今日は、次男たちゅがお別れ遠足に行ってます。
このところ10日おきくらいに調子を崩して、学校やスイミングを休みがちで
先月の最後の学習発表&親睦会(6年生は例年朝から奉仕活動やら、
食事=カレーを作ってみんなで食べたりする)を休んでしまったから
昨日のたちゅ。
明日は這ってでも行くねん!39°出ても行くで!!楽しみすぎてたまら~ん
ってしきりに言ってました。
天気も春の陽気で、ただ黄砂とかP.M2.5がひどいんですけど
雨にも降られず今帰路に着いたと、学校から
が入りました。
昨日、カーヴィラー仲間のブログで
卒業式の歌として、話題に上がっていた「旅立ちの日に」という歌。
この歌、長男こうたんの卒業式で初めて聞いた歌だったんですが
この歌を歌うと、事前に担任の先生から話を聞いていて
この歌の背景というか出来た時の話を聞いたのです。
そして、その話を聞いてすぐくらいだったか・・・
この小嶋先生、病気でお亡くなりになられたと聞いたんです。
そんなこともあって、印象深い曲のひとつでもあります。
この歌は、(Wikipedia引用)
1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲。
作詞は、当時の校長であった小嶋登。作曲は、音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)。
影森中学校校長だった小嶋は、荒れていた学校を矯正するために
「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。
最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果
歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、
坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、
何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、
作詞を小嶋に依頼した。その時は「私にはそんなセンスはないから」
と断られたというが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置いてあったという。
その詞を見た坂本は、なんて素敵な言葉が散りばめられているんだと感激したと、
ラジオ番組への手紙で当時を振り返り語っている。
その後授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり楽曲制作に取り組むと、
旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した
時間は15分程度だったという。
お友達のブログでこの歌の事、先生が説明してくださった事を思い出して
思わずまた改めて、調べたんだけど
の話を見てまた思い出して・・・。
それと同時に、先日こうたんの学年は「市の音楽祭」に参加した時の
歌を、校内音楽会では歌う予定ではなかったのを、先生の配慮で急遽
歌うように指示されて、即興??って感じで、この日はこうたんの学年
2年生担当の先生・生徒全員で「島人ちゅぬ宝」を大合唱!!
音楽祭の時よりも、感動して泣きそうだった。
その後の、音楽の先生の総評の中で
「歌声の響く学校」の話が出てて、昨日の話題と頭の中がつながって
「歌の役割」って人の喜怒哀楽や歴史のすべてにおいて
伝わりやすく、理解しやすいツールであって
人を癒したり、団結を固めたり、記憶に強く残したりって言う時の
最強のツールでもあるのかなぁ・・・なんて思ったりしました。
音楽の先生(@1年の時のこうたんの担任でした)は
歌が好きな子供が多くて、練習してる間はみんな穏やかだった
和やかな雰囲気で、練習も進んですばらしい発表になりました。
毎年恒例で音楽会をやっているが、歌声の響く学校は
問題が少ないんだという様な話をされたのでした。
今、たちゅの学年は荒れてます。
去年辺りから2クラスあるうちの、どっちかが崩壊状態。
崩壊してるクラスの担任は、生徒に暴力を振るわれて怪我させられたりしてます。
(去年のブログ)
こうたんの学校では、夏休み前から2学期にかけて
ニュースに載る様な「いじめの問題」がありました。
逮捕者も出てしまった・・・。
この1年、波乱万丈とも言えるわが子らの通う、学校生活でした。
そんなでしたが、たちゅの学校も最近は卒業を意識し始めてきたのもあるのか
それとも、毎日の歌の練習(卒業式の練習)のおかげか、随分落ち着いてきてると
たちゅは言ってます。
こうたんの学校は、この事件の後に「合唱の練習」が続いた事もあってか
そんな事件があったことさえ、忘れてしまいそうな感じで和やかな
学校に戻りつつあります。
こうたんの学校には、私が中学生だった頃からすでに、先生だった方もいて
「校内暴力」とか俗に言う「ヤンキー」が流行った時代に苦労されてる
先生が校長先生筆頭に、何人もいらっしゃるのですが
その一人の先生@とーちゃんの担任だった・・・
先生も「君らのお父さん・お母さんたちの時分から、音楽会が始まったんだ」って
いう話もしてくれました。
よくよく考えたら、私たちの時代の後、社会問題になるほどまでの
荒れ方は無いよな・・・。
それも歌のおかげなんだろうか??
