行=形成作用って何なのさ?
こんなことに興味がある人が何人いるか知らないが
「行」がよくわからない。
十二縁起の
無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死
の「行」はたいてい「形成作用」と説明されているが、
形成作用って何?とますますわからなくなる言葉であった。
昨日の続きで、『新アジア仏教史03 仏典からみた仏教世界』の2章で、
馬場紀寿先生がこんなふうに書いていて、へえ、と思った。
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無知に基づいて生じる「行=諸形成作用 samskara」は、
バラモン教において「自己を作り上げること samskriti」と
同じ意味の語彙である。
バラモン教でも仏教でも作り上げることによって次の生存が起こる。
ただし仏教の場合、作り上げることは無知に基づく、
と付け加えるのである。
(※梵語がうまく表示されずアルファベットになってしまいますが)
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バラモンは、祭式によって次にいいところに生まれ変わるのが良いこと。
でも仏教では、次に生まれ変わってもロクなもんじゃない、
もう生まれ変わらずにすむ方法を教えよう、と説くわけですね。
それから、仏教でいう四つの苦、「生・老・病・死」は、
ウパニシャッドでアートマンを形容する
「不正・不老・不病・不死」を反転したものという指摘(後藤敏文氏)
も重要だと書いていた。
そのように同じ語彙を使っていると、
当時のバラモンをはじめインテリ層は、
「ああ、あのことね」「バラモンに喧嘩売ってるわけね」というのが
すぐにわかったりした・・・はすですよね?
しかし、一概に喧嘩を売っていたわけではなくて、
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バラモン教の世界観を批判する一方で、
初期経典における在家信者の生活規定は従来のバラモンの生活規定と
ほとんど変わらず(中略)
言説としてバラモン思想を批判しつつも、
実際の実践としては穏健な立場をとり、倫理的立場を固守したという点で、
行為の善悪を否定するシュラマナと一線を画していたのである。
(同書より)
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あんまり書くのもあれなので、同書を読んでみてください!

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