75回目の終戦記念日に寄せて | ウルトラマリン:大人のためのやり直し英語

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8月15日は終戦記念日ですね。

英語では 75th anniversary of WWII surrender という表現を使います。

surrenderは降伏と言う意味。

 

戦勝国ではVJ Day=Victory over Japan Dayというのが一般的です。

(ドイツが降伏した日はVE=Victory in Europe Dayといいます)

戦争というと、何を思い浮かべますか。

わたしが学生時代に住んでいたニューヨークには、古い建物がたくさん残っていて、その中にPrewar building=戦前の建物と呼ばれるものがあります。当時はPrewarといえば誰もが当然、第二次世界大戦だと知っていました。Prewar building は1900年から1939年までに建てられた建物のことを指します。

 

ドロシー・パーカーとコール・ポーターの世界。高い天井と美しい壁のモールディング、大きな暖炉、何もかもがエレガントなゴールデンエイジの建物です。リノベーション、修繕を重ねて今も現役で人が住める高級マンションです。

 

最近、「Prewarってどの戦争? 湾岸戦争(Gulf war)?」と言っている人がいて驚きました。

 

第一次湾岸戦争は1991年にイラクとアメリカをはじめとするNATO多国籍軍が戦った戦争ですが、これは当時アメリカに行ったばかりの私が初めて経験した戦争です。

 

街中に黄色いリボンが溢れ、出征した家族の安否を心配するクラスメイトや、間違って召集?を受けたグリーンカード保有者がいたりと、急にざわざわと社会全体が不安の渦に巻き込まれていく様子に、これが「戦争」を垣間見ました。言葉ではうまく表現できないあの禍々しい空気を、今でもはっきりと覚えています。

 

その後も、ユーゴスラビア紛争でベオグラードからNYへ移住してきた女性やレバノンの内戦で家を失った人など、戦禍を逃れてアメリカで新しい人生を歩むことを決めた人々に会いました。戦争はいつもすぐ近くにありました。

 

日本にいる時は、今は亡き祖父や祖母の話を聞く程度で、戦争はいつもどこか遠いところで起きている、自分には関係のない出来事のように思えていました。広島・長崎に原爆が落とされて、320万人の日本人が犠牲になった無謀な戦争を行っていたなんて、信じられませんでした。

 

 1945年8月15日は日本の戦争が終わった日ですが、正直なところこれまで「終戦記念日」について、あまり気にしたことはありませんでした。子供の頃は、終戦記念日になると父が玉音放送をマネてわたしと弟に聞かせ、その後決まって説教が始まるという流れでしたので、いやな気分だけが残っています。正直なところあまり考えたくない、触りたくない過去の出来事でした。

 

終戦から75年間、日本は戦争を行わずに過ごしてきました。戦争で誰一人も殺さずに75年間を過ごしてきたのです。

 

わたしたちのほとんどは戦争を体験したことがありませんよね。これからも戦争を行わない国であってほしいと思います。

戦争をしない当たり前の暮らしを、新しい世代に引き継いでいきたいです。

 

 

 

「灯をともす言葉」花森安治 河出書房新社

から戦争に関する言葉をご紹介します。

 

花森安治さんといえば、雑誌『暮らしの手帖』の編集長としてあまりにも有名な方。

NHKのドラマ『とと姉ちゃん』が印象に残っている方もいらっしゃるでしょう。

 

わたしの知っている『暮らしの手帖』は松浦弥太郎さんに代わってからですが、実家には母が読んでいた花森さんの手によるものが何冊かありました。

 

かなりアグレッシブな商品テストのコーナーが大好きだったのですが、ああいうのは企業からは嫌われるんでしょうね。何もかもがソフトな語り口で、本音を隠し、波風立てないように、文句を言われないように、忖度がデフォルトのいまの日本の姿を見たら、花森さんはどんなふうに思うのでしょうか。

 

戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチを
ひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着かえて
眠るということだった
生きるということは 生きて暮らすということは
そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった

 

わたしたち、東日本に住む人たちは特に、あの3月11日の震災後がどんな状態だったかよく覚えていますよね。

 

東京でも電気や水道が止まり、日常生活がままならない、不安に怯える日々が続きました。

 

戦争をするということは、あの不安な日々がもっと長くうえに、自由を奪われ、財産を没収されるということを意味します。

 

日本国憲法第9条を改めるということは、私たちから、静かな当たり前の日常を奪う権利を、国に与えるということです。

 

先の戦争の始まりは、こういう記事を書くことすら不利益となる、「反対の声」を上げることができないように圧力をかけて、

 

人びとから言葉を奪うことだったと、戦争経験者のはなしを何かで読みました。

 

わたしたちはどうでしょうか、この国はどこへ向かっているのでしょうか。