生きることに悩み続けた元不登校生による人生哲学

生きることに悩み続けた元不登校生による人生哲学

不登校の経験がある高校生です。
学校に行っていなかったとき、ひたすら生きることについて考えていました。そして、哲学に辿りつきました。
生きていてもしかたないと思っている人に哲学を知ってほしいです。

僕が不登校になった理由。

不登校になってからの生活や考え方。

学校に行くようになったきっかけと考え方の変化。

学校に行ってからどうなったか。

それをひとつのストーリーのようにしてみました。
全9章くらいです。
良かったら読んでみてください。


*第一章*僕が不登校になった理由 - ① - 人間不信
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こんばんは。

元日にADHDの存在を知って、ADHDの疑いがあることを自覚しました。
よし!ADHDによる障害を逆に利用してやる!と一念発起。

そして、ADHDを利用し、うまくいった!軌道に乗ったよ!やった!
で、そのあとブログを書こうと思いましたが、そうもいきませんでした。
不登校でなくなったあとも、「死ぬまで生きる」のはものすごく大変ですね。

※書いていたら恐ろしく長くなってしまったので、タイトル通りの文章は「さて」から始まります。

■ここ最近のこと
ここまでずっと、やりたいこともやらなければいけないことも、何もうまくいかなかった。
ADHDなんてどうやって利用したらいいんだ。
冬休みだからということもあり、生活リズムも崩れていった。

やりたいのにできない。
心では実行したいと思っていても体は動かない。
誰かに話せば、怠けている。心が弱いと言われてしまうかも。

だけど、どうすることもできない。
比較的小食なのに、ストレスでたくさん食べる。
食べたら眠くなる。

自分の将来の夢、学校のこと。
やりたいことも、やらなきゃいけないこともある。
それなのに気づいたらベッドにいる。
起きなきゃ。やらなきゃ。そう思っても、体は動かない。

まるで、自分の心と体が別々のような。

動けない自分を責める。
責めても動けない。
動けない自分にイラつく。

もう考えたくなくなる。
無力感を感じる。
鬱病もこんな感じなのかなと思う。
不登校だったときにも、味わったような気がするこの感じ。

そんな中、気づけば夢の中にいる。
夢の中は決して良い場所じゃないけど。
それでも現実よりは良いところかもしれない。
そんなことも思ったりする。

起きた後は、またやってしまった。
また寝て、時間を無駄に過ごしてしまった。
そうした後悔をし続ける。

不登校から復帰して、今は高校生になった。
プラス思考で、どんどん進んでいけると思っていた。
でも結局こうなんだと。
不登校だったときと何も変わってないと。

そうして気づいた。
正直に言うと、高校2年生になった今、不登校気味になっている。

中学2年生のとき、不登校でずっと学校に行っていなかった。
高校2年生の今、欠席数は20回を超えていた。
中学生の時と同じで、学校内で何か問題があるわけじゃない。
むしろ、楽しくやっていると思う。

だから先生にも友達にもクラスメイトにも「なんで学校に来ないの?」とよく言われる。
周りから見れば、何で学校に来ないかわからないと思う。
なぜなら、目に見える外部的な問題じゃなくて
自分自身の持つ内面的な問題だからだ。

中学生3年生になって学校に行くようになった。
そのとき、もう平気。大丈夫。そう思っていた。
だけど、それは座ってしゃがみこんでいる何%かの自分を見て見ぬふりをしているだけ。
自分の性格を思考力で押さえつけていただけ。

人が嫌いで、人が好き。
勉強が嫌いで、勉強が好き。
多分、こういうこと。

人が嫌い。話しかけてほしくない。気を使いたくない。人と接して、心をすり減らしたくない。
人が好き。たくさん話したい。人に気を使いたい。ただそばにいてくれるだけいい。

勉強が嫌い。勉強するのはつらい。やりたくない。
勉強が好き。勉強するのは楽しい。どんどんやりたくなる。
多分、人が嫌いだ!勉強が嫌いだ!って言ってる人も本当は好きでもあると思う。

