心の中に、
本当はAにしたほうがいいと思うんだけど、
でも、Bにしたら、ちょっとお得だから、
う~ん、まあいいや、Bにしちゃえ!!
って、以前なら思っていたことが、
結構あったと思う。
その結果、眼先のこととしては、
なんとなくのお得感はあったんだけど。。。
最近、それを意識的にやめてみている。
つまり、Aにすることを選んでるってこと。
例えば。。。
仕事で、本来頂けるよりも、
多い金額での明細書が来ちゃった時、
前だったら、もらっちゃえもらっちゃえ!
だったと思うんだ。
でも、正直に、ちゃんと申請してみることを選ぶ。
その結果、もちろん正当な額だけ
いただけることになるんだけど、
それ以上に、気分はとってもよろしい!
今朝は、やっぱりいらっしゃった方から頂く額で、
ひょっとして以前に多く頂いていたかも、
と、自分で思ったことがあり、
その場で調べたんだけど、
それは、ちゃんと正しい額だった。
当のご本人は、何にも影響は受けていないと思うけど、
もしも私が、本当は多くもらってたって思い、
でも、ここで言い出さなければ、
そのままですむかも、って思い、
実際にそうやって、自分は多くもらっているのに
黙っている、という思いこみの状況を作っていたとしたら、
たぶん気分はとってもよろしくないと思う。
結果、ご本人に対しては、
何にも変わらないんだけど、
私自身は、大きく違うと思われる。
結構あとあとまで、尾をひいて、
私の思考の中に、残り続ける気がする。
そんなわけで、
その場で心に浮かぶ本当の声にしたがっていると、
気持ちがすっきりして、
その時、その時にやることに、
集中できるような気がするのだ。
で、今日は今日で、娘が胃腸風邪になり、
午後は予定をいろいろ変更して、
結局家ですごしているため、
こうやって1日2回も
ブログを書けているわけなのだが、
眼の前にあることを、
とりあえず、やったほうがいい!
って選択で動いて過ごしている。
で、洗いものなど、あんまりな~んにも考えずにしていたら、
ふっと
「あ!娘の習い事のお休みを連絡しなくちゃいけないんだった!」
ということに気付いた。
その時間、なんと習い事が始まる数分前。
今朝は覚えていたけど、
すっかり忘れていた。
でもでも、ちゃ~んとベストタイミングで、
思いだすようになっていたようだ。
心の中の声って、
正しく、というよりも、本当の声をちゃんと聞いて、
その通りに動くことで、
必要な時に、必要なことも
ちゃ~んと知らせてくれるんじゃないか、
そんなことを思う出来事だった。
だからますます、
本当に望んでいることを
選択するに限るのである。
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私のおばあちゃん、というと、母方の祖母を思い出す。
もう亡くなって何年もたつけれど、
とにかく明るい人で、
いつも人がたくさん集まってくる
そんなおばあちゃんだった。
そのおばあちゃんにそっくりの
「ニワサン」を、ある場所で見つけた。
ここのところ3年間ぐらい通っている
関市の老人総合福祉施設にいらっしゃる
かわいいおばあちゃん。
初めてお会いした時は、
本当に、「おばあちゃんだ!」と思った。
眼が一緒なんだ。
たぶん、もう痴呆がずいぶんすすんでしまっていると
思うんだけど、
話すことが、本当に人を楽しませる。
話の脈絡もないし、
同じことを何回も繰り返すし、
最初のころは、
毎回、はじめまして って挨拶されていたんだけど、
でも、なんだか近づきたくなるおばあちゃん。
昨日、またニワサンにお会いした。
今となっては、
これは私の勝手な想像だけど、
少なくとも「はじめまして」ではないと
思ってくれているんじゃないかと思う。
会うと、眼で話しかけてくれる。
もう、私のおばあちゃんじゃないかと思ってしまうのだ。
私がそこに行く目的は、
いつも車いす生活のおばあちゃんたちに、
足をマッサージすること。
でも、いつも行くたびに、
私が暖かいものを
たくさんたくさんもらって帰ってくる。
昨日は、いつも同行してくれるYさんが行けなかったから、
私がひとりで全員と接したんだけど。。。
それぞれ、もう意志の疎通も怪しげな人が多いのに、
みんな、何かしら、私に伝えてくれるものがあるんだ。。。
いつも元気な「フユサン」。
