5:30。すでに5:00から開いているチケットセンターに並ぶのは国際色豊かな観光客だ。

 

おじさんは約束していた時間より30分ほど遅れてきた。寝坊してしまったらしい。宿の前、朝の暗い砂利道で、たむろっているトゥクトゥク乗りの兄ちゃんたちがしきりに勧誘してくる中、連れのラインにわびの連絡がきた。

幸い朝日には何か起こらない限りは間に合う時間。申し訳なさそうに車を停めてきたおじさんに連れられて、アンコール・ワット手前のセンターまでほんのひと走りだ。

 

アンコール遺跡の入場券は、1日券が39$で、4000円を超えてくるが、遺跡の素晴らしさやこれが遺跡の修復・保存に回されたりすることを考えると安い。カンボジアではリエルという通貨が使われているがドルも(というか観光地などではむしろこちらの方が)流通していて、今回一日ちょっとの滞在ではドルだけで事足りた。機械で撮られた写真が載ったチケットを持って寺院の門へ歩く。

 

暗がりの中、大勢の人の流れの中を歩く。この道の先にあのアンコール・ワットが待っているんだという何か期待に満ちた共通の雰囲気が醸し出されている。道路の脇には、小さな屋台のような売り場があって、クメールのおばさんが立っている傍から湯気が出ている。少なくない若者が通り行く人たちにガイドとして自分を熱心に売り込んでいるが、ほとんどは相手にしていない。

 

少し待って、ついに開門。工事が入っている橋を渡って、門をくぐってゆく。いわゆる「アンコール・ワット」から連想される中心部 -宇宙を表しているー まではまっすぐの一本道だが、門や階段によって、うまくその姿が隠されたり、まるで画枠に収まった絵のように見える巧みな空間設計が為されているという。

 

門を抜けると一気に視界が開ける。椰子がまばらに立ち並ぶでこぼこの一本道の前に「それ」が現れた。無数の紫でうっすら始まった夜明けの空が言い表せないようないくつもの色を経て、オレンジまで染まってゆく。

 

 

 

 

 

 

6時頃になると、寺院の前にある二つの聖池前にものすごい人だかりができていた。朝日に照らされてできる「逆さアンコール・ワット」を目にするためだ。もちろん我々も蓮の浮かぶその池のなるべく水際を目指して人混みをかき分けていく。よくわからなかったのが、日の出がまだなのに途中で列から抜けて前側を開ける人。

この位置から見ると太陽と寺院がうまくカブらないが、正面から見るとちょうどいい絵になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十字テラスからの眺め。後ろに中央祠堂がある。ぞくぞくと参拝客、というか観光客がやってくるのが分かる。

 

 

 

 

この写真なんか好き。よくわからないけれど「縮図」って感じがする。一人として同じ動きをしていない人々の後ろにどっしりと構えてる対照性がいい。

 

中央祠堂内を探訪する前に、腹ごしらえをしなければ。向かって左側の野原の向こう側に平屋がずらっと並んでいるので行ってみる。

 

 

 

 

お土産屋が向こうに、こちら側には衛生面はどうかなといった食堂が並んでいる。近づいてみてみるにどの食堂も全く変わり映えがない。と、各お店から若者が三人ほどが次々にこっちに来て、猛烈な勧誘が始まった。結局どうやって決めたのか、最初に言ってきたところにしたのか、その店で朝ごはんを食べる。座って野原の方で小さいサッカーボールみたいなもので「蹴鞠」をしている二人の男を眺める。もはやパフォーマンス合戦みたいになっているけれど、うまい。朝ごはんはと言うと、お世辞にも美味くはなかった。

 

 

 

 

いよいよ中心部へ。

遺跡は三つの回廊からなっていて、中心に向かって高くなっていく。観光客は多いけれどそれ以上にそれを飲み込むような寺院の雰囲気があって、威圧するようなすべてを受け入れるような、「偉大」な感じ。

廊下の敷石や、柱の一つ一つに建立から今に至るまでの時の流れが目に見えるようだ、というか実際にそこに在る。

 

