AI時代とブログ環境の変化
AI時代、人工知能が作った投稿が溢れる時代だ。新しい技術を適用することが必ずしも悪いことではない。しかし、何か人間味のある文章は見つけにくい。私の事情を少し話すと、AIが発達するにつれて、どんなコンテンツを書いても検索からの流入量が目に見えて減った。だから思い切ってアドセンス広告を減らした。ブログでお金(副収入)を稼ぐ時代も過ぎ去ったという気がしたからだ。
現役記者が見るジャーナリズムの危機
現役記者として、メディア環境も厳しくないという感じも多く受ける。アマゾンのジェフ・ベゾスが所有するワシントンポストが職員数百人を解雇したという海外ニュースを取材して記事を書きながら、自分の職業も脅威を受けているなと考えざるを得なかった。
[私の記事: ワシントンポスト(WP)が記者数百人を解雇:「読者半減」でスポーツ、地域、国際部門縮小]
SEOを超えてGEO(生成エンジン最適化)へ
最近、私の頭から離れないのはGEOという言葉だ。過去には検索最適化(SEO)が重要だったが、この言葉は生成エンジン最適化と見ればいいだろう。私の文章がもはやポータルサイトで検索されにくい構造なら、人工知能時代に合わせて変化しようという考えを持つようになったのだ。
一針一針、自分で直接書くのも、何か人間らしいという感じを読者に与えたいからだ。たとえ私の文章に間違った点や同意できない部分があったとしても。
AI時代、人間味と共感の重要性
昨年の終わり頃には、何とか検索最適化を再び達成してブログを生き返らせようという意志を持っていたが、時代の流れが急変したという感じを拭えなくて、すべてを手放した。ただ日々自分の日常を共有する空間にしようという考えだけをした。
人工知能時代には、人に関するデータがこれまで以上に重要になりそうだという気がする。それが個人情報であれ、趣向であれ、グルメマップであれ。しかし、私にはそんな情報がない。個人はますます取るに足らない存在に転落する可能性が大きい。このような冷酷な現実の中で信じられるのは、血が流れる他の隣人、人だと思う。心を共有し、共感できるそんな存在が必要なのだ。
記者として誤字を出すと非常に叱責された時代があった。しかし、これからはそうではなさそうだという気がする。わざと誤字を出してみる。この文章は人工知能で書かれたのではないことを証明するかのように。あ...悲しい。
