紅葉の薬
hakogame
どんなに街にビルが立ち並んでも、その薬屋さんは平屋のままで、昔から伝わる薬を売っていました。
風邪をひいた若いお母さんと子供や、疲れが左手の先まで回ってしまったおじいさんには、そこのお薬がよくきくと、いまでも良い評判でした。
しかし、いつからここでお店を出しているのか、誰もはっきりわかりません。もう明日にもお迎えが来そうなおばあさんですら、自分が生まれたときからそのお店があったように感じていました。でも、お店の主人は40歳くらいの男でしたから、不思議といえば不思議な話でした。
それに、薬屋さんの名前を知っている者は誰もいないのでした。たまに郵便がきても、宛名には「木村方 薬屋さん」とあって、実際、お店の建物はどこかの木村さんという人のもちものらしいのです。
さて、そんなお薬屋さんに、ある日、たいへん痩せた若い女の人がやってきました。
身なりは、それほど高価でも派手でもなく、きちんとしていましたし、口元もだらしなく開いていたりしていない、落ち着いた感じの女の人でした。
その人は、少しほほえんだようにしてお店の中を見回してから、突然、「ここには、お医者さまが出すようなお薬はありませんか?」と聞きました。
薬屋さんは、ごそごそすっていた手を止めて、女の人を見つめました。
「そういうことなら、お医者さんに行けばよろしいのでは・・」と答えようとして、思わず口をつぐみました。なぜなら、少し吹いてくる風に乗って、女の人からすすけたような、ひなびたような匂いがしたからです。しかし、その匂いは一瞬でしたし、実際、いもりの焼いた薬を見て、「あら、すごいですね!」と笑っている女の人の声には元気でまっすぐな力があるように感じられました。
薬屋さんは、ちょっと困って、「銀の粒といって、銀杏を煎じて溶かして飲むのがありますよ。いかがですか?」と言いました。
女の人は、「それなら結構です」と言ってゆっくりとお店を出ていきました。
しかしそのとき、扉にかけた女の人の手の平に、小さいけれどはっきりと、歯があるのが見えたのでした。女の人は、手の平に口を持っていたのです。
風邪をひいた若いお母さんと子供や、疲れが左手の先まで回ってしまったおじいさんには、そこのお薬がよくきくと、いまでも良い評判でした。
しかし、いつからここでお店を出しているのか、誰もはっきりわかりません。もう明日にもお迎えが来そうなおばあさんですら、自分が生まれたときからそのお店があったように感じていました。でも、お店の主人は40歳くらいの男でしたから、不思議といえば不思議な話でした。
それに、薬屋さんの名前を知っている者は誰もいないのでした。たまに郵便がきても、宛名には「木村方 薬屋さん」とあって、実際、お店の建物はどこかの木村さんという人のもちものらしいのです。
さて、そんなお薬屋さんに、ある日、たいへん痩せた若い女の人がやってきました。
身なりは、それほど高価でも派手でもなく、きちんとしていましたし、口元もだらしなく開いていたりしていない、落ち着いた感じの女の人でした。
その人は、少しほほえんだようにしてお店の中を見回してから、突然、「ここには、お医者さまが出すようなお薬はありませんか?」と聞きました。
薬屋さんは、ごそごそすっていた手を止めて、女の人を見つめました。
「そういうことなら、お医者さんに行けばよろしいのでは・・」と答えようとして、思わず口をつぐみました。なぜなら、少し吹いてくる風に乗って、女の人からすすけたような、ひなびたような匂いがしたからです。しかし、その匂いは一瞬でしたし、実際、いもりの焼いた薬を見て、「あら、すごいですね!」と笑っている女の人の声には元気でまっすぐな力があるように感じられました。
薬屋さんは、ちょっと困って、「銀の粒といって、銀杏を煎じて溶かして飲むのがありますよ。いかがですか?」と言いました。
女の人は、「それなら結構です」と言ってゆっくりとお店を出ていきました。
しかしそのとき、扉にかけた女の人の手の平に、小さいけれどはっきりと、歯があるのが見えたのでした。女の人は、手の平に口を持っていたのです。
それから、たびたび薬屋さんは、その女の人を見かけるようになりました。
公園で老人たちが集まっていると、たいていその女の人が明るく笑っておしゃべりをしていました。そんなとき、老人たちは、楽しそうにしていました。