だとしたら、小嶋先生のされた事って、その前からこうたんの中学では
実行されていた事になるなぁ。(そういう実例があるので、そうされたのかも?)
今でも、昔でも県下じゃ上位5位には絶対入ってくるだろうほどの
ワルで有名な中学ですからねぇ。まぁ昔の事を思えば今のこのすることは
赤ちゃんの手をひねるようなもんですがねぇ。
しかし最近の子は、素手で喧嘩しないから性質が悪いってくらいですね。
それだけ、心も身体も弱いのかと思ったりしますが。わが子も含めて・・・
今、たちゅは中学へあがるのにすごく不安を抱えてます。
同じ学校から同じ中学にみんな上がって行くことに。
だけど別の小学校から来る新しい友達に期待も持っています。
さて、どうなる事やら・・・私もたちゅのことは不安でならないんだけど
なるようにしかならないし・・・
校長先生にも直に「先生が怪我させられたりって言う荒れっぷり」
を聞いてもらって、不安なんだと言うことを話してみたら
「あー、小学生は世間ナメとるからな~びしっと中学ではシメるから
まかしとき!」っておっしゃったのですけど、例の事件のことがあるので
転勤されたりしないか??とこっちが不安なんですよね。
先生前に、ここで骨うずめるからって言ってたのになぁ。
どうかどうか、たちゅn楽しい中学生活を送らせてやって!!
と、今は祈る事しかできないんだよね。
えらい話がそれてしまったけど
この歌から、色々思いが噴出してきてしまったのでした。
このところ10日おきくらいに調子を崩して、学校やスイミングを休みがちで
先月の最後の学習発表&親睦会(6年生は例年朝から奉仕活動やら、
食事=カレーを作ってみんなで食べたりする)を休んでしまったから
昨日のたちゅ。
明日は這ってでも行くねん!39°出ても行くで!!楽しみすぎてたまら~ん

ってしきりに言ってました。
天気も春の陽気で、ただ黄砂とかP.M2.5がひどいんですけど
雨にも降られず今帰路に着いたと、学校から

昨日、カーヴィラー仲間のブログで
卒業式の歌として、話題に上がっていた「旅立ちの日に」という歌。
この歌、長男こうたんの卒業式で初めて聞いた歌だったんですが
この歌を歌うと、事前に担任の先生から話を聞いていて
この歌の背景というか出来た時の話を聞いたのです。
そして、その話を聞いてすぐくらいだったか・・・
この小嶋先生、病気でお亡くなりになられたと聞いたんです。
そんなこともあって、印象深い曲のひとつでもあります。
この歌は、(Wikipedia引用)
1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲。
作詞は、当時の校長であった小嶋登。作曲は、音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)。
影森中学校校長だった小嶋は、荒れていた学校を矯正するために
「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。
最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果
歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、
坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、
何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、
作詞を小嶋に依頼した。その時は「私にはそんなセンスはないから」
と断られたというが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置いてあったという。
その詞を見た坂本は、なんて素敵な言葉が散りばめられているんだと感激したと、
ラジオ番組への手紙で当時を振り返り語っている。
その後授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり楽曲制作に取り組むと、
旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した
時間は15分程度だったという。
お友達のブログでこの歌の事、先生が説明してくださった事を思い出して
思わずまた改めて、調べたんだけど

それと同時に、先日こうたんの学年は「市の音楽祭」に参加した時の
歌を、校内音楽会では歌う予定ではなかったのを、先生の配慮で急遽
歌うように指示されて、即興??って感じで、この日はこうたんの学年
2年生担当の先生・生徒全員で「島人ちゅぬ宝」を大合唱!!
