習い事や趣味など、各分野でも色々な

『先生』や『コーチ』などと呼ばれる人がいる。


私も

水球のコーチ

水泳のコーチ、先生

ピラティスの先生


と呼ばれて生きてきました。


初めはこの『先生』とか『コーチ』

と呼ばれることに

慣れなかったし、恥ずかしいような

照れる気持ちだったし、

今でもたまにテヘヘってなることもあるニコニコ



皆さんが見ている先生やコーチ。


それは絶対的な存在と感じるかもしれない。


何かをを極めた人。

完璧な人として。


けれど、

私は完璧ではありません。


私にも先生みたいな存在いて

今でも聞いたり、学んだり、実践してはまた学ぶその繰り返し。

学び続ける。





教わる方はその人のある一部分だけ見ている。



何かを教える人という側面だけし見えないこともある。



例えば

大好きなアイドルや俳優がいて

素敵〜目がハート飛び出すハート

と思っているのは画面越しなどで

その人の日常は本当のところはわからないものだ。

家でゴロゴロしながら鼻をほじってるかもしれない真顔



人は多面的で、何が良いかダメなのかは決めつけられない。



私はどんな先生がいてもいいと思っている。



どんなに知識を持っていて

その分野で素晴らしくても

伝え方が上手くないとか

話にユーモアが全くないとか

そんな人もいるかもしれない。


でも知識は素晴らしいから

それを欲している人にとっては

とても貴重な存在。

知識で救われることは多い。



一方で

経験を沢山積んできた人で知識はまだ発展途中。

そんな指導者がいたとする。


知識はそこそこ。


けれど、

話や伝え方が人々を魅了し、

その人自体やその人のストーリー自体に

引き込まれる。


自分がどんな経験を積み

苦労や上手くいったことなど

そんなことに共感してくれるとしたら。



今、行き詰まっている習う側としては

とても参考になる話を聞けるかもしれないし

共感してくれることで励みになるかもしれない。



また同じ目線で、同等な立場として

先生と生徒としての枠を超えた

繋がりができるかもしれない。




オリンピック選手のような人。


技術や知識、経験など見惚れるような動きが見れるだけでも貴重。

一般の人が経験できないような苦労話や

その世界での話。


遠い存在かもしれないけれど、

本を読んだりするより五感で感じれるものがあると思う。




私も体のことや心のことを学ぶ上で

沢山の人と出会ってきました。


そして水球をしてきた経験で

オリンピック選手や海外の選手やコーチ

とも出会う機会がありました。


その経験の中で

良かったことも嫌なことも含めて

本当に自分が求めているものが見えてくる。


自分が何を目的として

何をそこで得たいのか。

そして、自分はどうなりたいのか。



私は

水球はもちろん、

学ぶ側、教える側のたくさんの経験から


仲間やその場にいる人と

知識を学びながら楽しい時間を共有したい


それが一番私が大切にしたいこと。




だから

私が今学んでいる先生は


自分がチャレンジしている過程も

失敗も含めて見せてくれている。

そして、習う側の生徒から自分よりもできる人を褒めて、どうしたらできるか教えてくださいと言える、学ぶ立場にいることもできる。

そんな人。



そして、それらの先生のところに集まってくる人も同じような人で魅力的だ。



知識が豊富でそれらを惜しみなく

与えられるひと。


探求することをやめないひと。


いつも進化し続けるひと。


完璧ではない人。


学びを自らが実践している人。


ユーモアがある人。


その場の空気感を作れる人。


わからないことをわからないと正直に言えるひと。




私はそんな人のところで学びたい。




これは私がもっている価値観で

皆がそんな人を選んだらいいよ

と言うことではないです。





相手を依存させる。

優位に立ち相手を尊重しない。

本当の自分以上によく見せようとする。


教える立場になるとこんな罠もあるものです。



もし、習う側として

不満や気に入らないこと、

嫌なことがあったとしたら

チャンスかもしれない。


どんなことが嫌なのか。


その人にフォーカスするのではなく

どんなことが嫌で

じゃあどうなると自分は満足するのか。


本当に求めていることの輪郭が

少しずつはっきりしてくる。



水泳自体が好きな人。

気持ちいい水の中を楽しみたい。


自分がチャレンジしていることが楽しい。

できないことも含めて

少しずつ成長する過程を楽しみたい。


習うことがたまたま水泳だけれど、

そこにいる仲間やコーチのいる雰囲気や

ワイワイ一緒にやる

時に刺激したりライバルになったり

そんな関係性や仲間との時間が大切。


タイムを縮めたい。

泳ぎをマスターしたい。

4泳法を習得したい。

楽に泳ぎたい。


漠然とせず


じゃあ1秒縮まったら何が得られるのか?


大会で上位になったら自分はどうなるのか?


楽に泳いだ先に何があるのか?


一体それが手に入ったときに

どうなってることが自分にとって幸せなのか?


細かく、丁寧に追求してみると

自ずと自分の今できることがわかる。


そこでどんな先生やコーチを

選んだら良いかがわかる。



水泳に例えたけれど、

色んなことに置き換えることができる。



子どもの習い事を選ぶ時も同じだ。


子どもがそれを習得したら

何を得られるのか?


得られるのは自分か?

子どもか?


それをしてどうなりたいのか?

それを望んでいるのは子ども自身なのか?

自分が満足したいのか?


その先生で嫌な気持ちになるのは

自分なのか?子どもなのか?

自分のためなのか?

本当に子どものためなのか?



しっかり見極めることが大切。




自分に合う人が必ず見つかる。

そのためには自分が何を求めているのか?


それを知ることが一番だと私は思っています。


色んな先生がいてよい。

色んな教え方があってよい。


教える立場としてもそう思うのです。







ある日の隙間トレーニング歩く