うたかた

うたかた

わたしのなかに消えては結ぶあれこれを。

ひとつの節目を迎え、ブログをお休みしようと思います。
温かく迎えて下さり、心を交わし合わせて頂いたみなさま、
本当にありがとうございました。

このブログに綴っていたもの。
わたしがわたしに、伝えていた言葉ではありますが、
もし必要とするときに必要な言葉がどなたかに届けば…
そんな気持ちもありここに残しておこうと思います。

これからも、みなさまのブログにおじゃまさせていただきます^^
たくさんの素敵な言葉(想い)をありがとうございました。
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わたしの扉をひらいてくれたあなたへ



いま

メリーゴーラウンドを降りて

自由に歩けることの喜びを感じています。



おひさまの光をあびて、風の匂いを感じながら

時には雨の中を、心のままに駆けまわりたい


わたしのエネルギーはまるで野生児のようです^^



『生まれたときのままの、いのちの声が求めるままの』


そのエネルギーを自由にあらわし伸びやかに生きる。

なにものも妨げず、なにものにも妨げられず。


すべてのいのち(=意識)がそうであれと願う。




いのちを大切に思う心。


これがわたしを動かす唯一の想い。


外側がどうであれ。


その想いのままに、歩き続けるだけ。



すべての扉がひらかれ、その先ですべてが繋がる。


その日のために。
明日の冬至にまたひとつ歳を重ねます。


節目を前にした2つの変化。


最後までながく握りしめていたものを手放して、

ひとつの確信を得たこと。



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『被害者意識』のエネルギーが完全に抜けた(もう必要としない)

『言葉(想い)は生きている』ことが確信となった。


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おとといの晩、お風呂に入りながら不意に頭に浮かんだこと。


『あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい』


この言葉が伝えているもの、とは…


わたしは決して被害者にならない。


そのような姿勢(=主体的)で生きることの意味を伝えているように感じます。


被害者にならない。ということは、加害者をつくらない、ということ。



許す=あくまでも被害者の立場に身を置きながら、相手の上に立とうとする姿勢

この捻れたスタンスを超えていくための言葉ではないのか。

そんなことを感じています。



このスタンスを超えることが自由を手にすること。相手を自由にすること。



そのことをいつもわたしはわたしに伝えていた。

最近、自分のブログを読み返していて、

「これは今のわたしに宛てたメッセージなのではないか?」

と心が震える瞬間がたびたびありました。

記事をあげた時には、なにか心にひっかかりがあるというか、自分の気持ちに

ぴったりフィットする表現で書けていないと感じる部分があることも多かった。

背伸びしているような感じで。


全ての自分は繋がっていて、同じメッセージを受け取っているのではないか?


わたしがブログに綴っていたのもは、いつもわたしへのメッセージだった。

あの日のわたしから今日のわたしへ。

今日のわたしからあの日のわたしへ。


あの日も今もいつもこの瞬間にある。

すべてを超えて。
神とは?そう尋ねると

『いのち』そのもの、宇宙そのもの。

自分の内側からはそんな答えが返ってきます。

だとしたら、神ではないものなどひとつもないのかも知れない。

尊く、それでいて普遍であるもの。


『わたし』とは?

誰かに守ってもらわなければ、

誰かと寄り添い合わなければ、

多数決に従わなければ、

誰かの作った枠の中に留まらなければ、

そうしなければ生きていけないほど弱くもなく頼りないものでなく、

ひとりきりでも満ち足りて

そのエネルギーを体現し伸びやかに生きる力と自由を持っている。

すべての『わたし』がそういう存在。


『いのち』とは『宇宙』とは静かで力強い意識のかたまり。


暫定的ながらそう感じています。


ここ何ヶ月か頭のなかにぼんやり浮かんでいたこと…。


明けの明星

自分には神と同等、それ以上の力があると奢って堕天したと言われる『ルシファー』


斜め読みの知識で本当のところは私に知る由もありませんが、

「すべてのものに神が宿っているよ。」

「私たちは何か大きな力に救いを求める弱い存在ではないよ。」

弱くはない変わりに責任もある。それでも自由だ。

そういうことを伝えたかったのではないかと感じてしまいます。

光りをもたらす者として。


ただ、

自分の力を誰かに預けてしまうことで救われたい。楽になりたい。

そう信じる人々には悪魔のように感じられたのかも知れません。




流れの大きな今この時。

内なる力に導かれるままに、自分の生きる世界を自ら創っていく。

その決意が自分に力を取り戻すということで、

とても大事なことだと感じています。