12/13に父方の祖母が満96歳で永眠いたしました。
7月の誕生日には大好きなお寿司を美味しそうに食べていたのにまだ信じられない自分がいます。
亡くなる一週間前に、急に起き上がれなくなり、それからあれよあれよと弱っていってしまい、命が危ないから会わせたい親族がいたら呼ぶようにと往診医からの話があったと母から連絡がきた時には、職場のトイレでこっそり泣いた。
そこで自分の中でおばあちゃんとのお別れの覚悟が出来てたようで、いざおばあちゃんのご遺体と対面した時は、寝ているかのような穏やかな表情だったからか悲しい気持ちが湧いてこなくて、むしろ大往生だね、すばらしいね、生ききったねって気持ちが強かったです。
命が危ないと言われてから、実家では母一人では介助の限界があったので急遽施設入所したんだけど、亡くなる前日に温泉で入浴させてもらえてたようで(多分寝たまま入れる機械浴)、温泉が好きだったから最後に気持ちよくさせてもらえてよかったねってほっこりしました。
施設から命が危ないとの連絡があったのも日中でうちの母(嫁)と伯母夫婦(娘)とうちの弟(孫)が看取ることが出来て、おばあちゃん最後まで運を持ってるね!って話になりました。
うちの父(祖母から見た長男)をガンで53歳という若さで亡くしていて、今年の11月で20年経ちました。
あの頃は私達3兄弟は誰も結婚すらしていなかったから、おばあちゃんには父が見れなかった分も私達の伴侶やその子供を見てもらえました。
うちの妹が今年の5月に出産したので、内孫、外孫全員の子供達も見届けてくれました。
うちのおばあちゃんは毒を吐くタイプでした。
私が申年だと言えば、どうりでキーキーうるさい訳だ、と言ってみたり。
あんたは小さい時は可愛かったのにねぇ、と言ってみたり。
この二つは鉄板ネタで何回言われたかわからない。笑
かと思えば心配性すぎて、私達孫の帰宅が遅いと行き先を伝えてあっても、まだ帰らないのって電話をかけてきたり、いざ夜中に帰宅したら、心配で眠れなかったと言いつつ起きてきたりと、とにかく私達の事を気にかけてくれました。
おばあちゃんが運を持ってると思うエピソードを紹介させてもらおうかと。
十数年前に前にかがむとお腹の辺りがなんか当たっておかしいとかかりつけのお医者さんに話して、最初は取り合ってもらえなかったんだけど、調べて欲しいと頼み込んでCTを撮ってもらったら、腹部動脈瘤が芋づるのようにいくつか見つかり、大学病院で手術してもらう事が出来ました。
今年に入ってから、どうやらまた動脈瘤が出来ているけど、体力的に手術は出来ないしいつどうなるかわからないと言われていたけど、最後までそれは悪さをせず。
みかんと米の農家に嫁いできて、お姑さんが厳しくて妊娠中も農作業させられたエピソード聞いた事もあったけど、90歳ちょい位までは畑仕事してたのも尊敬しかないよ。
そして、この歳まで自宅で生活が出来ていて好きなお寿司を食べたり食欲もあったし、恵まれてるよね、もう大往生だねとしか言えないよおばあちゃん。
私はおばあちゃんみたいに長生き出来る自信もないけど、見習って生きてみようと思うよ。
だから、私達の事空から見守ってね。
おばあちゃんずっと大好き
いつも心配かけてごめんね
たくさんの愛をくれてありがとう
って、実は住職が忙しいとの事で葬儀がまだ行えてなかったりします。
まずはしっかりと送り出して来たいと思います。
ここまで読んでくださった貴方
ありがとうございました
次の記事からはおふざけな通常運転に戻るので
よろしくお付き合いくださいね