東京は梅雨に入って、雨らしい雨がようやく降ってきたので、ひとまず安心をするのであるが、ジメジメした中に、スーツを着て出かけることが億劫になってくる。夏は夏らしく熱くなって、冬は冬らしく寒くなった方が経済効果が高いということであるが、梅雨は梅雨らしくなった方が良いのかもしれない。


新日本科学-天気予報は新日本科学で発展する

そのような中に、昨日だったか、自衛隊が天気予報を出したら気象庁に許可を得ていないということで、何か言われていたようなことがニュースに出ていた。そのときに思ったことは、「勝手に天気予報を出したらなぜいけないのだろうか?」ということである。「気象庁の天気予報は、スーパーコンピュータなどを導入するなど科学を駆使しているので、バッチリなはずである。」ということで、他の組織が出す天気予報と一致しなかったときの混乱があるためであろうか?

さて、ここで天気予報の科学であるが、気象庁は雲行きや風向きや風速、そして季節感をデータベースにしていて、それらをスーパーコンピュータで計算をして明日の天気を予想していると聞く。昔は天気を先に知ることができれば、国を取ることすらできた時代があったことを考えると、科学の進歩がなんとも便利な時代を作っているのだろうかと関心する。

ある意味、時代の進化は速度アップが鍵を握っているとも言われている。そういった天気予報も速度アップの時代が来たのだろうし、これからも何らかの進化があることだろう。また、明日の天気はほぼ言い当てているということなので、気象庁の人たちには感謝である。

それにしても、地震の予想は当たらない。原発の下に活断層が発見されたとかであるが、その活断層も何千年も何万年も古い活断層であるから、原発の使用年月の40年をそこに当てはめて見たら一瞬とも言えるので、それこそ原発の直下の活断層で地震が発生したとなると、それこそ「どれだけ運が悪いのだ?」と誰しも考えてしまうことだろう。しかし、備えがあることに越したことはないし、もっとグローバルな視点で物事を考える必要もある。