りみちゃんのお父さんは、お金持ちで有名です。大きな車が4台も家にありましたし、庭に続いている林や池も、お父さんが自分で買ったものでした。
りみちゃんは、赤ん坊のときから手がかからない子どもでした。忙しいお父さんの邪魔になることが、一番いけないことだと感じていたからです。そして、ウソもついたことがありませんでした。
でも、りみちゃんにはお父さんに内緒の秘密が1つだけありました。それは、林や池の動物や虫たちが、お父さんをひどく嫌っているのを知っていたことです。
お父さんは、2台目の車をいれるときに、庭のヤマボウシの木を全部切ってしまいました。すると、お母さんが急に病気になって、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
寂しくなったお父さんは、どんどん車を買い直しては乗り回して、気を晴らすことが多くなりました。
りみちゃんの瞳は、お母さんにそっくりな、ほのかに緑色の目でした。お父さんはりみちゃんを抱きしめては、お母さんの形見の瞳だと涙ぐむのでした。しかしお父さんは、涙がそれ以上出なくなると、車を乗り回しに出かけてしまうのでした。
ある日、もう1台大きな車を買うので、駐車場がいることになりました。そのために、大きなケヤキの木を明日切ってしまうというのです。そのケヤキの木は、150年以上もここに立っている木なのでした。
その話を聞いた夜、りみちゃんは眠れませんでした。窓から、虫たちがひやりとした声で、明日切られるケヤキのためにレクイエムを歌っているのが聞こえるからです。
そのうえ、もうすぐ埋められてしまう池の方からは、蛙たちが魂の復讐を誓って合唱をしています。
人間以外のみんなが、この家を憎んでいたのです。
どうしたらいいのかしら。
りみちゃんは、三日月を見上げました。
すると、お庭に出ておいでと、三日月が言ったように思いました。
でも本当は、三日月は口を薄く曲げたように冷たく笑っていたのでした。
りみちゃんは、明日切られるケヤキのところまで歩いていきました。ケヤキは、月光がりみちゃんの肌を強く刺さないように、りみちゃんを守ってくれました。
りみちゃんは、ケヤキに抱きついて泣き出さずにはいられませんでした。
すると、闇の向こうからトラツグミがひゅーいひゅーいとする声で、「泣けば、それで済むのかしら 泣けば、全部赦されるのかしら」と歌いました。その歌は、つららのようにりみちゃんの心に突き刺さりました。
どうしたらいいの?
りみちゃんが、歌が聞こえた闇の中に目をこらしても、何も見えませんでした。トラツグミは、もう何も歌いませんでした。
けれど、池の方がぼんやり光っているように感じました。
りみちゃんが池の側まで来ると、月光が一箇所だけ強く当たっていました。
しゃがみこんでみると、そこには、ぺらぺらに潰れた蛙が倒れていました。
蛙は、りみちゃんが自分をみつけるが早いか、上半身をくらわっと翻しました。夜目にも血走った目をどきどきさせながら、「オレは、オマエ家のクルマで轢かれたのだ」と口からどろどろしたものを吐き出しながら言いました。
りみちゃんは、涙とふるえがとまりませんでした。
しかし、また遠くからトラツグミの歌が聞こえてきました。
「泣けば、それで済むのかしら 泣けば、全部赦されるのかしら」
りみちゃんは、どきっとして、急に涙が止まってしまいました。それから問うように蛙の方を見ると、蛙は「オレをケヤキのところへ連れていけ」と言いました。
りみちゃんが、蛙を抱いてケヤキのところへ帰る途中、何かがぶつかってきました。
何だろうと思っていると、月光がそこへ差し込んできました。
ぼんやりと浮かび上がったものは、頭がちぎれたカミキリムシだったのです。
カミキリムシは、りみちゃんが自分をみつけるが早いか、羽をみしみしいわせて羽ばたきました。半分ちぎれた細い足で、「オレは、オマエ家でけとばされたのだ」と傷口からどろどろしたものを流しながら地面に書きました。
りみちゃんは、涙とふるえがとまりません。
けれど、また遠くからトラツグミの歌が聞こえてきました。