ただ、人間関係でうまくいかず、嫌な思いをした。
勉強があまりできず、嫌な思いをした。
そういった嫌な記憶があるから、そのものを嫌う。

人と関わることも、何かを学ぶことも本当は好きなんだ。
いくら言い訳をしても、本質はこれ。

何も変わってないように見えてたけど変わってる。
中学生の時は自分を隠してた。
自分を隠して接していた。

でも高校生になってから、「自分」として接した。
つまり、素直に接するようになった。
そうすると、自然に人が集まってくるようになった。
まぁ、心は相変わらず、幼くて弱いままだけど。

今まで、マイナスなことばかりに目がいっていた。
だけど成長してたこともあるんだ。
それが思い出せてよかった。

弱くてもいい。
できないことがあってもいい。
ADHDでもいい。

まずは、何も実行できなかった自分を許そう。
どこかでADHDである自分を排除しようとしていた。
でも、弱い部分も全て、自分の構成要素。

自分自身は「前向きな1人のみ」じゃなくていい。
前向きな自分も後ろ向きな自分も、全部自分という中の1人。
一緒に肩を組んで、笑ったり泣いたりする仲間だ。

幸い、僕はADHDだ。
これは、ときに障害になり、
全く役に立たないように見える
だけど、磨けば必ず光る。見方を変えれば強力な武器となる。

だから、武器を磨こう。
ADHDを利用する方法を考えよう。



・・・と。
そんなこんで、これからADHDを利用する方法を考えるわけですが。

恥ずかしながら気分が落ち込んでいるときは、毎回やっていることがあります。
それは今まで書いてきたような、うまくいかない→マイナス→プラス→よし頑張る!の流れをパソコンの中のメモ帳に書いてやっています(´・ω・`)

その内容は今まで自己完結して、見せることなんてありませんでした。
つまり、自問自答をメモ帳ではなく、このブログでやってみたのです。
やってみたというよりは、そうなっちゃったという方が正しいのですが。

ADHDをどう利用するか。
それも今、書きながら考えますね。

さて、まずはADHDの大きな3つの要素は、多動性衝動性不注意です。


■多動性の考察
まず、多動性とは、意味もなく動いてしまう。
おとなしくしているのが難しい。ということですね。

でもこれっておとなしくしなきゃいいんじゃないの?と思います。
僕の経験上、多動性は、「ずっとエンジンがかかったままの車」と例えられると思います。

アクセルを踏めばすぐに発進できる = すぐに動ける状態

ずっと座ったまま、授業を受ける。
多分、それが僕に合わないのかもしれません。


■衝動性の考察
次に、衝動性は、待っていられない。
すぐにやりたい。行動が全て衝動的ということですね。

これは多動性とかみ合うと思いました。
車に例えると、人よりもアクセルが踏みやすいし、躊躇なく踏める。

だから
エンジンが常にかかっている + アクセルがすぐ踏める

なので、発進したいという気持ちさえあればすぐ実行できるということになります。


■不注意の考察
最後に、不注意は、気が散りやすい反面、一旦、集中すると切り替えが難しい。

これも、車に例えると、ハンドル操作が難しく、右往左往してしまうが、まっすぐの直線ならば燃費が良く長く走れる


■急発進 ・ 長距離走行
まとめると

多動性  エンジンが常にかかっている

衝動性  アクセルがすぐ踏める

不注意  長くたくさん走れる


ということになります。
なんだか特殊能力みたいに思えてきました。


■ADHD利用の実践案
そして、これから実践していくうえでどう使っていくか考えます。

まず、やりたい!と思えばすぐ実行できるのがわかりました。
だから、やりたい!と思えるものを用意しておく必要がありますね。
また、すぐ実行できるような状況も必要です。
さらに、「不注意」によってすぐに気が散ってしまうので、これからやるひとつのもの以外はなるべく目に入らないようにします。

それらを踏まえてどうするべきか。
僕がこれからやりたいことのひとつを具体例として考えてみます。


例 : 英語の学習
宇宙や謎や不思議といったものが好きなので、ディスカバリーチャンネルなどを面白いなと思って観ています。
が、そういうのってほとんど日本語に翻訳されてないと、よくわからないんですよね。
だから、英語が聞き取れるレベルまでの、英語の習得が必要だと思ったんです。
だから「英語の学習」を例に挙げます。