薬屋さんがお店にいるとき、一度、お店の前まで来たことがありました。けれど、お店の中には入ってきませんでした。
そして、だんだんと、通りかかってもちらりと見るだけになり、やがて、道の反対側を通っていくようになりました。
そうなるとなぜか薬屋さんは、女の人のことがたいへんに気になるようになりました。
あるとき、顔を隠すようにして道の反対側を急いで通っていく女の人に、薬屋さんは思い切って声をかけました。
「行く方、行く方。お探しのお薬は見つかりましたか? ぴったりのお薬は見つかりましたか?」
すると、女の人は、薬屋さんが声をかけたのを誰かにみられなかったかと辺りを見回し、逃げるように走っていってしまいました。
そんなことがあってから、その女の人を見かけなくなりました。
そして、どういうわけか、昔からお客さんだったおじいさんやおばあさんが、ぴったり薬屋さんのところへ来なくなったばかりか、老人が集まっているところを通りかかると、みななんとなく薬屋さんを睨むようになりました。
公園で老人たちが集まっていると、たいていその女の人が明るく笑っておしゃべりをしていました。そんなとき、老人たちは、楽しそうにしていました。
薬屋さんがお店にいるとき、一度、お店の前まで来たことがありました。けれど、お店の中には入ってきませんでした。
そして、だんだんと、通りかかってもちらりと見るだけになり、やがて、道の反対側を通っていくようになりました。
そうなるとなぜか薬屋さんは、女の人のことがたいへんに気になるようになりました。
あるとき、顔を隠すようにして道の反対側を急いで通っていく女の人に、薬屋さんは思い切って声をかけました。
「行く方、行く方。お探しのお薬は見つかりましたか? ぴったりのお薬は見つかりましたか?」
すると、女の人は、薬屋さんが声をかけたのを誰かにみられなかったかと辺りを見回し、逃げるように走っていってしまいました。
そんなことがあってから、その女の人を見かけなくなりました。
そして、どういうわけか、昔からお客さんだったおじいさんやおばあさんが、ぴったり薬屋さんのところへ来なくなったばかりか、老人が集まっているところを通りかかると、みななんとなく薬屋さんを睨むようになりました。
いつの間にか、落ち葉が道の端でくしゃくしゃに寝ている季節が来ていました。
薬屋さんは、薬があまり売れなくなって、ぼんやりすることが多くなっていました。
けれど、お医者さんが出すような薬を売ろうとは、やっぱりしないのでした。
ぼんやりしていると、だんだん寒くなってくるのがよく感じられて、その分、芋を焼いて食べるときも、ひと口ひと口がおいしいのでした。匂いもずっとおいしいのでした。
ですから、かえってもっと昔の匂いがする薬を売るようになったほどです。
ある日の夕方、用事を終えた薬屋さんが道辻にさしかかったとき、「今頃、山の中ではうんまいだろうなあ」「そうじゃ、赤い紅葉の下で食べるのがうんまいじゃあ」という話し声が聞こえました。
誰か、ずいぶんなじいさんが話しているのだろうと首をめぐらしますと、何をまつってあるのか小さな祠と、その横にこわれたように古い道祖神があるばかりです。人のいる気配がありません。
少し背筋が寒くなった薬屋さんは、タバコを1本取り出すと、「どなたか火をお持ちですか?」と言ってみました。バサバサ・・。薬屋さんの声に応えたのは、飛び立った2羽のカラスだけでした。
薬屋さんは、薬があまり売れなくなって、ぼんやりすることが多くなっていました。
けれど、お医者さんが出すような薬を売ろうとは、やっぱりしないのでした。
ぼんやりしていると、だんだん寒くなってくるのがよく感じられて、その分、芋を焼いて食べるときも、ひと口ひと口がおいしいのでした。匂いもずっとおいしいのでした。
ですから、かえってもっと昔の匂いがする薬を売るようになったほどです。
ある日の夕方、用事を終えた薬屋さんが道辻にさしかかったとき、「今頃、山の中ではうんまいだろうなあ」「そうじゃ、赤い紅葉の下で食べるのがうんまいじゃあ」という話し声が聞こえました。
誰か、ずいぶんなじいさんが話しているのだろうと首をめぐらしますと、何をまつってあるのか小さな祠と、その横にこわれたように古い道祖神があるばかりです。人のいる気配がありません。
