日按堂院長、糠信です。
先日は御多忙の中、母、富子の葬儀に多数御列席頂き、
また、鄭重な御弔問賜りまして、誠にありがとうございました。

思えば21年前。
私の父、母からすれば夫になります、政彦が旅立ちました。
当時、私が18歳、弟が15歳で、母が42歳。
現在の私の年齢と、3つ4つと違わない年齢でした。
父が亡くなり、葬儀の手配や準備に関しまして、
私達兄弟は何も手伝えず、全て母が行っておりました。
もちろん、皆様に御協力頂いて何とか、と言う状況だったとは思いますが、
それでも亡くなって2、3日で葬儀を執り行っていた事がどれだけ大変な事だったか、
兄弟共々、この数日で痛切に実感しております。

母は、何事にも、とにかく一生懸命でした。
よく動き、
よく働き、
よく笑い、
よく気を使い、
よく汗をかき、
よく食べ、
よく太っていました。
本当に、全力疾走で駆け抜けた人生だったと思います。

四十九日を過ぎ、向こうに到着したら、
父と21年振りの再会をして、21年分の出来事を、あれやこれやと、
いつものようにおどけて、身振り手振りを交えて、
面白おかしく話すだろうと思います。
また、弟夫婦の子ではありますが、孫の顔を見せてあげられた事も、
そして、その孫が男の子である事も、父への最高の土産話になる事と思います。

「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。
 だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。」
と言う言葉があるそうです。
これだけ多くの方に御列席頂き、泣いて頂けている事を思えば、
母の人生は、良い人生だったのだろうと思います。
願わくば、もう少し、こちらでゆっくりする時間が取れていれば、とは思いますが、
それも、全力疾走の母の事ですから、ついつい急ぎ過ぎてしまったんだろうと思うと、
それもまた母らしいと言えば母らしいと言えるかもしれません。

我々も、父母を送り、兄弟2人だけになってしまいました。
兄弟2人で力を合わせ、皆様にこれだけ愛して頂いた母を目標に、
更に頑張って生きて行かなければならないと思っております。

生前、故人が賜りました御厚情に深謝致しますと共に、
どうぞ今後とも、変わらぬ御厚情、御指導、御鞭撻を賜りますようお願い申し上げて、
御挨拶とさせて頂きます。


2013年4月30日  日按堂院長  糠信義弘