 

 

 

その最初の時はどんなに綺麗な色をしていたんだろう。今日ですらこんなに鮮やかだ。このような紋様そしてレリーフが至るところにちりばめられている。

 

 

 

 

一段上がって第二回廊は一周が約430m、中心にピラミッドのような第三回廊が鎮座した広場のような場所だ。

上に昇ってゆく階段は手すりはあるもののとても急で、特にくだり、怖い。

 

 

 

 

遺跡開放(展示)と修復を同時にやっていくのも難しいところ。

 

 

 

 

「デバター」と言われる踊り子のような女神のような石像がこの遺跡一面に彫られており、一つとして同じものはない。

西方から東方まで色々な美術作品あるが、このアルカイックスマイルの普遍性には感動する。

 

 

 

 

須弥山をモチーフにしたという第三回廊からの景色。こう眺めていると、150年前、密林に囲まれ埋もれていた遺跡(群)が突然に姿を現したその瞬間が現前に…。世界有数の観光地となった今、アンコールが抱くのは、長い眠りから目覚め、真価を認めてもらえたとの気持ちか、それとも、もう少しだけ布団にくるまりたいがために目覚ましを後何分か遅らせておけばよかったという気持ちだろうか…(いや、カンボジアの夜に布団は暑すぎる!!)。

 

 

 

 

最後に果てしなく続くかのような第一回廊を一周した。壁には余すところなくレリーフがなされていて、圧巻の一言。

自分的にはここがアンコール・ワットで一番見るべき場所だ。

 

 

 

 

 

基本的には三層に分かれていて、それぞれに古代インドの叙事詩など神話が描き表されている。

船を伴う行軍や神々の争いなど、その豊潤な壁画はちゃんと見ようとしたらこれだけで日が暮れそうだ。

このような神話や新・旧約聖書を -というか日本神話でさえ読んでいないのだがー 背景知識として知っておくだけで、遺跡観光はもちろん日々の生活もさらにインスピレーション豊かになるんだろうなとは思っているのだが…。

 

 

 

 

 

外でおじさんの車と落ち合って、次に向かったのは、Angkor Thom。ワットから半世紀後に作られたアンコール・トムは、遺跡ではなく町の名前で、なるほど車で城壁をくぐり抜けると両脇に狛犬のような神のような、そんな石像がずらっと並んでいる。

トムはワットと違う為政者によって建造され、彼が大乗仏教の信者だったので、レリーフなどもだいぶ意匠が異なるらしい。

その中の二つの遺跡しか行けなかったが、ここはBayonというこちらも宇宙の中心を体現しているアンコール・トムの中心地だ。迫力あるぅ。

 

 

 

 

ジャパニーズガバメントチームフォーセーフガーディングアンコールと、日本も遺跡保全に一枚噛んでいるのは嬉しい。上智大学の考古学か何かの研究チームも別の遺跡で貢献していたと思う。

とはいえまだ修復途上のようだ。回っていくと、ワットよりもまだボロボロなのが見て取れる。

 

 

 

 

個人的にはアンコール・ワットよりもトム(バイヨン)の方がインプレッシブだった、というのは石を積み上げて作られたのだということがすぐにわかる「生々しさ」みたいなものからくる臨場感や迫力を感じるからだ。修復途上ということもあるかもしれない。この角度、威容でしょ。

 

 

 

 

「レイジングスピリッツ」に並んでいるのではありません。

 

 

 

 

ここも中心の周りの回廊にレリーフがずらっと彫られている。

何が何だかわからなくてもすべて廻って見るべし!「分からないけどヤバい・スゴい」という感情は時に細部まで知り尽くして出会った場合のそれより、岡本太郎じゃないが、こうなんか心の中で爆発するかもしれないという考えは不勉強の言い訳ではなくそう思っている。

 

 

 

 

一枚岩を彫るんでなく、石を積み上げて後に彫っているんだろう。だからパズルみたいになっている。仏の顔はいくつもあって一つの世界ができている。たくさん立っている尖塔は中に入れるので、涼をとるのにちょうどいい。今日はこの旅で一番暑い。ホーチミンを軽々と超してきた感もある。