少し背筋が寒くなった薬屋さんは、タバコを1本取り出すと、「どなたか火をお持ちですか?」と言ってみました。バサバサ・・。薬屋さんの声に応えたのは、飛び立った2羽のカラスだけでした。
翌日、薬屋さんのお店は閉まっていました。
薬屋さんは、山の中に向かっていたのであります。
辻で耳にした話し声がこびりついて、前の晩は眠れなかったのです。
あんまり眠れないで明け方になったとき、何がおいしいのか知れないが、温泉にでもつかって山の匂いを嗅いでみれば、なんとなくいいように感じたのでした。
どこといって降りる駅すら決めないで乗るが乗るがしていると、崖を回ったところで、急に赤い色が目に飛び込んできました。
薬屋さんは、あわてて次の駅で降り立つと、電車から見えただいたいそっちの方角へ、山の道をずんずん歩いて行きました。
ただもうその頃には、あたりが暗くなってきて、寒さも急に強くなってきました。
これは失敗したかと思っていると、遠くに煙りのように空気が揺れているのが見えました。そして薄暗い中にも、葉っぱの赤くなっているのが見えていました。
(ああ。あすこに行こう。あすこのような気がする)
薬屋さんは、とにかくそこを目指して歩いていきました。
そしてそこへたどり着いたとき、もう辺りは本当に真っ暗になっていましたが、有り難いことに、着いたところは小さな温泉宿のようでした。
しかし、入り口は薬屋さんのお店のよりも小さいのでしたし、ろうそくが1本ともしてあるだけです。ひなびた佇まいはいったいいつから建っているのか想像もできないほど古めかしいのでした。
もちろん、この薬屋さんの趣味にはぴったりで、それになにしろ身体が冷え切っています。
「ごめんください。宿をお願いしたいのですが・・」
応えがありません。何度か呼んでも答えがないのです。
ここまで来て困ったなと入り口の横を見ると、蜜柑箱が置いてあって、その上に紙が置いてあります。ゆれる炎に、しばしばしながら覗きこんでみますと、
『生憎、具合が悪くて出られません。どうぞご自由にお泊まりください。食事は、箱から好きなだけお持ちください。二阡圓、箱に入れてください』
と書いてあります。
やれ助かったと、2000園を入れようと箱を開けますと、箱の中には蜜柑の他に、栗や芋や豆がたくさんはいっていました。
薬屋さんは、帽子を脱ぐと、そこに食べ物を入るだけ入れました。
入り口を上がると、左手に「お湯」と書いてあります。そして、右手には部屋があるようですが、どうも泊まれるのは1部屋しかないようです。
他にたれかお泊まりだろうかと、そうっと障子を開けてみますと、中は真っ暗で誰もいる気配はありません。
薬屋さんは、安心して入り口からろうそくを持ってきて、まずは腹ごしらえをすることにしました。
薬屋さんは、山の中に向かっていたのであります。
辻で耳にした話し声がこびりついて、前の晩は眠れなかったのです。
あんまり眠れないで明け方になったとき、何がおいしいのか知れないが、温泉にでもつかって山の匂いを嗅いでみれば、なんとなくいいように感じたのでした。
どこといって降りる駅すら決めないで乗るが乗るがしていると、崖を回ったところで、急に赤い色が目に飛び込んできました。
薬屋さんは、あわてて次の駅で降り立つと、電車から見えただいたいそっちの方角へ、山の道をずんずん歩いて行きました。
ただもうその頃には、あたりが暗くなってきて、寒さも急に強くなってきました。
これは失敗したかと思っていると、遠くに煙りのように空気が揺れているのが見えました。そして薄暗い中にも、葉っぱの赤くなっているのが見えていました。
(ああ。あすこに行こう。あすこのような気がする)
薬屋さんは、とにかくそこを目指して歩いていきました。
そしてそこへたどり着いたとき、もう辺りは本当に真っ暗になっていましたが、有り難いことに、着いたところは小さな温泉宿のようでした。
しかし、入り口は薬屋さんのお店のよりも小さいのでしたし、ろうそくが1本ともしてあるだけです。ひなびた佇まいはいったいいつから建っているのか想像もできないほど古めかしいのでした。
もちろん、この薬屋さんの趣味にはぴったりで、それになにしろ身体が冷え切っています。
「ごめんください。宿をお願いしたいのですが・・」
応えがありません。何度か呼んでも答えがないのです。