■「英語の学習」の実践
まず、英語の学習以外のものを極力自分の周りから減らします
そして、英語の学習を始めます。その内容はあとで書くかもしれません。

そのとき、計画は要りません。計画しても無駄ですから。
ただ、あぁ飽きたなと思ったら、何をやったかと次はどこから始めるかは書いておきます。

そして、ちゃんと片付けるのではなく、やりかけの状態にしておきます。そうすればやりたいときにすぐに始められますからね。

また、なぜ英語の学習をしたいのか。それを忘れた時も思い出せるように
紙に書いて壁に貼っておきます。「英語ができるとディスカバリーチャンネルの内容がわかる」 「最先端の技術は英文だけど読めるようになる」とか。

とりあえずこれから実践してみます。



2時から書いて4時間もかかってしまいました。
だから最初に「こんばんは」と書いたのに、「おはようございます」に
( ゚Д゚)

実践した結果はまた次回に書きたいと思います。
また次回に書くとか言って、中途半端なものがたくさんあった気がしますが。
まぁそれもいいでしょうヽ(;´ω`)ノ

それにしても、とてつもなく長くなっちゃったなぁ(ノ゚ο゚)ノ
最初から最後まで読んでくださった方、ありがとうございます
m(_ _)m





こんばんは。

今回は、不登校のことについての続きではないです。

最近というか今までもですが、やらなければいけないことも、やりたいこともある。なのに動けない。別のことをして時間が過ぎていくそんな中、このブログも書けませんでした。

でももしかすると、結構深く関わっているんじゃないか、というものを見つけました。
自分の現状を変えるため、また僕と同じような人のために、書きたいと思います。

結論から言うと、タイトルにも書きましたが僕は「ADHD」かもしれないということです。

「大人のADHD」などといって、テレビやインターネットで何度か耳にしたことはありました。
しかし大人になってからだろうから、自分には関係ないと思っていました。

■ADHDとは
ADHDは注意欠陥・多動性障害ともいうそうです。

主な三つの症状は、多動性不注意衝動性です。

この三つの症状を僕の場合を交えて、書いていこうと思います。

■多動性
要するに、「落ち着きがない」ということみたいです。
多動性=
無駄に動いてしまう

僕も昔から落ち着きがないといわれてきました
(ノ_・。)

いすこぎ?(学校のイスの2本の前足を浮かせる)も小・中・高と結構やってきました。

流石に外ではやりませんが、家の中では

・ イスに座ってる状態から立とうとするときに、無駄にジャンプする
!!!(゚∀゚)!!!
・ 家の柱の角を曲がるときに無駄にターンする。
・ 家の中を移動するときに、用事もない場所を経由していく
o(・_・= ・_・)o
・ 急いでないのに走り出す
ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ
・ 体の動きが止まっているとイライラする(*`∧´)

静かにしている止まっている。それを苦痛に感じている。今振り返るとそうでした。

曲を聞きながら、それに合わせて動いているときの方が勉強とか何もかもうまくいっていた。というかめっちゃ捗った
本当にそうなんです。今も
(´・ω・`)

■不注意
要するに、「気が散りやすい集中すると切り替えられない」ということみたいです。
不注意=うまく意識をコントロールできない

これは、すごいよくあります。

・ 宿題、約束、計画、いろいろ忘れる
。(´д`lll) 
・ 数分前に人と話してて、そういえば何の話してたっけ?
(^_^;)とよくなる。
・ また、話聞いてる?とも言われたりする。
・ 学校も誰かとの約束でも、よく遅刻する
・ 部屋もパソコンの内も気づけば散らかっている
・ 他の人と協力して何かやっているときに、自分だけ別のことをやりだす
( ・д・)/--=≡(((卍
・ おっしゃ!とやりだすと、別のことを投げ出してでもそれをやり続ける
((((((ノ゚⊿゚)ノ
・ そして、少し経つと全くやらなくなる
(+_+)

【よくあるぱたーん】
計画性がないから悲しい
→良い計画の立て方[検索]
→計画を立ててイキイキと動き出す
→しばらくするとなにこれ?となる
→やらなくなる
→ちーん( ゚Д゚)

【よくある無限ループ】
計画を立てる
→うまくいかない
→「計画を立てる」計画を立てる
→うまくいかない
→「「計画を立てる」計画を立てる」計画を(ry
=ちーん( ゚Д゚)

