人前で頭がオカシイふりをする修行(『インド思想史』その2)
あけましておめでとうございます。
前回に続いて『インド思想史』(岩波全書、中村元著)の、
あんまり主流ではないこぼれ話です。
紀元後~6世紀頃のインドを見ると、
伝統仏教は20派ぐらいに分裂するし、大乗仏教は各種生まれるし、
バラモン教ではいわゆる6派哲学が生まれるし、
そうこうするうちバラモン系がヒンズー教となり
シヴァ派とヴィシュヌ派が出てきて・・・と、
いろんな人がいろんな「真理」と修行法を主張して、
すごいことになっている。
そのなかで、一番ファンキーで印象に残ったのが、
シヴァ派の中の獣主派(パーシュパタ派)という人たちだ。
「シヴァ聖典派と哲学的に密接な関係のある獣主派では、
修行として特に身体に灰を塗ることを行い、
また衆人の前で奇声を発したり笑ったり踊ったりして、
世人の嘲笑・軽蔑を招くようなことを故意に行い、
それが宗教的実践となると主張した」
(同書より)
わざと奇声を発して踊ったり・・・色物芸人のような修行だが、
人ってつくづくいろんなことを思いつくものである。
それから、ドラヴィダ人のことも印象に残った。
ご存知のとおり、バラモン教も仏教も、
インドを征服・定住したアーリア人が作った文化だ。
かわいそうな先住民・ドラヴィダ人は隷民としてこき使われるのだが、
紀元前後になると南インドのドラヴィダ人が独自の文化を確立して、
タミル語による文学も現われた。
中でも有名なのが、『ティルックラル』(AD2C頃?)という
タミル語の箴言集。
クラルとは「短い詩節」の意味で、2行詩形の1330個の格言集だ。
(「法」「財」「愛」の3篇に分かれている)
仏教やジャイナ教の影響も受けているらしい『ティルックラル』、
これがかなり、いいことが書いてあるっぽいのだ。
同書から孫引きすると
「真の施しは報酬を求めない。
いったい世界は、雨を与えてくれる雲に対して何を報いるだろうか」
「慈愛という富こそ富の中の富である。
財産という富は愚民でも所有できる」
「外的な純粋は水によって現される。
心の純粋は誠実において明示される」
「快楽を熱望せず苦しみを当然なものと心得ている人は
心痛することはないであろう」
ねっ、名言でしょう。
ティルックラル―古代タミルの箴言集 (東洋文庫 (660))