すごく久々の投稿になりました。
今回は昨日Twitterのフォロワーさんの呟きを読んで、心に深く刺さった出来事を書いてみようと思います。
その方は元々お知り合いの方でしたが1年以上お会いしてなくて、そしてつい半年前にTwitterで知り合ってお互いフォローしています。その方は命の危機にさらされる難病を抱えていたのですが、頑張って克服し今では普通の生活ができるまでになりました。
でも、いくら助かったとはいえ闘病中は同じ病気で戦ってきた仲間が志半ばで命が尽きてしまったり、ご本人も命の危機にさらされたりと精神的にも肉体的にも相当苦労したでしょう。
そしてそのご家族も助けてあげたいけど、医者ではない限りどうすることもできないという切ない思いでいっぱいだったと思います。
昨日のTwitterでやり取りしていて心に刺さった言葉が、『自分が何故こんな病気にかかったんだろう』という思いと『神が与えた試練というけど、それも違う気がする』という言葉。
・・・・・あまりにも深い言葉に何も言葉が思い出せない状態でした。
『神が与えた試練』確かによく使われる言葉です。でもそれはあくまでも第三者側から言わせての言葉。本人は病気になりたくてなってしまったんじゃない。『何故?』という思いでいっぱいなのかと・・・。
私は幸い健康体なので、あまり大きなことは言えないけれど、そんな思いを抱えて今を生きている人々の思い、そして支えるご家族や大切な方の思いを肝に銘じたいと思います。
私は医者ではないので、事務的な処理しか出来ないけれど、そういった方々の思いを胸に病院の一職員として貢献したいと思います。
最後に、健康体で生まれた事に感謝し、命の尊さをいつまでも大切にしたいと思います。