比較的受け入れがいいため、
いつもはYさんにお任せするから、
昨日初めて私がマッサージ。
始める前に、フユサンと少し話して、
私が足元を見ながら準備していたら、
フユサンが泣いていた。
いつも横で見ているフユサンは、
なんだか元気にしゃべっているイメージだったのに。
「あんた、いいこだ」
たぶん、そう言ってくれたのかなって思ったけど、
なにぶん言葉が明瞭ではないので、
もしかしたら違うかもね。
いつもは何かをずっとしゃべってるフユサンが、
最後まで、涙とともに
じっと、マッサージを受けてくれていた。
終わると。。。
おばあちゃんたちが、ありがとうって言ってくれる。
でも、言葉よりも、
なんだか、ものすごーく深いところで
おばあちゃんと繋がる感じがするんだ。
前は、本当に覚えていてくれる人も少ない感じだったけど、
今は、結構楽しみにしてくれる人もいるし、
初めての人でも、
何か繋がって、
私が、いつも何かをもらって帰ってくる。
あ、この感覚、
小さい頃、私のおばあちゃんと会って、
そして帰らなくちゃいけない時になると
さびしくてさびしくてしょうがなくって、
でも、それは、
おばあちゃんといることが
なんだか嬉しくて、楽しくて、
離れたくないって思ってて、
その理由は分からなかったけど、
幼心に、
そのつながりが絶たれてしまうような、
そんな気がしたのかもしれない。
今、ちょっと大人になったから、
物理的に離れてしまうことが、
永遠の別れじゃないことは分かっているから、
寂しさってものを感じない分、
嬉しい楽しい気持ちだけが残っているって
ことかもしれない。
今、私には、
たくさんのおばあちゃんたちが、
いてくれるみたい。
でも、やっぱり私のおばあちゃんと言えば、
「ヒロサン」、 あなたです。
もう亡くなって何年もたつけれど、
とにかく明るい人で、
いつも人がたくさん集まってくる
そんなおばあちゃんだった。
そのおばあちゃんにそっくりの
「ニワサン」を、ある場所で見つけた。
ここのところ3年間ぐらい通っている
関市の老人総合福祉施設にいらっしゃる
かわいいおばあちゃん。
初めてお会いした時は、
本当に、「おばあちゃんだ!」と思った。
眼が一緒なんだ。
たぶん、もう痴呆がずいぶんすすんでしまっていると
思うんだけど、
話すことが、本当に人を楽しませる。
話の脈絡もないし、
同じことを何回も繰り返すし、
最初のころは、
毎回、はじめまして って挨拶されていたんだけど、
でも、なんだか近づきたくなるおばあちゃん。
昨日、またニワサンにお会いした。
今となっては、
これは私の勝手な想像だけど、
少なくとも「はじめまして」ではないと
思ってくれているんじゃないかと思う。
会うと、眼で話しかけてくれる。
もう、私のおばあちゃんじゃないかと思ってしまうのだ。
私がそこに行く目的は、
いつも車いす生活のおばあちゃんたちに、
足をマッサージすること。
でも、いつも行くたびに、
私が暖かいものを
たくさんたくさんもらって帰ってくる。
昨日は、いつも同行してくれるYさんが行けなかったから、
私がひとりで全員と接したんだけど。。。
それぞれ、もう意志の疎通も怪しげな人が多いのに、
みんな、何かしら、私に伝えてくれるものがあるんだ。。。
いつも元気な「フユサン」。
比較的受け入れがいいため、
いつもはYさんにお任せするから、
昨日初めて私がマッサージ。
始める前に、フユサンと少し話して、
私が足元を見ながら準備していたら、
フユサンが泣いていた。
いつも横で見ているフユサンは、
なんだか元気にしゃべっているイメージだったのに。
「あんた、いいこだ」
たぶん、そう言ってくれたのかなって思ったけど、
なにぶん言葉が明瞭ではないので、
もしかしたら違うかもね。
いつもは何かをずっとしゃべってるフユサンが、
最後まで、涙とともに
じっと、マッサージを受けてくれていた。
終わると。。。
おばあちゃんたちが、ありがとうって言ってくれる。
でも、言葉よりも、
なんだか、ものすごーく深いところで
おばあちゃんと繋がる感じがするんだ。
前は、本当に覚えていてくれる人も少ない感じだったけど、
今は、結構楽しみにしてくれる人もいるし、
初めての人でも、
何か繋がって、
私が、いつも何かをもらって帰ってくる。
あ、この感覚、
小さい頃、私のおばあちゃんと会って、
