ゲド戦記 その3
さて、午前4時過ぎにおはようようございます。
まだ仕事中。
あきたので、ブログ書くぞ。
ゲド戦記の続き。
ジブリの命運をかけた吾郎監督の「ゲド戦記」、まあ、なんというか・・・そのう・・・
おもしろくないわねえ・・・
とにかく、映画というエンターテイメントを作ることはそんなに簡単ではないすよ。
まず、しっかりした脚本を書かないといけない。
多分、ゲド戦記「さいはての島へ」をそのまま脚本にして、絵コンテを作った方が、はるかに映画としてまともになったと思う。
ゲド戦記全6冊から、要素を抜き出して、再構成し、吾郎監督がもっとも訴えたいことを全面に出して、新しいお話を作ろうとした点が無理だったですね。
そんなの、本職のシナリオライターでも、難しいとおもう。
ましてや、絵を作っていかなければならない作画の部分、つまり演出もつけなければならない監督にとって、オーバーワークですよ。
どのくらいの分担なら自分がこなせるのかという、基本的な部分さえ、分かってないままに、やってしまうのは無謀。
とにかく、まったくの初心者に、こんな無茶な仕事をやらせた点で、失敗だったんですよ。
吾郎監督が訴えたかったのは、ファンタスチックな魔法の世界の話ではない。
「逃げることなく、自分と向かい合い、生きていくこと」
この点は、理解できたし、わたしもこのポイントはスキです。
でも、それを伝えるために、画面に、観客を引き込む仕掛けも、力もありません。
思いを伝えたければ、伝えられるだけの、テクニックがいるのです。
でも、わたしは、かなり我慢して最後まで見て、それなりにおもしろいと感じていました。
しかし、最後の最後に、ちょっと、あーもう、勘弁してほしいと、思う点があった。
最後、クモと戦うシーンで、お城の屋上の塔の上の床がつるつるのシーン、「未来少年コナン」の三角塔でのレプカをコナンが追いつめるシーンの丸パクリ。
それと、最後に城が崩れていき、床が崩れていくシーン、「天空の城ラピュタ」のラストでラピュタの底が抜けるシーンの丸パクリ。
たぶん、絵コンテが間に合わず、スタッフ達が、「このシーンの応用でどうでしょう」と言う具合になったのではないか。
推測ですよ。
どんなにつたないものでも、かまわない。それがオリジナルであれば。
しかし、身内からとはいえ、パクリは、クリエーターとしては、最低である。
見ていて、悲しくなったし、目を伏せたくなった。
この映画、興行収入としては、かなり稼いだと思う。
私も含めて、とにかく、みとかないと、文句も言えないと思ったから。
この映画の不評の責任は、吾郎監督30%、鈴木プロデューサー70%だと考えている。
吾郎さんは、まだ映画を作ると言っている。
えらいっす。
これからですよ、アニメづくりの勉強は。
期待しましょう。
スタジオジブリは、「ゲド戦記」の不評で、後継者がいないと言うことが、はっきりと分かってしまった。
状況としては、悪くなってます。
高畑勲、宮崎駿であと何年つづけられるかねえ。
高畑さんは、後輩をそだてないのかね。
不思議だ。
あ、原作者のル・グゥインは、「この映画は、私が書いた話ではない、あなたが書いた話だ。」と吾郎さんに言ったそうです。
満足しているかどうかは、わかりません。
ル・グゥインのHPはこちら
☆はつけない。
さあ、しごとの続きをやろう。