ここまで来て困ったなと入り口の横を見ると、蜜柑箱が置いてあって、その上に紙が置いてあります。ゆれる炎に、しばしばしながら覗きこんでみますと、
『生憎、具合が悪くて出られません。どうぞご自由にお泊まりください。食事は、箱から好きなだけお持ちください。二阡圓、箱に入れてください』
と書いてあります。
やれ助かったと、2000園を入れようと箱を開けますと、箱の中には蜜柑の他に、栗や芋や豆がたくさんはいっていました。
薬屋さんは、帽子を脱ぐと、そこに食べ物を入るだけ入れました。
入り口を上がると、左手に「お湯」と書いてあります。そして、右手には部屋があるようですが、どうも泊まれるのは1部屋しかないようです。
他にたれかお泊まりだろうかと、そうっと障子を開けてみますと、中は真っ暗で誰もいる気配はありません。
薬屋さんは、安心して入り口からろうそくを持ってきて、まずは腹ごしらえをすることにしました。
ぼんやりと湯気がゆれています。
薬屋さんは、お風呂の脱衣場にろうそくを立てて、いまお湯につかったところです。
(風の当たりが冷たい。きっと露天風呂なのだな)
ろうそくのぼんやり以外は全くの闇に囲まれています。
きのうは眠れなかったし、今日は動きづめだったせいで、薬屋さんはお湯の中でうとうとしかけてしまいました。
そのとき、ろうそくの光が届く一番隅に、はっとするものが薬屋さんの目に飛び込んできました。
それは、忘れもしません。半年以上も前に、あの女の人に一度見た、手についた口だったのです。
「あ、あああ・・・。
薬屋さんは、思わずうなってしまいました。
すると、「まあ、あなたは。薬屋さんですね」と、間違いなく、少し低くて厚い、あのときのあの女の人の声がしました。そして、「どういうつもりですか。どうして、こんなところまで追いかけてくるのですか。ひとの迷惑を考えないのですか」と、どなるではなく、ゆっくりゆっくり、噛みしめるように言いました。
薬屋さんは、あまりのことに答えることができません。ただ揺れる湯気の中をにらみつけるばかりです。
しばらく経ちました。
「ここに泊まるのですか?」と、さっきより遠くで女の人の声がしました。きっと、風呂の向こう端にいったのでしょう。
そのとき、薬屋さんのところに葉っぱが流れてきました。それは、紅葉の葉っぱでした。こんなにぼんやりした中でも、はっきりと赤く色づいているのがわかるのでした。
「ああ、紅葉だ。さすがにこの辺は、ずいぶん赤いんだろうなあ」と一人言をしますと、向こうから、「秋ですから」と声が返ってきました。
薬屋さんは、突然女の人が現れたことや、第一なぜかこんな山の中にいることや、そういう不思議が急にどうでもよくなりました。それよりも、お湯はやわらかで暖かいし、紅葉といっしょにお風呂にはいっているのが楽しく思われたのです。
「私は今日、ここに泊まるのですが」と薬屋さんは、お湯の向こうに語りかけました。「なんでも、いま、山ではおいしいものがあると聞きましてね。とくに、紅葉の季節がいいようですから。何かご存じですか?」
しかし、答えはありませんでした。
いつの間にか、女の人はいなくなっていたようでした。
薬屋さんは、お風呂の脱衣場にろうそくを立てて、いまお湯につかったところです。
(風の当たりが冷たい。きっと露天風呂なのだな)
ろうそくのぼんやり以外は全くの闇に囲まれています。
きのうは眠れなかったし、今日は動きづめだったせいで、薬屋さんはお湯の中でうとうとしかけてしまいました。
そのとき、ろうそくの光が届く一番隅に、はっとするものが薬屋さんの目に飛び込んできました。
それは、忘れもしません。半年以上も前に、あの女の人に一度見た、手についた口だったのです。
「あ、あああ・・・。
薬屋さんは、思わずうなってしまいました。
すると、「まあ、あなたは。薬屋さんですね」と、間違いなく、少し低くて厚い、あのときのあの女の人の声がしました。そして、「どういうつもりですか。どうして、こんなところまで追いかけてくるのですか。ひとの迷惑を考えないのですか」と、どなるではなく、ゆっくりゆっくり、噛みしめるように言いました。
薬屋さんは、あまりのことに答えることができません。ただ揺れる湯気の中をにらみつけるばかりです。
しばらく経ちました。
