『知覚された世界』
まだ最近、三年くらい前こと。
娘に私がどんなに苦しい思いをして、あなたを育てたか。
そんな話しを久しぶりにした時(そんな話しをしたくなったある出来事があり)
娘は、「もう何回も聞いている。もう聞きたくない!」と、言われました。
え?
は!っとしました。
私は、そんなに話したつもりはないのに。
逆にあまり話してないつもりだったのに。
びっくりです。
そして思い出したのです。
もしかしたら、私も自分の母に対しての思い出はそれと同じ?
私の小学生の頃の記憶は、母はよく「私なんか生きている価値はない」と泣いていました。
そんなことないよ。ママのこと大好きだよと慰める役目の私。
私が、いつも母はそうだったという記憶は、もしかしたら一年に二回くらいだったかも?私は週一くらいと思っていたけれど。
自分の思い出の曖昧さに気づいたんです。
だったら、そこに囚われずに母は女手ひとつで私たち姉妹を育ててくれた事に目を向け感謝しようと思い直したんです。
このように思考を切り替えられたのは、13年間学び実践し続けたおかげ。
できないことの方がたくさんある中でも、私は幸せになれると信じて学び実践し続けているからとだ思います。
そしてあまりにも、学ぶ前は自分は嫌なやつで不幸だったと思い込み過ぎていたから、そこには戻りたくないという気持ちもあるのだと思います。
選択理論心理学の言葉で知覚された世界とあります。
人は現実世界を知覚のフィルターと価値のフィルターを通して捉えています。
自分の五感とどんな知識を持っているかによって、知覚された世界は人それぞれ違います。
過去の自分をどれだけ不幸だったかと知覚するより、過去の自分はどれだけ幸せだったかと知覚し感謝したほうが、前に気持ちよく進めると思考を変えました。
そんな過去の記憶の書き換えが私の自己概念を高くするひとつとなりました。