ビシュヌの化身のお釈迦さまは、わざとデタラメを説いていた!
昨日に続いて、『シリーズ大乗仏典2 』(春秋社)
「8章 中世初期における仏教思想の再形成」(吉永清孝著)のメモです。
この手の本で声を出して笑うとは思わなかった。
6~7世紀ごろの仏教陣営VSバラモンーヒンドゥー陣営の
仁義なき戦いが激しくて、お互いの糾弾ぶりに笑ってしまった。
あんまり書くと著作権上まずいかもしれないので、少しだけ。
<仏教陣営>
ナーガールジュナの弟子のアーリヤデーヴァ(3世紀半ば、『四百論』)、
ダルマパーラ(530-561、唯識派『四百論』註である『大乗広百論釈論』)
チャンドラキールティ(7世紀半ば、中観派、『四百論』註釈)、
バーヴィヴェーカ(490-570、中観派『中観心論』)など。
中観派・唯識派って、ケンカが強そう・・。
「ヴェーダはバラモンの先祖が創作した文献にすぎないのに、
自ら存在するもの(自然有)だと説き、暗誦して独占し、
呪文、祭火による祭り、苦行、吉凶占いなどで、
判断力に欠けた人々をたぶらかし、
バラモンを供養すると福徳があるといって供養を薦めるが、
実は自分らの妻子を養うためだろうが」などといってバラモンを攻撃。
現代の、どこぞの新興宗教から霊能者まで、当てはまりそうな批判だ。
バーヴィヴェーカが『中観心論』で
「様々なヒンドゥー教神話を例として、
梵天・ヴィシュヌ・シヴァという三主要神の悪行と無能力を指摘」
したというのも、強烈だ。
敵の「神」そのものをストレートに糾弾しちゃうんですからね。
<ヒンドゥー陣営>
・クマーリラ(600年前後の数十年、ミーマーンサー学派最大の学者)
『原理評釈』で仏教を糾弾。
バラモン思想家としては極めて珍しく、大乗仏教の利他行に言及、
菩薩の利他行という理念は、大衆の人気取りで勢力拡大するための戦略。
仏教は欲望を抑制することを説くが、それはヴェーダの一部である
ウパニシャッドに書いてあるから、正しい。
ブッダが説いたことのうち、正しい部分はすべてヴェーダからの借用であり、
仏教徒たちは実はそのことを知っている。しかし彼らはそれに我慢できず、
また恥ずかしく思っているので、両親を憎んで不良化した息子のように
自分たちの聖典がヴェーダに基づくことを認めようとしないのである。
(青字は吉永氏の文章から抜粋)
仏教は、バラモン教の不良息子でしたか!
・プラーナ文献(ヒンドゥー教の神話を集めた聖典群)
仏教への警戒心が反映されている。
特に最初期のプラーナが、世界周期のうちの暗黒時代(カリ・ユガ)における
社会の堕落を予言するなかで
仏教出家者を思わせる風貌の集団を、ヴェーダ伝統の破壊者として描いている。
『ヴィシュヌ・プラーナ』3巻最終部
魔神たちに苦しめられた神々に請われて、ヴィシュヌが、裸形のジャイナと、
赤衣を纏ったブッダ姿の分身をこの世に派遣する神話を説く。
仏教に対するバラモンの反感が屈折して現われている。
化身のブッダは「天に生まれたいと願うなら、動物犠牲をやめよ」と命じ、
さらに「世界は認識より成る」「世界は支えるものを持たない」と
唯識と空の思想を広め、「目覚め(budh)よ」と繰りかえし促す。
さらに祭式と先祖供養の無意味さを揶揄し、ブッダの言説は合理的だとする。
そして、この教えにたぶらかされた魔神たちは、ヴェーダ祭式を廃したために弱体化し、神々との戦いで敗北したとされる。
(ここは後で付加された可能性もあるが、ブッダを含むヴィシュヌ十化身の名は
すでに7世紀後半の南インド碑文に刻まれている)
(青字、同上)
はー。お釈迦さまは、魔神をたぶらかして滅ぼすために、
わざとインチキな教えを言いふらしてたんですね~(笑)。
お釈迦さまを「ヴィシュヌの9番目の化身」としてヒンドゥーに取り込んだのは
知っていたが、教えの中身が全然違うのにどうやって?と思っていたら、
なるほどこういう筋立てを考えたか。変に感心してしまった。

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