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【尊厳を生きる】

あなたはクリント・イーストウッド監督の映画を観たことがありますか?

彼の映画は常に、「人としての尊厳」を扱っています。

尊厳なくして生きることの虚しさ、身の危険を冒してまでも守ろうとすることの素晴らしさと悲しさ!

「ミリオンダラー・ベイビー」では、女性ボクサーの尊厳を守るために、老コーチは自らの手で彼女を殺してしまうという痛烈な決断を下すことになります。

「グラン・トリノ」では、過去の過ちを償うために、自らの命を引き換えに、事件を解決へと導きます。

「硫黄島からの手紙」では、もはや勝ち目のない戦闘を前に、家族への手紙にだけは明るい話題を書きつづける軍人の生きざまに、胸を打たれます。

「人としての尊厳」のために生きる生き方の、なんと力強いことか!

イーストウッド監督の映画を観るたびに、そう痛感します。

この強さは、モチベーションという言葉では表現できないほど、痛烈なものです。

どんなに邪魔が入っても、どんなに厳しい状況に置かれても、その力が失われることはありません。

これは、究極のモチベーションと言ってもいいでしょう!

尊厳と言っても、他人からの評価を得たいという名誉欲のようなものとは異なります。

ここは誤解してはいけない重要な点です。

この尊厳はあくまで、自分自身の価値観に基づいたものであって、他人からの評価基準に従ったものではありません。

時には他人に誤解を与え、辱しめを受けようとも貫き通すものです。

だからこそ、鋼のような強さを持つのです。

やたらプライドが高く、威圧的に振る舞う人がいますが、これは他人からの評価に振り回されている寂しい人です。

尊厳を失うことがなければ、屈辱的な扱いを受けても平気です。

会社から抑圧的な扱いを受けても気になりませんし、人からの悪口も、平気で受けとめることができるでしょう。

尊厳のために生きる──。

これは、モチベーションを高め、維持していくための最高の方法と云えます。

人はあまりに自分自身を不当に貶めています。

自分自身の尊厳をないがしろにして、不本意な命令に従ったり、他人の評価を得るために媚を売ったりしています。

そうした言動を行うたびに、モチベーションは下がり、あなたの尊厳は失われていきます。

他人の評価を前提とした「勝ち組」を目指す方法は、あなたを卑屈にするでしょう。

「他人の失敗」を前提とした「勝ち組」という目標設定は、あなたを傲慢な人間に変えてしまうかも知れません。

尊厳を求める生き方をするためには、その罠にはまってはいけないのです。

お金や名誉といったものは、やる気の導火線に火をつけるところだけで十分です。

できるだけ早く、尊厳を求める生き方へと切り替えることです。

そうしなければ、どこかでモチベーションは消えてなくなってしまうでしょう。

何よりも、大切な人生を他人のために生きることになってしまいます。

最終的なゴールは、自分の尊厳を守るための生き方にあるのです。

ユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に送られた心理学者ヴィクトール・E・フランクルが著した「夜と霧」では、明日にはガス室に送られて殺されてしまうかもしれないという極限状態の中にあって、人の精神状態がどう変化するのかをつぶさに説明しています。

彼は生きる意味について次のように述べています。

「必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない」

生きることから得られるものを期待するのではなく、自分が生きることで、いったい社会が、そして世界が何を期待しているのか?

困難な状況で自分が生き長らえるとしたら、それは自分に何かが求められているからに他なりません。

フランクルはアウシュビッツでの体験を通じて、こうした180度の転換こそが重要であると気づいたのです。

人は、誰一人例外なくこの世界から何かを期待されている、唯一無二の存在です。

このことに気づき、その期待に応えようとすることが、尊厳を持った生き方につながるのです。

生きることで何かを得ようとする生き方は、一歩間違えると他人を貶めてでもいい思いをしようとする卑しい生き方につながります。

しかし、生きることで何かを与えようとする生き方は、こうした卑しさに陥ることがありません。

生きることで与える──。

そして、与えることによって、生きる意味を見出だす──。

これは、生命全体を貫く大原則です。

こうした贈与の原理こそが、生命に生きる力を与えてくれるのであり、「大樹の太い根のようなどっしりとしたやる気」の正体なのではないでしょうか?