「ここに泊まるのですか?」と、さっきより遠くで女の人の声がしました。きっと、風呂の向こう端にいったのでしょう。
そのとき、薬屋さんのところに葉っぱが流れてきました。それは、紅葉の葉っぱでした。こんなにぼんやりした中でも、はっきりと赤く色づいているのがわかるのでした。
「ああ、紅葉だ。さすがにこの辺は、ずいぶん赤いんだろうなあ」と一人言をしますと、向こうから、「秋ですから」と声が返ってきました。
薬屋さんは、突然女の人が現れたことや、第一なぜかこんな山の中にいることや、そういう不思議が急にどうでもよくなりました。それよりも、お湯はやわらかで暖かいし、紅葉といっしょにお風呂にはいっているのが楽しく思われたのです。
「私は今日、ここに泊まるのですが」と薬屋さんは、お湯の向こうに語りかけました。「なんでも、いま、山ではおいしいものがあると聞きましてね。とくに、紅葉の季節がいいようですから。何かご存じですか?」
しかし、答えはありませんでした。
いつの間にか、女の人はいなくなっていたようでした。
次の日、起き抜けに宿の外に出た薬屋さんは、息を飲みました。
そこら中が、真っ赤に染まっていたからです。
まったく、すっぽりと紅葉の赤に包まれていました。
小さな赤い手の平が、何千何万と風の中に手を振って、赤い色を空気の中にまき散らしていました。
薬屋さんは、胸奥深くにまで真っ赤をゆっくり吸い込みました。
ふと気が付くと、すすけたような、ひなびたような匂いがしていました。
匂いのする方を見ると、あの女の人がひとりで何かを一生懸命しているようです。
薬屋さんは、一瞬下を向きましたが、頭をひとつ振ると、女の人の方に歩いていきました。そして、「朝早くから、お仕事ですか?」と聞きました。
女の人は、すこしおびえたようにしましたが、「これが仕事ですから」と答えました。
女の人は、せっせとキノコを集めていました。
それも、立派でおいしそうな、食べられるキノコばかり集めています。
「うわあ、おいしそうだ。これを、どうするんですか?」と、薬屋さんは聞きました。
すると、女の人は強ばった顔になって、「キノコは集めるだけでしょう? 集めるだけって聞いてきましたけれど」と言います。
薬屋さんは、なぜか、(ははあ。そういうことか)と感じました。
「失礼ながら、誰がそんなことを言いましたか?」
「そう聞いて育てられました」
女の人は強ばった顔のまま、また忙しそうにキノコを集め始めました。
それに、手の平を隠すように注意しているようでした。
薬屋さんは、思い出したように、「そういえば、良いお薬は見つかりましたか?」と聞きました。すると、
「いいえ。手の荒れには、よいお薬があまりないようで」と、女の人が答えるや否や、薬屋さんは女の人にすごい勢いで駆け寄り、手をつかみました。
女の人は驚いて、「何をなさるのです! やっぱり、あなたは・・・」
「いいえ!」と薬屋さんは、本当に落ち着いていいました。「よい薬をあげましょう」
薬屋さんは、近くの紅葉の落ち葉をかき取ると、女の人の手に近づけました。
女の人の手に付いた口は、もしゃもしゃもしゃ。近づけられた紅葉の葉っぱにかじりつきました。
差し出せば差し出すだけ、幾らでも紅葉の葉っぱを食べていきます。
ところが、女の人は、自分の手をじっと見ているのに、「あら、とってもいい薬みたい。すごく効いているみたい」とひとりごちています。
自分の手に口が付いていることが、本当に目に入っていないようです。
しかし薬屋さんは、このとき、なぜかそれを奇妙に感じていませんでした。そして、紅葉を取っては、手の口に食べさせ続けたのです。
やがて、その辺りの落ち葉がなくなりかけてきたとき、女の人の手から、次第に口の形が薄れていきました。
そして、薬屋さんが「これはどうかな」といって、落ち葉ではなく木から取った紅葉を食べさせたとき、口はあとかたもなく消えていました。
女の人は、くずれるように気を失いました。
そこら中が、真っ赤に染まっていたからです。
まったく、すっぽりと紅葉の赤に包まれていました。
小さな赤い手の平が、何千何万と風の中に手を振って、赤い色を空気の中にまき散らしていました。
薬屋さんは、胸奥深くにまで真っ赤をゆっくり吸い込みました。
ふと気が付くと、すすけたような、ひなびたような匂いがしていました。
匂いのする方を見ると、あの女の人がひとりで何かを一生懸命しているようです。