 

 

 

 

 

まるで石切り場。これをレリーフどおりに合わせるのはまさにパズルのような困難さを要するだろう。しかも市販のと違ってミッシングピースだってたくさんあるだろうから大変だ。

世界のどこもそうだが、重い石をどうやって高い場所に積み上げていったのか、安易にクレーンを登場させてしまうこの想像力では量りかねる。

 

 

 

 

お次は同じくアンコール・トムの一部をなすBaphuonという遺跡だ。寺院まで長い「空中参道」が続いているが、その途中から歩いていった。

脇にある干上がりそうな池はほとんど淀んだ水たまりのようになっている。

 

 

 

 

しっかりと観覧の順路が決まっている。本によると最近までずっと修復作業が続いていたとのこと。

いや、暑いね。観光地だから現地の人々とのふれあいのストーリーがなかなか生まれない。

 

 

 

 

 

上からだと、空中参道がよく見える。

 

 

 

 

遺跡の向こうでおじさんが待っていてくれた。おじさんのお任せでランチに向かう(おじさんは一緒に店には入らなかったけれど)。

運転しながら戦争の話になる。

 

ーカンボジアも日本に占領されていたときがあるんだよ、知ってるかい

 

おじさんの言葉に曖昧に頷く。

 

 

 

 

調べてみてもどこか分からなかったこのレストラン。ベトナムと同じように香菜の味が効いているが、とにかく野菜がてんこ盛りで、野菜の素材の味が強く、でもこれなら毎日苦も無く野菜を摂取できそうなそんな料理。

一部吹き抜けになっているのでどうしても冷房が効果を発揮しないのはここも同じか。

 

 

 

 

渡航前からガイドブックで注目していたTa Prohm。もともとは仏教寺院だったものをヒンドゥー教に改造したという。

 

 

 

 

幾つもの祠堂から構成されるパターンが遺跡群の中でも多いように思える。遺跡全体を苔が覆っている。

 

 

 

 

 

 

この遺跡では、大木が遺跡を蹂躙するかのように幅をきかせている。発見されたままの姿で保存されてきた。

熱帯の気候では木が育つのに土ってものはいらないのかしら!?(下から伸びているんだろうけど)

所詮人間の建造物は自然の前ではなす術がないのだ、と思わずにはいられない。朽ちていく寺院遺跡と繁茂する植物たち。見慣れない大木の根はこんなに太く、こんなに激しく四方に触手のように伸びていて、恐怖すら少し覚える。土の下ではこんなに躍動していたんだな。

 

 

 

 

生き物みたいだ。

 

 

 

大蛇のように見える根を持つ木。

 

 

 

 

 

遺跡はただ、かなり崩壊が進んでいるようだ。それも無理はない。この湿気と、石の間を押しのけて成長する植物の力。たいてい「自然と共存する」というと、自然環境に対して人間活動が害にならないようにといったメッセージを連想させるが、同じフレーズがこの遺跡の場合、人の建造物を壊さない程度に、これらの大木をどう残せるかといった風になりそうだ。

 

 

 

 

Banteay Kdei。もともとクティという僧院があったところに建てられたという。

上智大学によって考古調査がされている。確かこれがそれを説明している遺跡だったと思う。

祠堂まで少し歩く。風が吹けば砂煙が舞うような土の道の脇にお土産屋があって、木彫りの置物や刺繍品(あとTシャツ?)を売っていた。おばさんのオシが強い。

ほんの5,6歳かといった女の子が、歩いているとついてきて、可愛い目つきをして無心をしている。

 

 

 

 

『深夜特急』でも言ってたように記憶しているけど、たくさん周りに子供たちがいた場合、一人に「施す」とみんなにしなければならなくなりそうだしー-でもあんな目と声でお願いされてしないのも可哀そうだし(子供にやらせないで…)ーーいや、そもそも可哀そう、施すなどと思ってはいけないのかー-とにかくお金を少しでも上げれば喜ぶんだしー-難しいな、いや、あるいは難しく考えすぎだろうか。