■衝動性
要するに、「思ったらすぐ行動」ということみたいです。
衝動性=やりたくなったらすぐやる

・ 掃除したい気分だなと感じたら、深夜でも部屋の掃除を始める(-_-メ)
・ 急に歌い始めるo(^▽^)o
・ 食べたいときに食べる。
・ 逆に何かに集中しているときは、空腹でもどうでもいい(これは不注意かな?)
・ ジュースを買いにコンビニに行ったら、いつも1000円オーバー(x_x;)
・ 気づくと一ヶ月に缶ジュース60本以上は買って飲んでいる。



ADHDの症状と照らし合わせながら、思い出しましたがどうなのでしょうか。
本当にADHDなのか。治し方はあるのか。そういったことは自分の内面のことなので判断が難しいですね。

しかし、ひとついえることは、僕が生きてきた中で「障害」にもなってきましたが、うまく向き合っていけば強みになりそうだとも感じました。

仮に自分がADHDだったなら「克服」ではなく「利用」しようと考えています。
次は、ADHDを利用した生き方の考え方(?)を書きたいと思います(`・ω・´)シャキーン



ちなみに、ADHDについては現在進行形の悩みです。
なので、ADHDを利用した生き方は今考えてて、今、試行錯誤しているので、間違ったり軌道修正したりするかもしれません。
そこはご了承ください
m(_ _)m
不登校であってもなくても、やっぱり人生は大変ですね。
いろいろあってなかなか書く気になれませんでした。
続きです。


■進行
不登校であったことを話してくれた先生からの影響、そのあと考え続けた時間

その2つによって僕は中学3年生から学校に行くことを決意しました。


■出現
しかし、そのとき、ある考えがふと浮かんできました。だけどもう行くって決めたんだから無視しよう。そう思って忘れることにしました。

でも次第にその考えは頭の中で膨張してきて、しまいには無視できないほど大きくなっていました。だからもう向き合うしかありませんでした。


■最期は最後
その考えとは、「死んだら終わり」という考えです。

当たり前といえば当たり前ですが、この世に生まれたのならいずれ死にます。まぁ不老不死が実現できれば別ですが、そんな技術はまだないので、生物の命には終わりがあります。

人の命の終わりとはどのようなものでしょうか。100才になってベットの上で家族に見守られながらの大往生。それが一般的に良いと言われていますが、そうもいきません。


■死神の存在
例えば、車にひかれた場合。そのとき、打ち所が悪ければたとえ自分が何も悪くなくても死んでしまいます。

家から一歩、外に出て歩くと自分がコントロールできないものがたくさんあります。

自分ではない何かが突然、自分の命を終わらせに来るのです。まるで鎌を持った死神が急に目の前に現れて、命を絶つように。


■死の恐怖
ニュースなどを見ていると事故で若い命が失われるのを知ります。ニュースで報道されているのは他人ですが、自分がいつ事故に遭って死んでしまってもおかしくはないです。

人なら当然持っているという「死の恐怖」ですが、当時の僕はそれが何倍も強く大きかったのです。


■死は永遠の挫折

具体的にいうと、当時の僕はこう思っていました。

を持ち、とにかく頑張って努力し続けても、突然、知らない誰かによって命が終わってしまう。

素晴らしい人生にしようと頑張ったのに素晴らしい人生になる前途中で死ぬ

死んだら終わりなんです。死んだらそこまで。頑張った努力も、つまりは報われないんです。結局、途中で死んだら0で終わる。やった意味がなくなる。


■たちこめた曇天
その考えは、何とか生きようとしていた僕に暗い影を落としました。

達成する前に、途中で終わってしまうなら最初からやらない方がいい。死のリスクが少しでもあるなら家から出ない方がいい。

だけどそれならどうする?これからどうやって生きていけばいい?
もう僕には過去も今も未来も、雲がかかったように見えなくなっていました。


■起死回生の雷
それでも、無理やりにでも、対案を出そうとしましたが全く出ません。
どんなに考えてもこの考え方を覆すことは不可能だろう。そう思っていました。

そんな中、ゼロエンド思考と同じように、ふと降りてきました。雲がかった思考にズバッとが落ちてきたのです。つまりは覆す必要はないと。

いうなれば、数学の公式のような。ゼロエンド思考の応用
結果的に、それが起死回生の一手となり、今の僕も支えてくれています。


続きます。