お釈迦さまも十大弟子も金持ちだった(「大乗仏教興起時代」4) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

お釈迦さまも十大弟子も金持ちだった(「大乗仏教興起時代」4)

ちびちびと読んで来た『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活
(グレゴリー・ショペン教授著)を、やっと読み終わりました。


現存する律(僧院規則)のなかで最古だと教授が主張する
「根本説一切有部律」(1~2世紀?)を読み解いて、
明らかになった僧院の姿は、いままでのイメージをひっくり返すものでした。


なかでも白眉は、「僧院と経済」。
つまり、一般のイメージ=初期の僧院は”清貧”で、
お金のことなど考えずに修行だけに励んでいた=というイメージとは違い、
お金のことを考えまくりだったということが証明されるのです。


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「僧とは私的財産を放棄した人」
「初期の教団は財産を持たず金銭に清潔だったのに、
 だんだん蓄財をするようになって堕落した」
というようなロマンティックな妄想を、教授はまず否定します。

堕落ではく、規則そして財産は持っていた。

根本説一切有部律のなかに「貧困の誓いというようなことを
示唆するものは絶対に存在しません
」と。


キリスト教でも仏教でも、
現存する最古の僧院規則を見ると僧は明らかに財産を持っている、
「お釈迦さま時代の教団」の律は残っていないのだから
誰もその実情を推測することなどできない、というわけです。


財産についての記述が溢れているので書ききれませんが、
以下はその一部です。
お釈迦さまが「寄進者から貨幣を受け取って思い通りに使うべきである」
と言うなど、お釈迦さま自身の方針という形で書かれています。



・僧は金銀を所有していた

金と貴金属を寄進されたら、3つの取り分に分けなければならない。
①仏陀 ②法のためのもの ③僧院の取り分 に分けて、
僧院の取り分は僧たちのあいだで分配する。
寄進者から物品を寄進された場合は、それを売って貨幣に換えてもよい。
「僧はお金を触ってはいけない」という規則があるにはあるが、
全体としてそれに触れている部分は少なく、些細な規則だったようだ。


・僧は建築現場監督でもあった

托鉢僧は在家者に「福業事」(物質的な善行)を進める。
たとえば「僧院には浴室がないのでそれを寄進してほしい」などと。
そして、僧自身が「私が功徳の協力者になります」といって、
建築現場監督として賃労働者を雇って、設備を完成させた。


・「福徳者」とは「有名で金持ちな僧」

特定の僧を指名する寄進は本人のものになったので、
ジュニャータ・マハープンシャ(高名で大功徳ある者)と呼ばれる僧がいた。
あまり徳の高くない僧・ウバナンダなどにもこの称号が使われている。
つまり、「福徳者→金持ち」ではなくて、「金持ちなら徳が高い」という、
ほとんど「稼ぐが勝ち」(Byホリエモン)のような世界があった。
一方で、無名で貧乏な僧もいる”格差社会”だった。


・お釈迦さまをはじめ有名弟子は金持ちだった

ご指名の多い有名僧、シャーリプトラもマハーカーシャパもみんな金持ちだった。
たとえばマハーカーシャパは、お釈迦さまの供養を完全にやり直しているが、
1回目の葬儀用品をそろえるのにクシナーラー全村がかかわったことを考えると、
マハーカーシャパの私有財産は村まるごとの資産を上回ったと思われる。
もちろん、一番の金持ちはお釈迦さま。
『アヴァダーナ・シャタカ』にも、「世尊は有名で金持ちで、これこれの財産を
っていた」という常套句が100回登場する。


・仕事のために修行を休んでもよい

安居(修行期間)に入っていたために、寄進をもらいそこねた例があって、
お釈迦さまは妥協することにした。
「世尊は自ら考えられた。ああ、私の弟子たちは布と食物との寄進を
必要としている。僧が安らかに生活できるように、かつ寄進者の布施を
生かすために、7日間の猶予を公認すべきではなかったか。
だから私は、業務の場合には7日間の認可を受けて出かけるべきことを公認しよう」
(安居時)
そして、在家者から「寄進します」とか「説法してください」といって招かれた
場合などは、届けを出して7日間は安居を休んで仕事に行くよう、定められた。


きりがないのでこのへんにしておきますが、なんたる人間くささ。
私は今まで、このブログでも「初期教団の僧は労働禁止」と乱暴に書いていましたが、
農業などの生産労働をしなかっただけで、僧の「仕事」はたくさんあったんですね。
仕事のけっこうな割合は、寄進がらみのようで、
いつの時代もスポンサー集めには苦労がつきものだったようです。




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