そして帰らなくちゃいけない時になると
さびしくてさびしくてしょうがなくって、
でも、それは、
おばあちゃんといることが
なんだか嬉しくて、楽しくて、
離れたくないって思ってて、
その理由は分からなかったけど、
幼心に、
そのつながりが絶たれてしまうような、
そんな気がしたのかもしれない。
今、ちょっと大人になったから、
物理的に離れてしまうことが、
永遠の別れじゃないことは分かっているから、
寂しさってものを感じない分、
嬉しい楽しい気持ちだけが残っているって
ことかもしれない。
今、私には、
たくさんのおばあちゃんたちが、
いてくれるみたい。
でも、やっぱり私のおばあちゃんと言えば、
「ヒロサン」、 あなたです。
「またの機会を楽しみにしてます」
って、私も使うことがあるんだけど。。。
時と場合によって、それは、本気じゃないなって
受け取られる言葉になるんじゃないかと思う。
本当に、その日はダメなんだけど、
どうしてもやりたい!ってことであれば、
次なる代替え案を考えると思うんだよね。
少なくとも私はそうだと思う。
ちょっとした遊び事ならば、
またね~ってことで、
もちろん許されてしまうと思うんだけどね。
昨日やりとりした、ある方とのメールに、
「またの機会を楽しみにしてます」
って書いてった。
それが、どうしても引っかかって。。。
ここは、それを使う場面じゃないと思うんだよね~って
ところだったわけです。
なので、私からは、「またの機会」を与える筋合いは
無いなと、感じてしまったわけです。
なので、「必要であれば、連絡ください」と
書いてしまいました。
もちろん、それを文面通りに受け取るか、
私が感じたことをまで感じてくれるか、
そこはその方にお任せです。
返事が来るか来ないかも、
その方にお任せです。
だって、本当に楽しみにしているとは
思えないんだもん。
少なくとも、遊びではないことだしね。
楽しみとかじゃなくて、
やっておきたい!って自分が思うかどうかだと
思うんだよね。。。
だから、やりたいかどうか ってことだと思うんだよね。
そんなわけで、言葉の本気度は、
なぜか伝わってきちゃうわけです。
同じ内容の話に対し、やっぱりダメだけど、
その理由だとか、どうやったらほかにできるかってことを
相談された方もいたから、
余計にそうおもっちゃったんですね~、きっと。
言葉の文面通りに受け取ったり、
受け取ることしかできなかったりすることもあると思うけど、
本気度は、言葉通りじゃないって感じる、
今日この頃なのだ~。
って、私も使うことがあるんだけど。。。
時と場合によって、それは、本気じゃないなって
受け取られる言葉になるんじゃないかと思う。
本当に、その日はダメなんだけど、
どうしてもやりたい!ってことであれば、
次なる代替え案を考えると思うんだよね。
少なくとも私はそうだと思う。
ちょっとした遊び事ならば、
またね~ってことで、
もちろん許されてしまうと思うんだけどね。
昨日やりとりした、ある方とのメールに、
「またの機会を楽しみにしてます」
って書いてった。
それが、どうしても引っかかって。。。
ここは、それを使う場面じゃないと思うんだよね~って
ところだったわけです。
なので、私からは、「またの機会」を与える筋合いは
無いなと、感じてしまったわけです。
なので、「必要であれば、連絡ください」と
書いてしまいました。
もちろん、それを文面通りに受け取るか、
私が感じたことをまで感じてくれるか、
そこはその方にお任せです。
返事が来るか来ないかも、
その方にお任せです。
だって、本当に楽しみにしているとは
思えないんだもん。
少なくとも、遊びではないことだしね。
楽しみとかじゃなくて、
やっておきたい!って自分が思うかどうかだと
思うんだよね。。。
だから、やりたいかどうか ってことだと思うんだよね。
そんなわけで、言葉の本気度は、
なぜか伝わってきちゃうわけです。
同じ内容の話に対し、やっぱりダメだけど、
その理由だとか、どうやったらほかにできるかってことを
相談された方もいたから、
余計にそうおもっちゃったんですね~、きっと。
言葉の文面通りに受け取ったり、
受け取ることしかできなかったりすることもあると思うけど、
本気度は、言葉通りじゃないって感じる、
今日この頃なのだ~。