音楽祭の時よりも、感動して泣きそうだった。
その後の、音楽の先生の総評の中で
「歌声の響く学校」の話が出てて、昨日の話題と頭の中がつながって
「歌の役割」って人の喜怒哀楽や歴史のすべてにおいて
伝わりやすく、理解しやすいツールであって
人を癒したり、団結を固めたり、記憶に強く残したりって言う時の
最強のツールでもあるのかなぁ・・・なんて思ったりしました。
音楽の先生(@1年の時のこうたんの担任でした)は
歌が好きな子供が多くて、練習してる間はみんな穏やかだった
和やかな雰囲気で、練習も進んですばらしい発表になりました。
毎年恒例で音楽会をやっているが、歌声の響く学校は
問題が少ないんだという様な話をされたのでした。
今、たちゅの学年は荒れてます。
去年辺りから2クラスあるうちの、どっちかが崩壊状態。
崩壊してるクラスの担任は、生徒に暴力を振るわれて怪我させられたりしてます。
(去年のブログ)
こうたんの学校では、夏休み前から2学期にかけて
ニュースに載る様な「いじめの問題」がありました。
逮捕者も出てしまった・・・。
この1年、波乱万丈とも言えるわが子らの通う、学校生活でした。
そんなでしたが、たちゅの学校も最近は卒業を意識し始めてきたのもあるのか
それとも、毎日の歌の練習(卒業式の練習)のおかげか、随分落ち着いてきてると
たちゅは言ってます。
こうたんの学校は、この事件の後に「合唱の練習」が続いた事もあってか
そんな事件があったことさえ、忘れてしまいそうな感じで和やかな
学校に戻りつつあります。
こうたんの学校には、私が中学生だった頃からすでに、先生だった方もいて
「校内暴力」とか俗に言う「ヤンキー」が流行った時代に苦労されてる
先生が校長先生筆頭に、何人もいらっしゃるのですが
その一人の先生@とーちゃんの担任だった・・・
先生も「君らのお父さん・お母さんたちの時分から、音楽会が始まったんだ」って
いう話もしてくれました。
よくよく考えたら、私たちの時代の後、社会問題になるほどまでの
荒れ方は無いよな・・・。
それも歌のおかげなんだろうか??
だとしたら、小嶋先生のされた事って、その前からこうたんの中学では
実行されていた事になるなぁ。(そういう実例があるので、そうされたのかも?)
今でも、昔でも県下じゃ上位5位には絶対入ってくるだろうほどの
ワルで有名な中学ですからねぇ。まぁ昔の事を思えば今のこのすることは
赤ちゃんの手をひねるようなもんですがねぇ。
しかし最近の子は、素手で喧嘩しないから性質が悪いってくらいですね。
それだけ、心も身体も弱いのかと思ったりしますが。わが子も含めて・・・
今、たちゅは中学へあがるのにすごく不安を抱えてます。
同じ学校から同じ中学にみんな上がって行くことに。
だけど別の小学校から来る新しい友達に期待も持っています。
さて、どうなる事やら・・・私もたちゅのことは不安でならないんだけど
なるようにしかならないし・・・
校長先生にも直に「先生が怪我させられたりって言う荒れっぷり」
を聞いてもらって、不安なんだと言うことを話してみたら
「あー、小学生は世間ナメとるからな~びしっと中学ではシメるから
まかしとき!」っておっしゃったのですけど、例の事件のことがあるので
転勤されたりしないか??とこっちが不安なんですよね。
先生前に、ここで骨うずめるからって言ってたのになぁ。
どうかどうか、たちゅn楽しい中学生活を送らせてやって!!
と、今は祈る事しかできないんだよね。
えらい話がそれてしまったけど
この歌から、色々思いが噴出してきてしまったのでした。