戦地で敵を殺すのは殺生にあらず 『日本近代の戦争と宗教』その2
鬼の首でもとったように「戦争責任」を言い立てるのは
いかがなものか、と思うわけです。
第二次大戦以前、「戦争は悪」とされていなかったし、
もし非戦論を唱えれば特高警察に処刑されてしまうし。
とはいえ、
仏教の基本中の基本「不殺生戒」と、「戦争協力」が、
なぜ易々と共存できてしまったのか?
(まあ、日本はもともと僧兵とかいたわけですけどね)
そんな興味で読んだのが、
『近代日本の戦争と宗教』(’10年、講談社選書メチエ)です。
戊辰戦争~日露戦争までの、仏教・神道・キリスト教会と
国家の関係を、資料から読み解いた本です。
以下は単なる自分用のメモなので読むに堪えませんが・・・。
しかし、古今東西の歴史上、
戦争を宗教が止めたことってありましたっけ?
あったら教えてください。
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◆「真俗二諦」国家に貢献する宣言 ◆
政府軍と幕府軍の戦いのなかで、いちはやく政府軍に肩入れした
西本願寺は、勤皇の姿勢を教義上において明確に規定した。
慶応4年、法主・広如が出した勅令のキーワードが「真俗二諦」である。
「真俗二諦」
真諦=真実にして謬りのない真理、宗教的に絶対的な立場
世諦=世間的道徳、相対的立場
これで、生きてるうちは「勤皇、国家への貢献」、来世は西方浄土へ、
という二諦の両立が宣言された。
乗り遅れた感のある東本願寺も、前のめりになって新政府に協力。
「勝ち馬に乗れ」ということですね。
※「真俗二諦」は、どうも詭弁っぽいように思えるけれども、
サンスクリット語にもあり、中国では古くから各種の解釈があって、
宗派によっても解釈が違う。
でも当時「国家への貢献」は「戦争への協力」にならざるをえなかった
わけで、結局は「仏教者としては不殺生、でも世俗人としては戦え」
というダブルスタンダードになっていく。
◆ 「大教院」 ◆
明治2年、政府は教部省管轄の「大教院」を設立する。
神仏を敬い、愛国心を育て、天皇・新政府に従うよう国民を指導する
のが目的。仏教各派・神道から教導職(宗教官僚ですね)が選ばれ、
全国の信徒を統括・教育する。
例えば、初の海外派兵=台湾出兵(明治7年)のときも、
「神仏に戦勝を祈願させ、民心を団結させる」ために機能した。
(信徒への説教でも、日本軍の活躍や、銃後の貢献を説くような
軍事説教が行われた)
◆ 戦費の献上、従軍布教 ◆
日清・日露戦争では、仏教・神道とも、より積極的に貢献。
各派が義援金を軍に寄付したり、大陸におもむいて従軍布教団を送り込んだり、
戦死者の法要に出向いたりした(敵の戦死者も含めて法要した
というのが、せめてもの救いか・・・・)。
キリスト教会も、基本的には協力的だった。
あらゆる戦争は「正義の戦い」と正当化されるが、
日清・日露戦争も「アジアの救世主である日本が、東洋の平和を守る」
などの言い方で正当化された。
仏教会では、
「死地に飛び込んで迷いが消えたときこそ悟りを得ることができる」
「正義の戦いで敵を殺すのは殺生ではない」などと説教した。
(本当に、モノは言いようというか。悲しくなってくる)
特にすごいのは、新興の国柱会・田中智学で、
「日蓮主義と日本主義、日本仏教と日本の国体は同一・一体である」
「世界平和を実現するため、日蓮主義・日本主義で世界統一すべき」
「天皇は、古代インドの理想の王・転輪聖王である」などとブチ上げた。
◆非戦を唱えた宗教者も ◆
日清戦争では、ほとんど非戦論は出なかったが、わずかに
キリスト教クエーカー派の「日本平和会」が結成された。
この設立にかかわったクリスチャン作家・北村透谷は、
「戦争は悪魔の誘惑に負けた行動」
「釈尊はアリ一匹殺すのに哀れみを感じたのに、
百万の衆生を残害するのはなんたることか」
という趣旨の非戦論を書いた(のちに自殺)。
日露戦争になると、非戦論者も出てきた。
たとえば社会主義の影響で、非戦を唱えた高木顕明(真宗大谷派)。
極楽浄土とは、平等な社会主義が実現した世界と考え、
のちに大逆事件に関与して刑務所内で自殺する。
キリスト教の内村鑑三は、日清戦争には賛成したが、日露で非戦論に。
社会主義者の『平民新聞』は、「戦勝祈祷するようなキリスト者は
宗教家にあらず」と烈しく批判した。
しかし・・・国家が日中戦争・太平洋戦争に突き進んでいくなかで、
宗教界の協力も、よりあからさまになっていくのでした。

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