元気だった頃は、何か大きな病気になっても私は辛い治療なんか絶対受けない!と思ってた。

余命宣告受けたなら、延命なんてしないで余生をいかに充実したものにするか考える!とか。



だけど、実際大きな病気をしても治療できる道があるなら

治療する・しないなんて選択肢はなかった。




だいたい「治療しますか?」などと聞いてくる医者はいない。

治療することが前提になっている。



するしかないのだ。



気持ちの整理なんて後回し。

気がつけばMRI撮りに行って、CT撮りに行って、結果を聞いて・・・・


着々と手術に向けて、治療に向けて走り始めていた。


泣いても泣いても朝は来るし時は経つし、もういかに腹をくくるか。それだけのこと。



あの頃、死ぬだの生きるだのそんな事より、頭の中は「子宮が無くなる」それのみ。




だけど、周りは「ガン」と聞いて、さらに私の場合子宮ガンの中でもわずか1%くらいしかいないと言われる極めて稀で悪性度がかなり強いものだったため「死ぬか生きるか」だった。




周りが「生きてほしい」「命を助けてほしい」とか言い出すから

そんな事あんまり考えてなかったのに、そのうちに

「え?私死ぬんですか?」って気分になってきた。


そしたら今度は

「死ぬのは嫌!」ってなってくる。


でも子宮なくなるのも嫌。

後遺症が残るのも嫌。


思考回路がおかしくなってきた。



何が一体一番いいのか。


どこかを取ればどこかを失う。



でももう走り始めていた。



目の前に水槽があるのに・・・

仲間達はスイスイと泳いでいるのに・・・

私は、まな板の上でジタバタしながら、それでもなお何かにしがみついていたかった。



当時の私は今となってみればかなり夢心地だった。



ある日突然「ガン告知」を受けて、その日からあれよあれよと言う間にどんどん勝手に私の「生きるべき道はこうなのだ!」みたいな雰囲気に呑まれていった。



もちろん、私自身のことなんだけどいつもどこか他人事のような気分だった。



初めは「へぇ~私ガンなんだ~」って軽い感じだったのに(←ホントにあんまり実感がなかった汗)周りの方が焦って「頑張れ」だの「生きてほしい」だの、えらく大そうな事を言うもんだからいつの間にか私も洗脳されて「ガン患者」としての自覚に目覚めたパンダ汗かく




だから、初めに検査に引っかかったときもガン告知を受けたときも泣かなかった。



「えらい事になったな~」などと思いながらも、どこかお気楽な考えだった。



初めて泣いたのは円錐手術を受けた近所の産婦人科から大学病院へ転院を言われたとき。




いや、マジ無理・・・。


ガンだからとか何とかより、もう大学病院のイメージが悪すぎてドクロ

嫁入り前の女がどこの誰かも分からんような(←知ってる人はもっといやだけどあせる)学生達(医者の卵)の前でオマタ広げて・・・?



部位が部位だけに本当に嫌だった。


大勢にゾロゾロと取り囲まれて・・・クラッ・・・想像したらぶっ倒れそうになった。




その後、しぶしぶ大学病院に行って待たされること3時間半。

ようやく教授に呼ばれて席に着いた途端、いきなり「子宮全摘出」の一言。 

私の顔も見ず・・・。



バクッ!って心臓がなった。



「あの・・・温存は出来ないんでしょうか?」

お母さんが言った一言に教授は


「は?何言っての?めんどくせー事言ってじゃねぇ」とでも言うように顔をゆがまして私達をチラっと睨んでまた目をそらした。


ほらみろ。大学病院なんかろくなもんじゃねぇな。



一緒に来ていたお母さんはポロポロ・・・と泣き出す。



でも私は泣かなかった。

違う・・・泣けなかった。



その後現れた助教授の説明に私は一人でかなり冷静に聞いていた。

さっき「全摘出」とあっさり言い放った教授とは正反対で優しい助教授だった。


ステージやガンの種類によっては「温存」の可能性もあるかもしれないというささやかな希望をもらった。



助教授とは冷静に話し合いが出来たのに

MRIやらCTやらの術前検査の予約を取ってくれていた女医さんの前で

ついに泣いた。


ようやく泣けたよ。私。



ガンだから泣いたんじゃない。

子宮を失ってしまう・・・この事態を受け入れきれず涙が止まらなかった。



26歳・・・一体この私に何が起こったのだろう。


2006年10月14日

この日、生まれて初めて聞いた単語。


「高度異形上皮」



子宮頸ガンの一歩手前。

(私の場合その後ちゃっかりガン告知受けたけどさ~ガクリ


ここから私の人生が色んな意味で変化した。




まさか自分が26歳で「ガン」になるとは夢にも思ってなかった。


・・・・夢でも幻でもなく現実だった。




最初は子宮頸部(子宮の入り口)を一部切り取るだけの簡単な手術【円錐手術】で終わると思ってた。


・・・・終わらなかった。




でも、大したことじゃないと思ってた。


・・・・いや、結構深刻な状況だった。




とかなんとか言っても子宮温存出来ると思ってた。


・・・・出来なかった。




2006年12月4日。

この日私は一度死んだ。




あれから一年。

今日は私の26歳の命日。