SNSの発達とともにあらゆる職業や娯楽を目の当たりにすることになる。

 

それは私たちに選択肢を与えるが、そこから”選ぶ”ための時間を同時に奪っている。

 

それどころか”選ばなかった”選択肢を見ると、それを”選んだ”人生を想像する機会を容易に与え、それはネガティブな感情へと導くことが多い。

 

さらには”選べない”選択肢さえも提示してくるという点で非常に厄介である。

 

テレビというメディアは、録画や再放送が行われない限り同じ情報が取り入れられることは少ないが、

一方でSNSでは予期せず、同じかもしくは似通った情報が準備もなく飛び込み、サブリミナル的に私たちの決断に影響を与える。

 

それはつまり何かを選択するとき、自分自身の判断であるように見えて、実際はSNSからの情報によって決められている可能性がある。

 

少し話が変わるが、人間は飽きやすい生物であり、歴史を通して周期的に同じ流行りが訪れる場合が多いのもそのせいである。

しかし、ことSNS やテレビや新聞といったメディアに飽きるという感情は当てられない。

なぜなら時事刻々と変化する情報を取り扱っている媒体だからだ。

つまりSNSで情報収集をしたのち、飽きてきたからそろそろそれを咀嚼し、自分で考えてみようという瞬間が訪れることはない。

そうできる人は、飽きたのではなくSNSの危険性に敏感であるか、もしくはそれ以上の信念を元々備えている人だろう。

 

そうしてSNSについて語る私たちは、SNSに飽きたからこそSNSを客観的に見ることにシフトしているのかもしれないが。