「生きたい」けど「生きられない」

「死にたい」けど「死なせない」

この2つが存在する寿命。


どちらが幸せかと考えると、「生きたいけど生きられない」の方が、幸せかもしれませんね。

「生きたい」には、まだ見たい、まだ一緒に居たい、アレもコレもしたい、など求める事があるからです。

ただし「死にたい」の方は、日々が辛く感じ、些細な幸せでさえ、感じにくくなっています。

常に嬉しい事や楽しい事を、嫌な事や悲しい事が、上塗りしてしまうからです。

これを回避する術は、多分 無いのでしょう。

だって「死にたいけど死なせてもらえない」の寿命タイプなのですから。


大きく分けて、『幸せの人・不幸せの人』が居る事で、この社会は成り立っている。

光と闇の関係みたいな。

何も無い空間に光を照らす、そこに物が現れると、少なからず影も現れます。

この些細な影が「不幸せな人」の原理。

笑顔で過ごす人の、知らないトコで、泣いている人が居る。



ただそんな事を気にして生きてたら、この世はツマラナくなります。なので知らない事にするのです。



例えば夜の暗い道で、知らない人が居たとします。

「こんなトコで何してんの?」と誰もが思うシチュエーションです。

アナタなら「ドウかされましたか?」と声を掛けられますか?

自分は「こんなトコで何やってんやろう?」と思いながら通り過ぎて行くでしょう。


この人が、とてつもなく困った心境で、そこに居たとしても。誰も近付きはしない。


と また話が反れそうになるので戻します。

死にたいと願う人の行動「自殺」が遂行された方は、逆に幸せだと言う事を。

何故なら未遂で止まり、まだまだこの世界で、生きて行く事になる人は、それが苦痛でしかないのですから。まさに半殺しみたいな。


そして残酷な事に、この人がこの状況を、変えられる確率は、かなり低いと言う事。

だって「死にたくても、死なせてもらえない寿命」の人だから。そう言う運命の人なのですから。


なので「生きたくても、生きられない寿命」の人もしかり。

双方とも「これは運命」なのだと、認識すれば多少は気が楽になれると思います。