「泣けば、それで済むのかしら 泣けば、全部赦されるのかしら」
りみちゃんは、どきっとして、急に涙が止まってしまいました。それから問うようにカミキリムシの方を見ると、カミキリムシは「オレをケヤキのところへ連れていけ」と書きました。
潰れた蛙と頭の取れたカミキリムシを抱いてりみちゃんが歩いていくと、
ゥバゥッサバッサバッサバッサバッサバッサ
と音がしたかと思うと、大きなミミズクが襲いかかってきました。
鋭いツメで、りみちゃんの頭を押さえつけました。振りほどこうにも、凄い力で頭を動かせません。
りみちゃんは、涙とふるえがとまりません。
けれど、また遠くからトラツグミの歌が聞こえてきました。
「泣けば、それで済むのかしら 泣けば、全部赦されるのかしら」
りみちゃんは、どきっとして、急に涙が止まってしまいました。それから問うようにミミズクの足に触れてみると、「オマエの前をよく見てみろ」とミミズクが言いました。
急に月明かりが射してきて、ハヤブサが落ちているのがわかりました。
ミミズクは穴のような声で言いました。「そいつは、死にかかっている。オマエの家の邪なゴルフボールとかいうのが、胸を直撃したのだ。そいつをケヤキのところへ連れていけ」
とうとう、りみちゃんはケヤキの下にもう一度来ました。
潰れた蛙と頭のないカミキリムシと死にかかったハヤブサを抱いて、りみちゃんは立ちつくしました。
けれども、りみちゃんはもう、泣いたりふるえたりしていませんでした。
どうしたらよいのかケヤキの声を聞きたくて、ただ一心にケヤキを見つめていたのでした。
月光がりみちゃんの首筋を焼けるように突き刺しました。
けれども、りみちゃんは構わずに腰を折り、潰れた蛙と頭のないカミキリムシと死にかかったハヤブサをもっと優しく抱いて、ケヤキの心に耳を澄ませました。
そのとき、三日月から滴のような光の固まりが、蛙の上にぽってりと落ちました。
蛙は、りみちゃんの腕からふぅっと姿を消しました。
すると…。なんと、ケヤキの根元にうずくまった蛙の姿が浮き出てきたのでした。
もう一度、三日月から光の固まりが、カミキリムシの上に落ちました。
カミキリムシは、りみちゃんの腕からふぅっと姿を消しました。
そして、カミキリムシは、蛙の上で羽をせいせい伸ばした姿でケヤキに浮き出てきました。取れた頭が、ちゃんと戻っていました。
最後に、三日月から光の滴がハヤブサの上に降りました。
ハヤブサがりみちゃんの腕から消えると、ケヤキのてっぺんに羽がはえ、そこにハヤブサの姿がありました。
ケヤキは、生きたトーテムポールとなったのです。
りみちゃんが思わず「よかった!」と口にすると、すぐ近くでトラツグミがひゅーいひゅーいと歌いだしました。
「祈れば、それで済むのかしら 祈れば、全部赦されるのかしら」
りみちゃんは、今までで一番どきっとしました。
そして、トーテムポールになったケヤキを見つめていると、「あ!」
りみちゃんは、気が付きました。
てっぺんのハヤブサの像には、目がなかったのです。空洞のまなこが寂しげに浮かんでいました。
急に、虫と蛙の憂いの合唱が大きくなりました。
みんなはまだ、りみちゃんの家のことを赦していないのです。
りみちゃんは今、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
でも、心の中は真っ白に濡れていました。
ひざまずいて、曇りのない目で三日月を見上げました。
そのとき、三日月がびりびりと光りました。
りみちゃんが、地面に崩れ落ちました。
そして…。
ケヤキのトーテムポールのてっぺんに、瞳が現れていました。
瞳は月光を受けて、静かにうすい緑色に光っていました。
翌朝、りみちゃんを探していたお父さんが、ケヤキの下で倒れているりみちゃんを見つけました。
お父さんは、大丈夫か? なんで、ここにいるんだ?、と問いかけようとして、声を失いました。
りみちゃんが、今までで一番やさしい笑顔でお父さんに微笑みかけたからです。
そして、その顔には瞳がなかったからでした。
お父さんは、立ちつくすよりほかにありませんでした。
(おしまい)