ホテルカリフォルニアの歌詞にはいくつかのキーワードが潜んでいる。
私が感じたキーワードをいくつか挙げてみる。
「部屋は十分にあります 年中無休で 貴方はここに来ることができます」
「彼女はメルセデスの曲線」
「あなたのアリバイを持ってきてください」
「彼らは研がれたナイフで獣を刺したが殺すことはできなかった」
「以前居た場所に繋がる通路」
「貴方は自由にチェックアウトできますしかし貴方は二度とここを立ち去ることはできません」
そして「1969年以来 スピリットを置いていないのです」
まず「部屋は十分にあります 年中無休で 貴方はここに来ることができます」
Plenty of room at the Hotel California, Any time of year, You can find it here
歌のタイトルでもあるホテルカリフォルニアとは何を意味するのだろうか?
既述の「精神病棟」説や「政治的に行き詰まったアメリカ」という解説は私には馴染めなかった。
不仲によるバーニー・レドンの脱退や商業第一主義の音楽産業のなかで若干29歳の若者には精神的に矛盾を感じながらも創作活動を続けたのだろう、しかし時折精神的に休息を必要としていた。 それがドン・ヘンリーだけの心の休息所(ホテル)だった。しかしその休息は精神的矛盾を解決してくれる場所にはなりえなかった。
しかし彼は「心の休息」が必要なとき度々ホテルカリフォルニアで休んでいたのだろう。
「メルセデスの曲線」
She got the Mercedes Bends
「ジャニス・ジョップリン」へのオマージュだろう。また蝋燭を灯し彼を誘導した女性も「自由の女神」とともにジャニスを連想させてくれる。
ジャニス・ジョップリンは1943年1月19日生まれ。 ドン・ヘンリーにとってジャニスは4歳年上の一目置くシンガーであったろう。1970年10月4日ヘロインの過剰摂取により27歳の若さで亡くなっている。
ジャニスの死後1971年発売されたアルバム「パール」には「メルセデス・ベンツ」が収録されヒットしている。「メルセデス・ベンツ」は貧乏な女の子がメルセデスを買って! テレビを買って!!と神様にお願いする内容の歌である。 前フレーズの「ティファニーの捻じれ」と共に消費優先の経済体制を揶揄した意味だろう。 おそらく彼女の死は当時の西海岸において様々なメディアの話題になったことは想像に難くない。
「あなたのアリバイを持ってきてください」
Bring your alibis
アリバイ・・・そのとき貴方はどこにいて何をしていたか証明してください。では「いつ」の証明なのだろうか・・・。 前後のフレーズよりホテルカリフォルニアの囚人たちが創りあげた素敵な場所に居続けるためには何かを証明しなければならなかった。 それは1969年から1976年の7年間、彼自身もホテルカリフォルニアの「囚人」であることを・・・
「彼らは研がれたナイフで獣を刺したが殺すことはできなかった」
They stabbed it with their steely knives, But they just can’t kill the beast
獣は(the beast)は解説者には色々と解釈されている。
ウォーターゲート事件で辞任したリチャード・ニクソンであったり。 アメリカ経済を操る軍産複合体であったり・・・
しかし私は「獣 the beast」はドン・ヘンリー彼自身の心の奥に潜む「意志に反する何か」ではないのかと・・・
どんなに理性的な研がれたナイフでも消すことのできない「欲望」「不和」「自己矛盾」etc.
「貴方は自由にチェックアウトできますしかし貴方は二度とここを立ち去ることはできません」
You can check out anytime you like… but you can never leave
アメリカンスラングでチェックアウトは「自殺」意味する場合がある。
「ホテルカリフォルニア」という混沌とした自己の精神状態から抜け出すことはできないと解釈できる。
「以前いた場所に繋がる通路」
The passage back to the place I was before
彼自身がアメリカンドリームを信じてアメリカ全体が経済発展を続けていたころを懐かしく回顧している。
さて最後の不可解なフレーズである「1969年以来 スピリットを置いていないのです」
We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine
スピリットは「強い酒」だが「精神」を比喩していることは間違いないだろう。
しかしなぜ1969年からなのだろうか? 既述したように1969年はベトナム戦争からの段階的撤兵の表明。また8月伝説のウッドストック・フェスティバルがニューヨーク州で開催された。 感覚的にこのフレーズはアメリカ史における、アメリカンスピリットの忘却と理解するよりドン・ヘンリー彼自身の心の奥深い部分での精神的変化が1969年に起こったと解釈したい。 当時マリファナや軽いドラッグを使用していたことは彼もいくつかのインタビューに答えているし、当時のミュージシャンにとっては創作活動の潤滑油のようなものであった。
想像してみよう1976年レコーディングの合間、29歳のドン・ヘンリーは疲れをとるためマリファナをふかしていた・・・・突然1969年のウッドストックでのジャニスの歌声が響いてきた・・・そしてあるイメージが降りてきた。
ホテルカリフォルニア(ニコラス訳)
真夜中急にドライブしたくなり高速道路を走ってみた
夜風が心地よかった
車を止めマリファナを一服深く吸い込んだ・・・
少しすると心地よくなってきた
夜明けまで少し眠ろうか・・・
突然、拝礼の鐘の音とジャニスが僕の心に降りてきた
「ドン、ちょっと疲れているね。 ホテルカリフォルニアで休んだら?」
そうホテルカリフォルニアは僕だけの心の休息所
ジャニスはいけてたよね、商業主義には辟易していたけどね
ウッドストックではみんな甘い夏の汗をかきながら
ある者は思い出すために、ある者は忘れるためにダンスを踊っていた・・・
僕は1969年以来思い悩むと僕だけの心の休息所
「ホテルカリフォルニア」に来るんだ・・・
そして僕自身、日ごろのアリバイに自問自答する
どんなに理性的に考えてもでも消すことのできない「欲望」「不和」「自己矛盾」
あまり1969年以前の記憶を懐かしんでも意味はないと思う
ジャニスのように死んでしまうことが人生なのかもしれないけど
きっと僕は死ねずにまたホテルカリフォルニアで悶々とするんだろうな・・・
Eagles - Hotel California