今回の東北地方太平洋沖地震で思ったこと。
それは広告は少しも世の中を良くしないということ。
東京では節電のため、多くの街の電気看板が消され、どこも差異がない。
すべての看板の灯りが消された中で一つだけ看板が灯っていれば、注目もされるだろうが、
看板に電気を使ってはいけないというルールがあればどこも平等だ。
人間はどこまでいっても先入観というかイメージで物事を決断するので、
先進各国では広告技術が進歩し、情報過多の時代に少しでも自分たちの行いや製品を認知してもらえるようにしのぎを削っている。
自分たちは広報し、営業し、宣伝することで世の中に良いものを気づいてもらい、使ってもらっている。
会社の文系社員の大半は自分の仕事が世の中を良くしているか?という問いの答えとしてこう答えるように思う。
私も少なからずそのように考えていた。
だが、この論理は良くないものを売る人にもあてはまる。
自分が良いと思い込んでいる自社商品が実は欠陥品でそれを自分の未熟さのために多くの人に売りつけていたら……。
悪いものを売る人や宣伝する人も一生懸命買ってもらう努力をすることが可能なのだ。
私は「たくさん売れるようにする行い(=営業、広報)」に多くの人員が割かれる国はますます実を伴わないものになってしまうように思う。
日本では理系離れが進み、どんどん大学は遊ぶことしか考えていない者(私も)が増えている。
日本はこのまま堕落し続けてしまうのか?
どうすれば日本はもっと良くなるのか?
弁護士や歴史学者などを志す人以外はすべて理系で、経済・法律などは基本的には一般教養にできないだろうか。
あとは今の文系科目(経済、法、商)などはディスカッションの授業にする改革がしたい。
節電を余儀なくされている今でなく、平時から無駄な電気があったのではなかろうか。
営業をすべての会社がもっと開発に充てるようになればもっと国としての国際競争力が増すのではなかろうか。
地震でこのようなことを思いました。
国内での高コストな宣伝合戦に明け暮れなくとも、正しい評判が伝わり、良いものが勝手に良く売れる社会になり、商品やサービス自体に多くの人員や知恵が割かれ、日本が復興できるようないいアイデアや私が思ったことの間違いを正していただけると幸いです。
それは広告は少しも世の中を良くしないということ。
東京では節電のため、多くの街の電気看板が消され、どこも差異がない。
すべての看板の灯りが消された中で一つだけ看板が灯っていれば、注目もされるだろうが、
看板に電気を使ってはいけないというルールがあればどこも平等だ。
人間はどこまでいっても先入観というかイメージで物事を決断するので、
先進各国では広告技術が進歩し、情報過多の時代に少しでも自分たちの行いや製品を認知してもらえるようにしのぎを削っている。
自分たちは広報し、営業し、宣伝することで世の中に良いものを気づいてもらい、使ってもらっている。
会社の文系社員の大半は自分の仕事が世の中を良くしているか?という問いの答えとしてこう答えるように思う。
私も少なからずそのように考えていた。
だが、この論理は良くないものを売る人にもあてはまる。
自分が良いと思い込んでいる自社商品が実は欠陥品でそれを自分の未熟さのために多くの人に売りつけていたら……。
悪いものを売る人や宣伝する人も一生懸命買ってもらう努力をすることが可能なのだ。
私は「たくさん売れるようにする行い(=営業、広報)」に多くの人員が割かれる国はますます実を伴わないものになってしまうように思う。
日本では理系離れが進み、どんどん大学は遊ぶことしか考えていない者(私も)が増えている。
日本はこのまま堕落し続けてしまうのか?
どうすれば日本はもっと良くなるのか?
弁護士や歴史学者などを志す人以外はすべて理系で、経済・法律などは基本的には一般教養にできないだろうか。
あとは今の文系科目(経済、法、商)などはディスカッションの授業にする改革がしたい。
節電を余儀なくされている今でなく、平時から無駄な電気があったのではなかろうか。
営業をすべての会社がもっと開発に充てるようになればもっと国としての国際競争力が増すのではなかろうか。
地震でこのようなことを思いました。
国内での高コストな宣伝合戦に明け暮れなくとも、正しい評判が伝わり、良いものが勝手に良く売れる社会になり、商品やサービス自体に多くの人員や知恵が割かれ、日本が復興できるようないいアイデアや私が思ったことの間違いを正していただけると幸いです。