ゲイの花園!? 『思想の身体 戒の巻』
「戒」=仏教徒に課せられる道徳的規律
(殺生やSEXをしないとか)
「律」=出家者の集団内の法律
(200以上の禁止条項と膨大な運営規則)
仏教に興味がある現代人にとって、この「戒・律」は、
もっとも不人気な分野ではないでしょうか。
「あるがままに」とか「ほっとする」とか「癒される」
みたいなものとして仏教を求める現代の日本人にとっては、
そんな、校則よりもっと細かい決まりがあるなんてイヤ!
となるのですが、仏教は「あるがままでいい」ということとは
むしろ逆の、「努力の宗教」として生まれたのですよねえ。
この『思想の身体 戒の巻』は、
そんな不人気分野を取り上げた、珍しくかつ良心的な本でした。
日本に伝わった「戒・律」は、釈迦の仏教とはだいぶ違うけれど、
やっぱり私たちが想像するより規則だらけだったのですね。
8世紀頃の日本では、正規の僧侶は”国家官僚”であって、
国による受戒(国家公務員試験みたいなもの?)が必要で、
それを行ったのが東大寺戒壇院だったそうです。
で、鑑真は、戒を授ける導師として日本に呼ばれたそうです。
それに異議を唱えて、「大乗戒」という新たな主張をした最澄が
比叡山延暦寺に戒壇を作ったというのです。
で、受戒という”資格試験”が、時代を経るとともに
グズグズになっていき・・・・。
この本で一番ショッキングなのは、
宗性(1202~78年)という僧の「誓文」です。
宗性は、東大寺別当ですから、当時を代表する学僧の一人です
(東大名誉教授ぐらい?)。
その人が5つの禁戒を誓った文書が残っているのですが、
そのうちの2つが・・・
・もう95人の男とSEXしちゃったけど、100人以上とはしないことにします。
・男の愛人は、亀王丸クンだけにします。
なんじゃこりゃ~~~~~~~!!!!
最も偉いほうの僧侶でこれですから。
当時の日本の僧は、男とやりまくりのゲイの花園だったわけです。
95人って、どんだけやってんだよ・・・。
その後、日本仏教の歴史の中で戒律復興運動なども起こるのですが、
基本的にはグズグズになっていったようで、
明治5年に、政府により「太政官布告」が出されます。
「今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪、勝手たるべし」。
=お坊さんは公務員じゃないんで、
肉食う・結婚する・髪を伸ばすとか、もう勝手にすればぁ?
政府の、この投げやりな調子も、なかなかショッキング。
かなり違う角度から、仏教を見られる1冊でした。
『思想の身体 戒の巻』 松尾剛次・編著 春秋社、2006年