週末、東京へ ドキドキ、目的は吉田類さんにお会いするためである 新幹線の中からワインでテンションをあげに上げて、目黒駅から私鉄に乗り換え新丸子駅で途中下車 まずは、酒場放浪記で気になっていた「三ちゃん食堂」へと向かう 店構えはどこの町にもある中華屋さん 中に入るとそこは異次元だった 昼だというのにざっと50人ほどの家族連れやらカップルやらがみんな呑んでいる 残念ながら仙台にはこうした酒文化はいまだ根付いていない いやはや、恐れ入りました まだまだゆっくり呑んでいたい気持ちを抑えて、横浜へ向かう 横浜駅から桜木町駅まで歩いたら結構疲れた 夜まで休憩し、いよいよディープな野毛の歓楽街を散策 数日前に訪れた二郎先生からの情報を頼りに「鳥よし」「フライ屋」を堪能できた いい店だったな サッカー観戦する前にダウン 翌日も天気に恵まれた 昨晩の野毛とは別世界のみなとみらいを眺めて乾杯した後、ちょっと気になっていた駅前の立飲み「石松」へ またしても昼だというのに満員御礼である(しかし女性は私だけ) 後ろ髪を引かれながら桜木町を後にいざ町田へ 初めての町田は思っていたよりも大都会だった 講演は駅前のNHK文化センター、現れた類さんは気取りのない素敵なお兄様って感じ 酒文化というテーマからはかなり脱線して、お酒での失敗談やBS酒場放浪記の裏話で盛り上がった 取材は一日に何軒か廻るので、最後のお店はほろ酔いらしい(取材後もほんとに呑みにいくらしい) 後に放映をみた時全く記憶にないお店が映ってて普通に会話していて驚いたという その気持ちとてもよ~くわかります そして、酔っ払いが記憶を無くしても呑める・・・日本は平和な国だと実感すると締めくくった 終了後に養老の滝にて類さんを囲んでの宴会も設定されていたが、そこで呑んだらきっと帰れなくなるだろうと断念 どこか上品な小田急沿線を横目に、日下と待ち合わせの新宿へ 彼の案内で新宿ゴールデン街と歌舞伎町をぐるり二軒はしごして別れた そこから正直記憶が途切れ、でもちゃんと中央線に乗って東京から最終新幹線に乗った、らしい 終点仙台で車掌さんに起こされ意識が戻った 手には母へのお土産が・・・いつ買ったのかもわからない きっと今頃、類さんも東京のどこかで酔っていることだろうね 人生は、常にアウエー 酒に始まり酒に終わった1月があっという間に終わる   

今月から担当する受講生の病名は、ALS筋萎縮性側索硬化症といって 手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気であるが、幸いにも体の感覚や知能、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれる 彼女は言う 家から出れなくとも、パソコンを通して情報収集やコミュニケーションが図れることはとてもラッキーだと・・・今日も、寒さで鼻の頭を真っ赤にした私を笑顔で迎えてくれる 今ここに生きていることがラッキーなのだと思えることはなんと素晴らしいことか 幸せは自分のこころが決めるもの、と語ったのは相田みつを 先日の平野君のお話にもあったけど、世の中のために自分ができる限りのことを為し、自分ができないところは誰かの力を借りればいい・・・美しい夜空を眺めていると、そんな平和な世界がいつの日か必ず訪れるって信じたくなります 昨晩遅く、馬場ちゃんと語っていたら、大口の契約を成約してツッシーがお店に戻ってきた タイミングよくロッド・スチュワートの「この素晴らしき世界」が流れる・・・ 1970年、サッチモの70歳を祝って、彼のこれまでの業績の集大成として1枚のアルバムが収録されることになり、その時に集まった大勢の後輩たちを前にして、サッチモは「この素晴らしき世界」のイントロでスピーチを始めたという
「君達若い連中の中にはオレにこう言ってくる者もいる
 『オヤジさん、"素晴らしき世界"ってどういう意味なんですか?
  世界中で起こっている戦争も素晴らしいのですか?
  飢餓や汚染はどこが素晴らしいのですか?』
 だけど、このオヤジの言うことも聞いてみないかい
 オレには、世界はそんなに悪くない、と思えるんだ
 オレが言いたいのはね 
 世界は素晴らしくなる、そう思って行動すればってこと 
 愛だよ、愛。それが秘訣さ
 もっともっとオレ達が愛し合えば問題も減るし
 世界はとびきりいいところになるんだ
 それがこのオヤジのずっと言っていることなんだ」

ツッシーおめでとう・・・


   

今日の「昭和のメッセージ」は世界のSONY 私が初めてのお給料で買ったのは憧れのウォークマン、確か3万ちょっと(当時の初任給は10万ちょっと)だったと記憶する 創業者盛田氏のお言葉にいまの自分を重ねる 彼が初めてアメリカへ売り込みに行った時のこと 大量の注文を受けるがSONYという社名は使用できないという条件付き そこで盛田氏は「貴社は創業50年、50年前は無名だったはず 我々も50年後にはその名を知れる会社にします」と取引を断る その後2年でアメリカ全土に進出を果たすのだが、アメリカでの求人広告は「英語でタンカの切れる人」これには笑った この私も今から11年前、お店の立ち上げの時のこと 相見積とれば未だ男社会の内装業者からは女の身分で何がわかるんだ?と中傷され 飛び込んだ不動産屋のおやじからは裏にスポンサーいるの?えっ、ひとり?脱サラっていうけど水商売を甘く見ちゃ駄目だね~と嫌味をいわれ F酒問屋からのセクハラに遭ったりで 悔し涙を何度流し、タンカを切ったことか・・・今となれば笑い話だが 保証人になってくれた父、支えてくれた家族 そして、広告部隊は数人の信頼できる友人 そこから始めた名もないちいさなお店である すべてレールがひかれた順風満帆な人生って面白いですか? 私はそうは思わない 自分で考え自分で決断し行動する 時に失敗したらふりだしにもどればいい 反省し悩み苦しみ、そしてまた行動すればいい 自分の人生の責任をとるのは自分ですから もし長生きできたなら、縁側に座って酒呑みながら、今までの生き様をモンスターに語ってあげたいもんだ 昨晩も、様々な業界で頑張っている方々のお話を聞かせてもらい、また沢山元気をいただきました 日々感謝です ありがとう