僕は7月22日から9月1日まで沖縄にいた。この期間、阻止行動は朝4:00くらいから昼ぐらいまでだった。悔しいが一度も阻止をしたことがなかった。「もっと、人がいれば…車があれば…」と何度も思った。
本土から高江に来るのは時間とお金がかかる。しかも、名護や宜野座までは高速バスで行けるが、名護から高江までのバスが1日3便しかない。
しかし、そんな理由で高江に行かないのは沖縄県民に失礼だと思う。戦後71年間、どれだけ沖縄の人を苦しめたか、どれだけ差別をしてきたか。
そして今も尚、沖縄に米軍基地を押しつけ、沖縄県民を苦しめ続けているのは本土の人間である。

{FC9F8C7F-3DFC-4BB4-A6F5-5AC62D79225F}


ここで沖縄の歴史を振り返ってみよう。

【沖縄の歴史】

琉球王国は、1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した。
1609年
薩摩藩による琉球征伐、琉球王国(中山)に対する軍事行動。
1872年から1879年にかけて、旧来琉球諸島の施政を委任してきた中山王府を廃し、県を置いた施策「琉球処分」がされた。

1875年5月13日

琉球処分において中心的存在であった松田道之が、琉球へ出張を命じられる。29日にその使命につき具体的指令が下るがその中で、冊封の廃止が命じられていた。松田道之は、1879年までに3回琉球へ行っており、同年3月27日、軍隊約300名、警官約160名を率いて首里城に入り、首里城の明け渡しと、廃藩置県を布告した。これにより、日本の領土とされた沖縄県は日本政府による皇民化計画が強まった。


【第二次世界大戦】

1944年10月10日

激しい空襲によって那覇市の90%が壊滅した。

1945年3月26日

慶良間諸島に米国海軍艦隊が集結し、慶良間諸島を占領した。

1945年4月1日

米軍は55万人の兵力で沖縄本島中部の読谷村から上陸し、すさまじい砲撃と空襲を加え進攻した。
圧倒的な米軍の火力の前に、首里城地下を本部にした日本軍との間で壮絶な地上戦が行われ、多くの沖縄県民も戦闘に参加し、日本軍と共に亡くなった。第32軍司令官牛島満が自殺した6月23日に組織的戦闘は終結。だが、実質的な戦闘は7月4日に終了し、9月7日に降伏文書が取り交わされた。

【戦後】

戦争終結後、米国政府は沖縄県を「独自」の国で、日本に同化された異民族として米軍政下に置かれた。
しかし、朝鮮戦争の勃発により、米国政府の沖縄に対する見方は「東アジアの要石」へと次第に変化し、最前線の基地とされると米国本土からの駐留米軍が飛躍的に増加した。
旧日本軍の施設以外に、米軍は軍事力に物を云わせ、住民の土地を強制的に接収した。いわゆる「銃剣とブルドーザーによる土地接収」である。

1952年4月28日

日本との平和条約で、日本の主権は認めながらも、正式に米軍の管理下に置かれるようになった。
米国は琉球政府を創設して軍政下に置き、各地に米軍基地・施設を建設した。
また、米軍による事故・事件が頻発し、住民の死亡者も相次いだ。
この状況に対し、県民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ぶ抵抗運動を起こし、県民は日本復帰を目指して活発な祖国復帰運動を行い、1960年に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成した。なお、当時の米国大統領アイゼンハワーは、返還する気は全く無かったと証言している。

1960年代のベトナム戦争によって沖縄が最前線基地にされると、駐留米軍が飛躍的に増加し、これに伴って事件・事故も増加した。
また爆撃機が沖縄から直接戦地へ向かうことに対し、復帰運動は反米・反戦色を強めた。

【沖縄返還】

1969年の日米首脳会談では、米国大統領ニクソンが沖縄返還を約束した。
屋良朝苗や復帰賛成派の県民は日本復帰と同時に米軍基地の全面返還を望んだが、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還とされ、琉球政府は沖縄県となり、日本へ復帰した。
日本政府は返還協定第7条にもとづき、特別支出金として総額3億2000万ドルを米国に支払っている。

【現在】

現在も在日米軍の基地が多くあり、在日米軍基地の23.5%(面積比)、米軍専用施設の74%が沖縄県に集中している。
在日米軍基地の騒音・移転問題が解決されておらず、また米兵による県民への暴行事件などが頻繁に起きている。
とくに1995年の少女強姦事件は、治外法権の認められた基地に逃げ込んだ容疑者を沖縄県警が確保できない事態となり、日米地位協定の理不尽さを露呈させた。
強姦事件により県民は米軍基地の早期返還を求める声が強くなり、1997年に、日米両政府は普天間飛行場の全面返還を決定したが、移転先の選定が難航した。
2004年に普天間飛行場所属のヘリコプターが大学構内に墜落した事故は、同飛行場の危険性を危惧する世論を再燃させた。
世界一危険な軍事基地とされる普天間飛行場の移設先が辺野古(キャンプシュワブ)であり、さらに危険なオスプレイのヘリパッドを米軍北部訓練場に建設している。

これだけ長い期間、沖縄県は本土や米国に利用され続け、沖縄県の民意を無視し、強硬に新基地やヘリパッド建設を進めている。
これは、明らかに虐めに近い差別だと僕は考える。
そして、本土の人間こそが高江や辺野古に来て最前線で闘うべきだとも思う。
これ以上、沖縄県民を泣かすことはやめましょう。これ以上、沖縄県民を苦しめるのはやめましょう。
今こそ立ち上がりましょう!



{EC744540-0979-46F4-ABE7-ACB27D6F0357}



反差別集団 男組 高橋直輝
Mail : themenfolk2013@gmail.com
Twitter : @newmenfolk2013



沖縄の自己決定権/琉球新報 新垣毅

¥1,620
Amazon.co.jp

写真集ひきがね: 抵抗する写真×抵抗する声/島崎ろでぃー×ECD

¥1,728
Amazon.co.jp

最新 差別語・不快語/小林 健治

¥1,728
Amazon.co.jp