痛みが最初の出会いだった。
圧倒的な 自分が壊れたという底つき体験。
圧倒的な アフリカのエイズ禍。
本当に、ひたすら一緒に、すべてをわかちあってきた。
わかちあった多くの人は、今はもうこの世にはいない。
本当にたくさん歩いて
歩きながらニバルレキレを作っていった。
コミュニティのために生きようとする仲間に出会った。
長い年月の中で小さな奇跡が生まれた。
長い年月の中で、大家族の一人一人が、モーニングワーク(喪の作業)を
それぞれの葛藤の中で、おこなっていった。
本当に、多くのことがあった、
10数年。
その、南アに生きる一人一人の歴史への敬意を払ってくれているのか
どうか。
ニバルレキレがなぜ存在しているのかの歴史に目を向けてくれているのかどうか。
私は、南アに興味がある、ニバルレキレの南アの活動に関心があると
連絡をくださる方たちには、プロジェクト以上に、プロジェクトが生まれるまでの
すべての私たちの痛みを伴う歴史に興味があるのかどうかを必ず教えて欲しいと
思う。
そうでないのなら、たぶん他の団体がその人には合っていると思うから。
そうでない人とわかったときの悲しさは、私には耐えがたいから。