薬屋さんは、一瞬下を向きましたが、頭をひとつ振ると、女の人の方に歩いていきました。そして、「朝早くから、お仕事ですか?」と聞きました。
女の人は、すこしおびえたようにしましたが、「これが仕事ですから」と答えました。
女の人は、せっせとキノコを集めていました。
それも、立派でおいしそうな、食べられるキノコばかり集めています。
「うわあ、おいしそうだ。これを、どうするんですか?」と、薬屋さんは聞きました。
すると、女の人は強ばった顔になって、「キノコは集めるだけでしょう? 集めるだけって聞いてきましたけれど」と言います。
薬屋さんは、なぜか、(ははあ。そういうことか)と感じました。
「失礼ながら、誰がそんなことを言いましたか?」
「そう聞いて育てられました」
女の人は強ばった顔のまま、また忙しそうにキノコを集め始めました。
それに、手の平を隠すように注意しているようでした。
薬屋さんは、思い出したように、「そういえば、良いお薬は見つかりましたか?」と聞きました。すると、
「いいえ。手の荒れには、よいお薬があまりないようで」と、女の人が答えるや否や、薬屋さんは女の人にすごい勢いで駆け寄り、手をつかみました。
女の人は驚いて、「何をなさるのです! やっぱり、あなたは・・・」
「いいえ!」と薬屋さんは、本当に落ち着いていいました。「よい薬をあげましょう」
薬屋さんは、近くの紅葉の落ち葉をかき取ると、女の人の手に近づけました。
女の人の手に付いた口は、もしゃもしゃもしゃ。近づけられた紅葉の葉っぱにかじりつきました。
差し出せば差し出すだけ、幾らでも紅葉の葉っぱを食べていきます。
ところが、女の人は、自分の手をじっと見ているのに、「あら、とってもいい薬みたい。すごく効いているみたい」とひとりごちています。
自分の手に口が付いていることが、本当に目に入っていないようです。
しかし薬屋さんは、このとき、なぜかそれを奇妙に感じていませんでした。そして、紅葉を取っては、手の口に食べさせ続けたのです。
やがて、その辺りの落ち葉がなくなりかけてきたとき、女の人の手から、次第に口の形が薄れていきました。
そして、薬屋さんが「これはどうかな」といって、落ち葉ではなく木から取った紅葉を食べさせたとき、口はあとかたもなく消えていました。
女の人は、くずれるように気を失いました。
やがて、女の人が目を覚ましたのは、こうばしい香りが鼻を打ったときでした。
女の人は、起きあがって、薬屋さんがしていることを見ました。
「それは、何をしているの?」
「やあ。気が付きましたか。キノコを焼いているんですよ」
女の人は、目を丸くしました。けれどもう、何故とは聞かずに、「わたくしも、焼いてみていいですか?」と聞きました。
そして、薬屋さんは、その女の人がはじめて焼いたキノコを食べてみて、びっくりしました。「あなたの本当のお仕事がみつかりましたよ」
女の人は、起きあがって、薬屋さんがしていることを見ました。
「それは、何をしているの?」
「やあ。気が付きましたか。キノコを焼いているんですよ」
女の人は、目を丸くしました。けれどもう、何故とは聞かずに、「わたくしも、焼いてみていいですか?」と聞きました。
そして、薬屋さんは、その女の人がはじめて焼いたキノコを食べてみて、びっくりしました。「あなたの本当のお仕事がみつかりましたよ」
さて、翌日です。
薬屋さんのお店から、こおばしい香りが街に流れていました。
薬屋さんは相変わらず、昔ながらのお薬をつくっていました。
しかし、その隣では、あの女の人がキノコを焼いていました。
もちろんもう、その手には口がついていません。
そして、きっと薬屋さんのお薬よりも、この焼きキノコの方がよく効くクスリと評判になるんだろうなあと、薬屋さんは感じていました。
でも、前よりずっと楽しそうでした。
薬屋さんのお店から、こおばしい香りが街に流れていました。
薬屋さんは相変わらず、昔ながらのお薬をつくっていました。
しかし、その隣では、あの女の人がキノコを焼いていました。
もちろんもう、その手には口がついていません。
そして、きっと薬屋さんのお薬よりも、この焼きキノコの方がよく効くクスリと評判になるんだろうなあと、薬屋さんは感じていました。
でも、前よりずっと楽しそうでした。
(おしまい)