたいかというと

 【夫婦になりきれていない仮面夫婦の増加が考えられる】

 という事。

 一緒に老後の事を話し合ったり、夫婦間の協力が薄れる可能性もある。

 かつ、これが日教組における法案だという事も予想がつく。



 以前、問題発言として挙げられた「中川元国道交通省大臣」の発言。

 「日本の癌は日教組である」

 あながち間違いではないように思える。

 中山氏が言って問題発言となるなら、私も言おう。

 「日本の壊死部位は日教組である。腐ってんね。」