妊婦時代⑥ の続きです
仮眠をとり少し朝食を食べた後、
小児科の先生が数名
息子の状態を説明しに病室に来られました。
「赤ちゃんは今、
NICUで元気にしてくれています。
ただ、自力での呼吸は厳しいので
人工呼吸器を付けて
呼吸のサポートをしています。」
「26週で生まれそうになりながら
よく31週まで頑張りましたね。
ただ、満期でお生まれになられた
赤ちゃんに比べれば
やはり発達面に注意が必要です。
しかし赤ちゃんの発達は
マイナスだけではありません。
発達をプラスの方向に伸ばしていくのは
お父さん、お母さんの役割が大きいです。
NICUに入院して
治療を頑張っている赤ちゃんを
家族皆で支えて頂き
たくさん褒めて
たくさん可愛がってあげることが
何に増しても
赤ちゃんの発達を伸ばす事に繋がります。
産科も新生児科も
チームでご家族を
サポートさせて頂きます。」
「ただ、この病院のNICUには
次々と赤ちゃんが運ばれてきます。
なので、もし赤ちゃんの状態が良ければ
後日、他の病院に
赤ちゃんは転院して頂きたいのです。」
確かこのような事をおっしゃっていました。
お笑い芸人のパーマ大佐に似た
若い男性の先生ですが
私たち夫婦の目をしっかり見て
ゆっくりと丁寧に説明して頂き
産後初めて涙を流しました。
その後、NICUでの面会許可がおりたので
夫婦で赤ちゃんに会いに行きました。
この子がつい数時間前まで
私のお腹にいた赤ちゃんなのか。
昨日の今頃、主治医による内診で
赤ちゃんは元気だね〜
子宮頸管は短いけど
今すぐに生まれるとかではないよ〜
あと2ヶ月くらい入院になるけど
頑張ろうね〜
なんて笑いながら話していたのに、
まさかその数時間後に破水して
生まれるなんて。
なんか不思議な感じで。
あまり話すことなく
数枚写真をとって部屋に戻りました。
この日は私も身体がしんどくて
主人が帰宅した後は
一度もNICUに行くことなく
息子の写真を見返していました。
呼吸器をつけ、
たくさんの管を体に通して
険しい表情の息子を見ると
早く産んでしまってごめんね。
妊娠中、私が動きすぎたかな。
出血とお腹の張りで何度も病院を受診して
それでも先生には
仕事を続けて大丈夫って言われてたけど
セーブするべきだった。
小さく産んでごめんね。
・・・とたくさんの感情が込み上げてきて
険しく苦しそうな息子の写真を見ると
涙が止まらず
帰宅した主人に電話をかけました。
しかしポジティブな主人は
「え?どこが苦しそうなん?
俺にはそんな表情には見えない。
頑張るぞーってイキイキしてるやん。
先生が言う通り
たくさん褒めてたくさん可愛がって
大きく育てよう!」
と明るい声で言い放ちました。
その言葉に励まされ
翌朝、すぐにNICUへ向かいました。
しばらく息子を見つめて
数枚写真を撮って部屋に戻りました。
その次の日、
息子が誕生して2日後のこと、
面会時間になったら会いに行こう
と思っていたのですが
小児科の先生が部屋に来られて
「〇〇さん、申し訳ありません。
また次の赤ちゃんが
NICUに運ばれてきそうなので、
〇〇さんの赤ちゃんにはこれから
〇〇病院に転院していただくことに
なりました。
〇時に向こうの先生が
救急車で赤ちゃんを迎えに来られるので
それまでNICUで
赤ちゃんと過ごして下さい!」
とのこと。
急いでNICUに向かい
離れ離れになるけど頑張ってね。
また、お母さん退院したら会いに行くね!
と伝え、
しばらくすると転院先の先生が
息子を迎えに来られました。
保育器をうつされ、
すごいスピードで息子は運ばれていきました。
お母さんもエレベーター前まで
一緒に来てください!
と言われたので
私も必死に追いかけ、見送りました。
皆が普通に利用する通路を通って、
エレベーターに乗って行ったので
小さな息子は
皆の視線をあびまくり!
そりゃいきなりこんなに小さな赤ちゃんが
エレベーターに乗ってきたら
びっくりするわ!そりゃ見るわ!
と突っ込んだものの
息子を見送った後はまた号泣。
私が当初入院していた個人病院は
妊婦さんが切迫早産等の理由で
入院するフロアと
産後のお母さんたちが
母子同室で入院するフロアが同じで
毎日幸せそうな家族の声や
赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
夜中、トイレに行く途中
生まれたての赤ちゃんを
部屋の外で抱っこするパパさんと
すれ違ったりして
良いなあ、私もあと3ヶ月耐えたら
こんな風になれるのかな、
と思っていました。
実際思い描いていた出産ではなかったけれど
息子は今
たくさんの先生、看護師さんに
サポートしていただき
頑張っている!
今は泣いている場合ではなく
はやく母乳を届けられるように
搾乳の練習をしないと!
と言い聞かせ、
助産師さんの力を借りて
痛いマッサージに励むことにしました。
助産師さんに助けていただいたお陰で
私が退院する頃には
少しずつ母乳も出るようになり、
息子の面会&3時間おきの搾乳生活が
スタートしました!
