何をムズカシー顔して読んでるのかっつーと。
テニス史上、たった独りグランドスラム(1年に全豪・全仏・全英・全米のチャンプになること)を2度も達成したロッド・レーバーの自伝「グランドスラムへの道」である。

これさ、なんとA5版で横書きでさ。おそらく9ポくらいの文字大きさ。ちっさいのよ。61歳の拙者がムズカシー顔にもなろうというわけ。拙者は眼鏡もコンタクトもなしの人だからして。

これ、こーんなに古い本。勿論絶版。中古本でもなっかなかお目にかかれない。・・・んだが、ほんの1週間前、突然この本のことを思い出して・・・っつーか、ロッド・レーバーのことを思い出してさ。中古屋探してみたら、1冊だけ見つかったんだよねー。しかも、たった1000円で。
すごく前に探してみたことあったけど、その時はみつからなかったんだよね。運命?

拙者は、中学生のときテニスにはまってたの。それで、この本を学校の図書館でちゃらっと見たことがあるんだけど、何せ結構人生論っぽいとこもあって、テニスそのもの・・・誰とどう戦ったとかは内容の一部なんだよね。それで、その“プレーに関する”とこしか読んでなかったようだ、当時。今読むと、全く記憶にないところだらけなんでね。
拙者が中学生のときテニスを始めた頃、すでにレーバーはトッププレヤーとしては、半ば引退状態に近かった。むしろ、伝説的な感じ。そうした伝説的なプレーヤーも、まだ少々はツアーに出てた頃、たとえばスタン・スミス、ケン・ローズウォール、そしてこのロッド・レーバーなんかも。
既に時代は、BC時代・・・ボルグとコナーズの時代となっていて、さらにマッケンローなんかが参入してくる時代だった。
だから、ロッド・レーバーのプレー自体をテレビだけど見たのは、随分と後になってからだった。
でも、拙者の中では、ロッド・レーバーこそがテニスだったんだよな。拙者のイメージの世界では、ということだろう。
それを誘因した、ある一言があった。誰が書いたものかも全く覚えていないのだが、いろんなプレーヤーについて紹介している中で、このロッド・レーバーのプレーを「型があって型がない」と表現されていた。
ここが、ドカっと拙者に来たのである。
「型があって型がない」
このことは、型というものを完全に習得した上で、さらにその上に自分の視点を得て、型に使われるのではなく、型を使いこなす、さらには既存の型では対処できない場合、新たな方策が自然に出てくる・・・というようなことを指している。
これに拙者(中学生当時)は、「すげー! これだこれだ!」と感銘を受けたわけである。
なぜかこのタイミングで、ロッド・レーバーと自伝を思い出し、中学生の頃とは全然異なる視点で読んでいるのだが、おそらくそれは人生の後ろを振り返るってことではなく、いろいろと「見落としてきたこと」を“新たに”見ているということなんであろう。
実は、このレーバーの件だけでなく、幾つも拙者の中に出てきているのだ。
ロッド・レーバーの“実物動画”も紹介しておきましょう ↓
(追記) 以前はさ、Simplogとかインスタに、自転車散歩しちゃこんな風にあげてたもんだな(^o^) 投稿も少し見直し要るかなぁ。
今日の夕方は、涼しくてよい。
(追記2)
「グランドスラムへの道」、読了した。妻にちらっと見せたら、「何、この小さい字。見えない」
むかーしの文庫本くらいの文字の大きさっつったらわかるだろうか。
あんななんだよな。
拙者がここに拘って書いてるのは、52歳頃から、どうもあんまり本を読む気がしなくなっていて、とくに小さい文字だとスルーしてたから。
春くらいに、また最近本を読むようになっと書いたけども、流石に「グランドスラムへの道」ほど小さい文字は読んでない。
それが、最初少し気合いも要ったんだが、読めてしまったんだよねー(^o^)
もし、時空の流れに少しでも添っているなら、蘇生化方向へ向かうのじゃなあかなぁと思っていたので、これが、少し出てきたのかなと観じている。


