菩薩行を科学する?(『利他学』)
持ち歩き用として今読んでいるのは『利他学』という本です。
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『利他学』 小田亮 著 新潮選書(1260円)
(以下、版元HPから)
人はなぜ、赤の他人にまで救いの手を差し伸べようとするのか?
「自分の遺伝子を後世に残すこと」が生物の最大の目的ならば、なぜ人は赤の他人を助けるのか? なぜ自分が損をしてまで、震災の被災者に物資や義援金を贈るのか? 「情けは人の為ならず」という言葉と「進化」との関わりは? 生物学、心理学、経済学、哲学などの研究成果もまじえ、人間行動進化学がヒトの不可思議な特性を解明する!
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強弱の差はあれど、およそどの宗教でも、あるいは道徳でも、
「他人のために何かをする」のは、善きこととされていますよね。
大乗仏教の菩薩行など、利他が炸裂している教えかと思います。
(もし、利他を悪しきこととしている宗教があれば、興味があるので教えてください)
でも、それはなぜなのでしょう?
「利他」という不思議なメカニズムが、
なぜ、どのようにして人間にプログラムされているのか?
さまざまな実験や研究成果から探求したのがこの本です。
普通に考えて、生物として自分や自分を含む集団が
環境に適応してサバイブするのに役立つから、
利他というメカニズムが構築されてきたわけですよね。
本書に出てくる実験で、一番シンプルなのは「独裁者ゲーム」。
被験者にたとえば1000円渡して、赤の他人に分配してください、
分配額はいくらでもいいです、というような実験をします。
面白かったのは、
実験室に「目」の絵(エジプトの「ホルスの目」)を置いていくと、
分配額は増えるという結果が出ているそうです。
また「鏡」を実験室に置いた場合も増えるそうです。
(ただし鏡は屋外実験では統計的に有意な差は出なかったとのこと)
ものすごく荒っぽく考えると、宗教というのは
・「利他行動をすると見返りがある」という担保
(天国にいける、来世でいい生まれになる、今生で苦が減る、など)
・目や鏡のような効果
(神が見ている、というような)
という機能を果たしているようにも思えます。
もっと荒っぽく考えると、
ユダヤーキリスト教のように「神が見ている(時には罰も下す)」=目
初期仏教のように「自分で自分を客観視して抑制せよ」=鏡
という感じもします。
今わたしはあまりにも直観で書いているので、あてにはなりません。

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