 

 

 

 

中央を囲んだ通路はまるで迷路のようになっている。特に順路もないので廻ってない箇所があるかもしれないな。建物の周りの「廃墟の庭」も歩ける。

そろそろクメールの遺跡にも慣れてきた。相変わらず暑い。そういえばセミの声とかってしてたっけ。

 

 

 

 

通路がつないでいるいくつもある塔の天井は光が入ってこず、目を凝らすと何頭かの蝙蝠がとまっていて、下の床にフンが落ちている。コウモリはウイルスを媒介するイメージがあるのでちょっと嫌だな。

 

 

 

 

朝ゴミに出す紙・雑誌類を崩れないように紐でまとめるのを彷彿とさせる。こんなんで崩れ落ちないのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

最後に訪れたのはPhnom Bakheng。小高い丘の頂上に寺院跡がある。しかし、その目玉は360度見回せるパノラマと、入り日かもしれない。頂上は入場制限があり、300人先着。坂を上って係の人に通してもらう。

 

 

 

 

ドライバーのおじさんは、少しここに行くのには渋っていた。というのも多分日没後に山から下りて迎えに行くのがめんどくさかったからだと勝手に考えている。入場制限があるからきっと入るのは厳しいだろうというような口ぶり。

 

 

 

 

 

おじさん杞憂だった。張り切りすぎた。頂上はまだまだ人がまばら。遮るもののない広い空はいいんだが、日光が襲い掛かってくる。まだまだ日没まであるからな…。先に来た人は皆中央の祠堂の陰に座って時を過ごしている。たまに思い立ったように端まで行って景色を見る。この寺院も須弥山をモチーフに作られているようだが、立ち入りできるのは頂上部分だけだった。工事をしていただけかもしれないので今はどうか分からない。

仕方なくヌメロンで久しぶりに盛り上がることに。日よ暮れろ…。水などもっと持ってきた方がいいですねこりゃ。

 

 

 

 

日も暮れてきた。気持ち涼しくなった。有終の美をカンボジアの密林に沈む夕日で!

しかし徐々に小さくなって目玉焼きの黄身のようになった太陽は生い茂る林に隠れてしまった。さらに煙幕のように垂れこめていた雲の中へ消えてしまったので、地平線に落ちていくその瞬間のパッと燃え盛るような太陽を期待していた我々としては肩すかし、かな。いや、でもよかったな。

 

 

下で待っていたおじさん。早く妻子のもとへ帰りたいのだろうな、ありがたい。宿に連れて帰ってもらった時に一緒に写真を撮らせてもらった。またいつの日か。

宿でシャワーだけ借りて、ここで初のトゥクトゥクで夜行バスの待合所に向かう。バスターミナルには先発バスを待つ人が大勢いた。中国の人も多い。外の待合スペースには、周りに不似合いなくらい座り心地が最高な椅子が三つほどあって、不覚にもウトウト。疲労の身にはあの椅子がプラネタリウムのそれくらいに心地よく感じられた。

バスが来た。

 

 

 

 

バスから少し見えたPhnom Penhはシェムリアップから始まった自分のカンボジアのイメージとはだいぶ違っていた。今度訪れてみたい。

大きくはないプノンペン国際空港のロビーで軽い朝ごはん。

途中乗り換えのタイDon Mueang空港では麺で昼ご飯。

関西空港だ。直結の駅までくると否が応でも目立ってきた東南アジア気分が抜けないままの服装で家路につこう…。

 

 

 

 

王が沐浴をしていたというSras Srangの池。

水際から風が吹いてきた。服を波立たせるような風ではなく、腕や顔や、肌に当たってやっと感じられる風なのに涼しげなのは、土手に座った目の前のだだっ広い池の青ときっと関係がある。

カンボジアを思い出すときにいくつかの遺跡は頭に浮かぶけれど、四人と重ね合わせるとこの場所になる。話した内容も覚えていないし、30分もいなかったこの場所。

いつかどこかへ行きたい。

 

 

ーENDー